タイガー・ダニーもいいけれど、タイガー立石は素晴らしかった。
いたいけな田舎の中学生だった店主の脳ミソを、その多彩過ぎる内容で毎月グヮングヮン掻き乱してくれた雑誌が小学館のボーイズライフである。
で、ちょうど40年前の1968年5月号には豪華な“創刊5周年記念特別付録”の、題して“BLヒッピーポスター”が3枚も付いてきた。
BLとはボーイズライフのイニシャル、ならBDが何のイニシャルか知っている人とは店主大いにウマが合いそうである。
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さて、その3枚のポスターには2サイズあり、大きい方はB3(364×515mm)の長谷邦夫作『LOVE IS the BEST』、小さいのはB4(257×364mm)の田名網敬一作『I LOVE GIRLS』と、この年1968年にタイガー立石と改名したいまは亡き立石紘一作の『WELCOME TO THE EARTH』だった。
先の2作品についても折りをみて紹介したいと思うけれど、まずはタイガー立石。
先の2作品に共通の当時流行りの英単語、“LOVE”をタイトルに引用した平和な作風とは異なり、タイガー立石はじつにSFチック、イラストも3作品中もっとも絵画的で、しかもいたるところに物騒が漂っている。
“ようこそ地球へ・円盤観光株式会社”の文字とは裏腹の、異次元の戦場を描いたような絵の意味がつかめず、いちばん異色に映った。
中央でコーラをラッパ飲みするタイガーの人並みな股間に笑ってしまった。
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日本芸術界のフーテンの寅さんこと、タイガー立石は1941年寅年生まれ。
雑踏の中で自作を掲げて歩く路上歩行展を発案・実行したアバンギャルドな画家であり、1960年代、赤塚不二夫に影響されてギャグタッチの漫画家としても活躍した。
が、このヒッピーポスターを発表した年、名前が売れ出した矢先、27才の彼は夫人とともにイタリアへ移住してしまう。
「環境を変えることこそが創作意欲を刺激する。ひとところへの安住、現状への満足はけっしてしない」とは、タイガー立石のモットーだ。
すべてを白紙に戻し、未知の土地でゼロからの再出発を果たした。
欧米で漫画のストーリー性を採り入れたコマ割り絵画などが認められ、建築、デザイン、イラストなどの分野で成功するも、現状に甘んじることをよしとしない彼は13年の滞欧生活にピリオドを打ち帰国した。
1982年、41才で帰国してからは絵本の出版や作陶も手がけ、1995年には養老渓谷にアトリエ兼住居を移し、絵画だけでなく立体作品にも取り組んだ。
タイガー立石から立石大河亞に改名してからの作品だと思うが、1996年の彫刻『DE CHIRICO』はどの角度から見てもまるでちがう趣の多元的な逸品で、レプリカでもいいから欲しい、ソフビ化したい。
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1998年4月17日、タイガー立石は肺がんのため56歳で他界した。
今年は氏の没後10周年、どこかで作品展など企画されるようなら、ぜひとも出かけて行きたい。
じつはワタクシゴトだけれど、店主がそれまでの仕事や生活にケリをつけてLAに移住したのはタイガー立石と同じ27才、軽〜く験を担いだのだった。
だからどうしたってこともないけれど、きのう55才の誕生日を迎え、あと1年でタイガー立石の没年を迎えるかと思うと、どこでどうなるか分からないこの人生、1日1日をもうちょっと大切に遣おうと改まったりするのだった、神妙。



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by tomenosuke_2006 | 2008-03-24 00:01 | ムカシモチャ
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