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1960年代アメリカのオッキモチャのこと・その1
以前、ムカシモチャのカテゴリでスパイモチャについて3回ほど続けて書いたことがあったけれど、その結び“スパイモチャ/その3/ナポソロもの”で「スパイモチャからオッキモチャへ、店主の玩具道は果てしなく続く」みたいなこと言って、そのまんまにしていたことを思い出した。
で、続きを。
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留之助商店には“ならでは”の品物がいろいろあるけれど、たとえば1960年代アメリアの4大オッキモチャをつねに在庫している店など、うち以外、日本のどこを探してもないはずだ・・・なんて大見得切っても、そもそも4大オッキモチャなんていう概念は、いまのところ岐阜県高山市本町3丁目44番地でしか通用しないと思われる。
1960年代当時、つまり店主が少年時代の海の向こうのオッキモチャは、単に大きいとうだけでなく、あらぬ造形で、存在感が並ではないところがよかった。
ベアブリックの1000%(高さ約70センチ)や20インチ・ダニー(高さ約50センチ)も、彼らの個性のまえではひれ伏すしかないのだ。
当店にはわずかにブリキ製のビンテージトイもあるけれど、ブリキノモチャは店主的にはすでに終わったと見なしている。
プレスよりはキャスティングにつきる。
高度で柔軟な表現力を有した化(バケ)学素材のプラスチックやソフビでできたキャスティング(鋳造)製品の方が店主の好みだし、そういう点からも60年代オッキモチャこそは、当時の新素材“プラスチック”によるかつてない色彩と形状と質感を得て、オモチャの新時代を体現したのだ。
デザイナーズトイの原点、オブジェモチャのご先祖さまなのである、絶対的に。
その大きさからいっても、彼らは単なるオモチャにとどまらず、ペットか家族の一員として迎えられるよう企画された。
たとえばマテルやヒューブレーのトイガン握って西部劇ごっこするのではなく、いっしょに暮らすオモチャ。
男の子が抱きかかえても、連れ歩いてもおかしくない、だけでなく、ひときわ目立って注目を集めるに十分なサイズ。
そういうオッキモチャが1960年代はじめに4種類、誕生したのだ。
それがロボット・コマンド、グレート・ガルー、キング・ザー、ビッグ・ルーだった。
(ロボット・コマンドは当店ホームページのトップに、グレート・ガルーは当ブログ右下のネームカードに、キング・ザーは同じく当ブログ右上のロゴに引用してます。それくらい好きってこと?)
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TV-CMから。左よりロボット・コマンド、キング・ザー、ビッグ・ルー。

最大手のマテルが女の子用にバービーを、男の子用にシューティングシェルのトイガン(ムカシモチャのカテゴリで紹介)を大ヒットさせていた1960年代はじめ、アイディアルとマルクスという二番手を競うライバル・オモチャメーカー2社が、男の子向けに投入してきたのがオッキモチャだった。
アイディアルからは高さ46センチのロボット・コマンドが、マルクスからは57センチのグレート・ガルーが、まず1961年のクリスマス・シーズンにデビューした。
1961年といえば、ジョン・F・ケネディが第35代アメリカ合衆国大統領に就任し、近年で最も偉大な大統領就任演説を披瀝した年でもある。
「祖国があなたに何をしてくれるのか尋ねるのではなく、あなたが祖国に何ができるか自問してほしい」
オットット、きどうしゅうせい、軌道修正。

ロボット・コマンドは、君の命令どおり動く。
さぁ、マイクロフォン・リモコンに語りかけよ。
前進、右旋回、左旋回!
ミサイルボール発射、ロケット発射!
目玉がつねに渦巻き回転しているのは、敵を見逃さないため。
後退のメカニズムは搭載されていない。
なぜならロボット・コマンドは決して敵に後ろ姿を見せないのだ。
(TV-CMのナレーションから抜粋)

マイクロフォン・リモコンに向かって語りかけるというのは、厳密にはマイク(のカタチをしているだけ)に向かって息を吹きかけ、マイク内部の薄い金属板を動かして、電気回路の開閉を操作することにほかならない。
マイクロフォン・リモコンとロボットは、ロボット内蔵の駆動用モーター直結の電線と、さらに1本、カメラのレリーズのようなワイヤーでつながれ、そのワイヤーのプッシュ&プル操作でロボットに組み込まれたメカニズムのギヤを切り替え、すべてのアクションを制御する。
実態はスーパーロウテク、けど思い通りに動かすには慣れとコツを要した。
値段の14ドル97セントは、当時の家庭用21型テレビが150〜200ドルしたことを思えば、けっして安いとはいえないが、爆発的に売れた。
平和なアメリカのいたるところで、ロボット・コマンドの操作を競い合う少年たちがいた。
中には、将来、ベトナムの戦地へ駆り出されるとも知らず、マイクロフォン・リモコンに向かって「ミサイル発射!」と声を張り上げていたあどけない少年も。
そういう時代だったのだ。
つづく。
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A Boy and his Robot Command/1962年の写真


by tomenosuke_2006 | 2006-10-09 00:29 | ムカシモチャ
レディ・キロワット
留之助商店のショーウィンドーの中で1日中、けなげに発光しているネオンサイン、レディ・キロワット君について、電話やメールでお問い合わせいただきました。
「ありゃ、なんだ?」っていうのから、「おいくら?」まで、いろいろ数件。
この場を借りてお答えします。
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日本ではジッポーライター・ファンのあいだでけっこうポピュラーなのが、このレディ・キロワット。
彼の顔をプリントしたライターなどが、レディキロなどと呼ばれたりしているみたいです。
レディとは女性のLADYではなくて、赤みがかったという意味のREDDY。
生まれは1925年。
アラバマ電力会社に勤めるアシュトン・B・コリンズ氏が仕事帰りに物凄い落雷を目撃、まるでその光が人の手足のように見えたところからレディ・キロワットを発想しました。
イナズマのからだに、ゴムの手袋とブーツ、電球の鼻と電気コンセントの耳。
翌年の1926年にフィラデルフィア電力が最初のライセンス契約会社となり、数年のうちには全米の200社をこえる電気施設会社がそれに加わり、愛嬌たっぷりのレディ・キロワットを看板やノベルティなどにあしらい、電気の普及につとめました。
そう、1920年代のこのころというのは、アメリカの一般家庭に直流電気のコンセントが普及し始めた時期で、ラジオやさまざまな電化製品の第一次ブーム。
レディ・キロワットといえば、モダンな電化生活を象徴するアメリカの代表的キャラクターだったのです。
1930年代にはコミックヒーローとなり、1940年代にはReddy-Made Magicという電気の歴史をたどる映画で主役をつとめ、1950年代にはその続編ともいうべきMighty Atomが作られました(何でも知りたい店主ですが、この種の映画を観る機会にはまだめぐり合ってません)。
余談ですが、1950年代には革命政権のカストロ首相によって、レディ・キロワットのキューバでの使用が禁止されたことがあったとか。
あまりにも敵国アメリカ的だという理由だったそうです。
で、当店のレディ・キロワット君は1940〜50年代製。
お客さんが訪れる電力会社のオフィスやショールーム用に手作りされたものです。
高さはちょうど大人の身長ぐらいで、表面はホウロウ仕上げ。
メタルワークも素晴らしく、むかしはアメリカにもこんなに細かい職人仕事をこなす人がいたんだなと感心してしまいます。
お値段の方は3,150,000円、消費税込み、配送料別となっております。
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店主大好きのゲーリー・ベースマンがレディ・キロワットを引用(右上)した作品を発表しています。
好みがどこか共通しているようで、うれしいような。
原画は高すぎて、機会もなくて、いまのところ手に入ってませんが、2年前に出た50部限定のポスターはしっかり確保してます。
いずれお店に出す予定です。
by tomenosuke_2006 | 2006-10-03 11:18 | ムカシモチャ
写真を追加しました。
スパイモチャ/その2/アタッシュケースものに、写真を4点追加しました。
よかったら見てください。

スパイモチャ/その1/マテルものに、写真を4点追加しました。
よかったらこちらも見てください。
by tomenosuke_2006 | 2006-07-28 08:46 | ムカシモチャ
スパイモチャ/その3/ナポソロもの
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毎月欠かさずボーイズライフを読んでいた。
さいとうたかをの連載劇画“女王陛下の007号”、怪獣の製作現場を紹介した“ウルトラQの舞台裏”、ハインラインの長編傑作シリーズ“人形つかい”、今月の誌上ロードショー“砲艦サンパブロ”、カラー特集“世界のレーサーカー”、それから、“モンキーズに関する20の知識”に“夏休みガールフレンド作戦”・・・
どの号も、どのページも、くまなく目をとおした。
取り上げられる記事に境界はなく、まさしくバラエティーに富むとはこのことをいうのだと思った。
厚さ2センチ足らずの月刊誌ボーイズライフは知識の宝庫であり、情報の大海原だった。
1960年代少年の大冒険そのものだったのだ。
もしかしたらいちばんの冒険は、巻頭に綴じられた正方形のピンナップ写真だったかもしれない。
白いビキニのナンシー・シナトラ、大きく開いた胸元から豊かな谷間をのぞかせるアン・マーグレット、バーバレラのきわどい衣装を着けたジェーン・フォンダ・・・ドキドキしながら釘付けになった。

1966年のボーイズライフの定番記事といえば、日本ロケされた007は二度死ぬの速報で、毎号かならずボンド俳優ショーン・コネリーの小さな顔写真と007のガンシンボル・ロゴがセットで表紙に印刷されていた。
そしてもうひとつ、1年まえの1965年に終わったバークにまかせろの後続番組として登場するやいなや、圧倒的な盛り上がりをみせていたアメリカのTVシリーズ“0011ナポレオン・ソロ”。
その関連記事が、あるときは主演俳優のインタビュー、また別の号ではスパイ兵器特集といったぐあいに、つねに誌面を賑わしたのだった。
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ソロとイリヤのスーパースパイ・コンビが毎回活躍する0011ナポレオン・ソロ(先のブログのリンク先を参照)。
イギリスのスパイが007なら、こちらはアメリカ代表の0011。
ナポソロは電波にのり、TVアンテナのある場所ならどこにでも現われ、文字通り世界をまたにかけて大活躍した。
いまみれば、低予算のご都合主義と気の抜けたアクションのナポソロだが、ましてや007と比較するのはかわいそうすぎるけれど、007より唯一すぐれている点、とりわけ印象深く、脳裏に刻まれ、いつまでも忘れることのできないモノがあった。
この際だ、ナポソロのシンボルと断言してもいいだろう、彼らスパイの所属する諜報機関U.N.C.L.E.の名をとり命名された銃、P38アンクルタイプである。
短く切り詰めた銃身の先に小さな鳥カゴ状のマズルブレーキを着けたハンドガンと、各種アタッチメントで大きく強化させたカービンタイプの2種類。
M2カービンに赤外線スコープを載せた敵組織スラッシュの専用銃、スラッシュライフルもまた、変身銃の魅力を放っていた。
1960年代スパイモチャのお約束、付け足し育てる変身銃の家元こそ、我らがナポソロだったのである。

アメリカのオモチャメーカー、アイデアルが最初のライセンサーとして、TV放映と同時期の1964年にアンクルカービン(商品名ナポレオン・ソロ・ガン=上の写真)とスラッシュライフル(左下の写真)を含む4種類のプラスチック製キャップガンを発売した。
紙巻き火薬を金属製マガジンに入れ、グリップ下から装填するという作りは4種共通で、しかも同じマガジンがすべてに流用されるという賢い作りだった。
対象年齢は小学生ぐらいか、店主がもし中学生のとき見たとしても、スラッシュライフル以外、親にねだることはなかったと思う。
ベースとなった実銃ワルサーP38からはほど遠く、むしろSF的ともいえる形状は、いまだからこそ愛らしく、物欲を刺激する。
1年遅れて1965年にはイギリスのローンスターからも、アンクルタイプが出た。
こちらは同社がすでに発売していた3分の2サイズのダイキャスト製キャップガンのモーゼルに、U.N.C.L.E.のロゴをあしらったもの。
サイレンサーとホルスターの3点セットのほか、豪華アタッチメントをアタッシュケースに収めたカービン・タイプが、おもにヨーロッパで売られた。
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アンクルタイプと呼ぶには貧弱な子供仕様の外国製ナポソロ・ガンとは、あきらかに一線を画するハイエンドなヤツが、ちょうどいまから40年前の1966年、東京上野で産声を上げた。
いまだにヤフオクにかかると、激しい争奪戦が繰り広げられるファン垂涎の品。
モデルガンメーカーのパイオニア、MGCのP38アンクルタイプ(右上のチラシと下の写真の右側)である。
ボーイズライフにも広告が載った。
マテルのスパイモチャやスナッブノーズにはじまり、ついにはMGCのモデルガンでオモチャ遊びの最前線にいた少年時代の店主にとって、それはトドメの何ものでもなかった。
モデルガンの売りでもあった“リアル”とは微妙に異なる、夢と遊びのメカニズムで動くオートマチック・ピストル。
当時、ステージガンという言葉を知っていたら、もうそれだけで気持ちの整理がついただろう別格のモデルガン、それがMGCのアンクルタイプだったのだ。
猫も杓子も同じ黒革なのが気にくわないと、あるとき茶色のアタッシュケースに替えた父からお古をもらい、アンクルタイプがきれいに収納できるよう改造して、遊んだ。
アタッシュケースから取り出し、組立てたり、分解したり、また組立てたり。
あまりイジりすぎて、スコープマウントを取り付けるネジ山を潰してしまい、泣いた。
MGCのライバル、中田商店からもアンクルタイプ(下の写真の左側)が出た。
こちらはオリジナルにはない(アイデアルのカービンにはあった)ビポッドが用意された。
プラスチック製のグリップに鉄の重いストックを着けると、ギシギシきしむイヤ〜な音がして、取り回しには十分気をつけねばならなかった。
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毎週、欠かさず観ていたナポソロだったけれど、前後編からなるいくつかのエピソードはTV放映されないまま劇場版として公開されたために、未見のままだった。
1965年の映画“0011ナポレオン・ソロ/消された顔”もそのひとつで、最近やっと機会を得て、噂どうりだったことを確認したのである。
映画がはじまってすぐ、イリアが2台の小型ロボットに襲われアンクルタイプで反撃するシーン。
じつはそのロボットこそ、構造がやっかい過ぎて小学生の店主には完成できなかった懐かしのプラモ、ビッグサンダーボーイの原形となったロボットコマンドだったのだ。
赤い頭と青のからだがカラフルポップなロボットモチャの代表選手(当店サイトのトップに登場)。
ナポソロのライセンサー、アイデアルの大ヒット商品だったばかりか、それは1960年代のアメリカ少年たちを熱狂させたオッキモチャ・ブームの火付け役でもあった。
スパイモチャからオッキモチャへ、店主の玩具道は果てしなく続くのである。

アンクルタイプ大行進!
by tomenosuke_2006 | 2006-07-24 18:47 | ムカシモチャ
スパイモチャ/その2/アタッシュケースもの
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仕事で大阪に出かけていた父が、おみやげの入ったステーションデパートの包みと見慣れぬカバンを手に提げ、帰宅した。
包みの中身は新しいエージェントゼロだと想像がついた。
このまえ、はじめてスナップショットガンを買ってくれたとき、ほかにも種類があると聞かされていたし、子供のおみやげという口実で、じつは自分が触ったり、ぜんぶ買ってみたくなるという父の性格を知っていたから。
もちろん新しいオモチャをすぐにでも見たかったけれど、それよりも気になるのは父がうれしそうに、いくぶん自慢気に持ち帰った板のように薄く四角い黒革のカバンだった。
父が、カバンひとつですごくカッコよく見えた。
大阪では背広を着た会社員は、みんなこういうカバンを持ち、街を闊歩しているのだという。
このカバンの呼び名は、手提げでもなければ、書類入れや旅行カバンでもない、“アタッシュケース”なのだと教えてくれた。
なんと軽快な英語の響き。
そして父は、こう付け加えた。
007のカバンなんだ、と。

007の第2弾007/危機一発(1964年日本公開)をどこで観たのか、映画館だったかTVだったか、それとも“007/ロシアより愛をこめて”と改題されたリバイバル上映のときだったか。
とにかく英国情報部の発明係のQが、任務につくジェームス・ボンド(ショーン・コネリー)に渡したガジェットのひとつが、秘密の仕掛けが施された特製のアタッシュケースだった。(ボンドはいつもQの説明をチャカしてばかりで真面目に聞こうとしないくせに、必ず彼の発明品で命を救われる)
スラッとかっこいい細身のスーツに身を包んだボンドには、エッジのきいた黒いアタッシュケースがよく似合った。
世界の美女を片っ端からものにするスーパースパイに、世のオヤジたちが心酔し、劇中、彼がつねに携行する特徴的なカバンとよく似たヤツを自分も持って、一発キメてみたいと思ったのも不思議ではなかった。
けっこう、むかしの大人は(も)ミーハーだったのだ。

大人の世界がそうだから、少年の世界はもっと楽しかった。
とはいっても、アタッシュケースもののスパイモチャで遊んでいたのはアメリカの少年たち。
子供をダシにしてまでオモチャを買うのが好きな父が、おみやげに持ち帰らなかったところをみると、お目に叶う日本製品はなく、海外製品もあまり輸入されていなかったと思われる。
店主が集めたものも、いくつかはLAに住んでいた20年以上まえにガレージセールやスワップミートでの掘り出し物。
あとはebayを通じて、アメリカやヨーロッパのコレクターから譲り受けたものである。
中でも完品を見つけ出すのがいちばんやっかいなのは、その名もずばりジェームス・ボンド・アタッシュケース(左上の写真)。
007のガンシンボル・ロゴをいたるところにあしらった世界で最初の007印の子供向けライセンス商品で、かつアタッシュケースものの草分けだ。
アメリカのギルバートから1964年に発売された。
名刺にパスポート、紙幣に手帳に専用鉛筆までついているが、なぜかお札にだけMade in Japanの文字が。
やや遅れてアメリカのトッパーズトイからは、2種類のアタッシュケースもの(右上のアドの中ほど)が発売された。
ひとつはオリジナルキャラのサムという名のスパイが愛用しているという設定のシークレット・サム、小型カメラが付属した。
そしてもうひとつがマルチピストル09。
このふたつはジャームス・ボンド・アタッシュケースの値段8ドル88セントの半額以下の、3ドル33セントで1965年のクリスマス商戦に参入、本家に迫る勢いで売れた。
もちろん少年たちのいちばんのお目当てはアタッシュケースの中のピストルだ。
どれもロングバレルにサイレンサー、スコープにストックといったパーツ類が付属して、すべてを取り付けるとメカむき出しのカービン銃の出来上がり。
そのカッコよさ、ユニークさで人気を競った。
なんとシークレット・サムのカービン銃には水平に取り付けるスコープのほかに、垂直に立てる潜望鏡までついて、垣根ごしに敵国のスパイを偵察するにはもってこいだった。
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手のひらに収まる小型銃に別の部品を付け足しながら、異なる形状の武器へと変身、強化させるという行いこそが、少年の冒険心を大いに刺激した。
近年でいうところの合体ロボや変身メカ的、工作と創造とメタモルホーゼの興奮。
ボンドが愛銃のワルサーPPKに長いサイレンサーをネジ留めするシーンを見るだけで、熱くなる男子は多い。(ね、四国のお百姓さん)
だからこそ007/危機一発でボンドがアタッシュケースから取り出した実銃のAR7を組立て、スナイパーライフルに変身させて敵を狙うシーンは、男子垂涎の一コマなのだ。
アタッシュケースものスパイモチャ、あるいはすべての血わき肉躍る変身銃の原点は、じつはここにあったのだった。
というわけでスパイモチャ物語の次に触れなければならないのが、原点の007を凌駕して変身銃の極みに達した0011について。
TVシリーズ0011ナポレオン・ソロに登場した通称アンクルタイプと呼ばれた銃ほど、いまだに多くの男子たちを惑わし続けているものはないのだった。
トートツだが、田舎に住んでたわりにはお洒落な、軟派なようで堅物の、父の言葉を思い出した。
007/危機一発という題名は、間違った日本語を子供たちに植えつけてしまいそうで、よくない。
キキイッパツは、危機一髪と書くのが本当なのだ、お前ぐらいは覚えておきなさい。
そんなことどうでもいいのにと思いつつ、その3、最終回へとつづく。

上はサイドショートイから発売された12インチのQ。右手に抱えているのがAR7である。店長としてはストックは黒くしてもらいたかった。当店ではサイドショーから発売され絶版となったショーン・コネリー時代の007関連フィギュアを随時補充、ビンテージのスパイモチャといっしょに販売していく計画である。



もっとアタッシュケース。
by tomenosuke_2006 | 2006-07-18 22:22 | ムカシモチャ
スパイモチャ/その1/マテルもの
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1960年代といえば、少年には、とっても複雑な時代だった。
TVなら0011ナポレオン・ソロ、映画なら007、細身のスーツがかっこいいスーパー・スパイの活躍に胸躍らせた。
少年は、なぜスパイものが流行っているのか考えもしなかったけれど、じつは当時のアメリカとソビエト(米ソ)は互いを仮想敵国と想定し、勢力拡大と軍備拡張を競い合っていた。
核兵器開発と宇宙開発は大国間の競争を象徴する最たるものだった。
当然のことながら本物のスパイが暗躍し、時代の空気に敏感なショービジネス界がそれを娯楽のネタにした。
少年はそんな世界の緊張など知らないから、スパイに憧れ、彼らが使うピストルとか秘密兵器のオモチャが欲しくてたまらなかった。
60年代中ごろ、007の新作第5弾007は2度死ぬが日本ロケされることになり、スパイ・ブームは絶好調に達した。
少年も有頂天だった。
白いビキニの浜美枝が少年に思春期の到来を告げた。
けれど一方で不穏な社会の変化が気になりはじめてもいた。
たとえば月に1度は行く床屋の待合室で目にするグラフ雑誌。
たびたびベトナム戦争を特集し、正視にたえない報道写真が表紙を飾るようになっていた。
新聞やTVも連日、戦争を伝えた。
無残な死をとらえたドキュメンタリーは、けれど少年には強烈過ぎて、無関心を装うこと、スパイTVや映画にますます傾注することで、夢の中へ逃げていったのだった。

そんな複雑な時代は、スパイモチャの時代だったのである。
まず、アメリカの最大手玩具メーカーマテルが、映画やTVやコミックネタではなく、オリジナルのスパイモチャ・シリーズ、エージェントゼロ=Agent ZEROで先陣を切った。
材質はおもにプラスチック。
ムービーカメラがマシンガンに変身するムービーショットガン(左上の写真)や、小型カメラがピストルに変身するスナップショットガン(右上の写真)。
トランジスタラジオやポケットナイフがボタン1発でライフルやピストルに変わった。
いずれも火薬で発火音を楽しむ、いわゆるキャップガン。
このうち、ポケットナイフ(商品名はポケットショットナイフ)だけ、ゴム製の刃以外は金属製で、他とは異なる重さと感触だった。
エージェントゼロ発売まえからマテルはキャップガンで有名だった。
ファンナー50=Fanner50という名のコルトピースメーカー・タイプ(西部劇風)のキャップガンをヒットさせていたのだ。
そのファンナー50の銃身を切り詰め、握りのエッジを丸くまとめて出したのが、現代リボルバーのスナブノーズ=Snub Noseだった。
これは一時期、エージェントゼロのシリーズに加えられたり、70年代はじめには新聞連載のコミック“ディック・トレーシー”とタイアップ、専用ホルスター付きで再販された。
ファンナー50やスナッブノーズはマテルの専売特許シューティングシェルを使うキャップガンだ。
スプリングが仕掛けられた薬莢にプラスチックの弾丸を差し込み、さらに薬莢の裏に丸い紙火薬を貼って撃つと、発火音とともに弾丸が放物線を描いて飛んでいく。
1960年代はじめ、東京の小さな会社が、このマテルのスナッブノーズを黒く染めたカスタムガンを販売していたが、じつはその会社こそ、日本で最初のモデルガン・メーカーとして旗揚げし、のちに“007は2度死ぬ”の日本ロケにハイエンドなステージガンを提供することになるMGCだったのである。
つづく。
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スナッブノーズ。左がシューティングシェルのセット大小で、完品は銃本体よりも入手困難だ。



エージェントゼロだよ。
by tomenosuke_2006 | 2006-07-15 21:13 | ムカシモチャ
こんなもの見つけたばっかりに。
店長が小学5年生(およそ43年前)のころのマイブームといえば、第1次アニメブームを背景に続々と発売されたロボット・プラモを集めることだった。
中でもビッグサンダーボーイの迫力は忘れられず、結局は小学生の自分には完成できなかった悔しさから、いまもそのルーツとなったアメリカ版“ロボット・コマンド”を探し出し、完品にレストアするのを楽しんでいる。
ま、ロボット・コマンドの物語は別の機会にゆずるとして、去年あたりから、ロボット小学生を卒業し、モデルガン中学生なったあのころを追体験しているというお話。
きっけは実家の納戸で見つけた紙袋。
中から当時のモデルガン・カタログがざくざく出てきて、夢よふたたび状態に陥ってしまったのだ。
思えば1960年代半ばのモデルガン自主規制時代。
バレルにインサートは入っていたけれど、亜鉛ダイキャストのボディは黒光りして、握れば冷たく、本物はきっとこうだろうと思わせるリアリズムの虜になっていた。
中学生には過ぎた趣味?
せっせと貯めた小遣やお年玉をにぎりしめ、高山線に3時間ゆられて、名古屋のオガワ屋というお店に何度も通った。
オガワ屋では、おもにMGCモノを買った。
帰りは中日シネラマでパリは燃えているかを観たりした。
代金を入れ、二重三重に封をした現金書留と引替えに届けられる通販が、また楽しかった。
MGCが新製品の予告をすると、その発売前にすかさず商品化した上野の中田商店には、お世話になった。
コルトガバメントは味も素っ気もないタダの鉄の塊のような失敗作だったけれど、ルガーP08はトリガーの位置こそ実物とは異なるものの、トグルがガシャンガシャン上下する激しい指アクションで、そりゃぁシビレた。
思えば、実家の2階の子供部屋は、下呂の少年文化の発進基地だった。
しじゅう、部屋は遊びに来た男の子でいっぱいだった。
出張の多いオモチャ好きの父のおかげもあって、弟はGIジョーとミニカー、兄の店主はマテルのエージェントゼロ=Agent Zeroやスナッブノーズ=Snub Noseのあと、モデルガンに到達していた(ヴィンテージ・アメトイはToyNfo.comで検索できます)。
店主のことはおのずとみんなの知るところとなり、真面目なガリ勉野郎や生徒会の役員たちから、モデルガンを集めているというだけで非難を浴びた。
折しも本物そっくりのモデルガンが犯罪に悪用されたりして、物議をかもしはじめたころ。
そして高校3年生のとき(1971年)、とうとうおとずれたモデルガンの暗黒時代、いわゆる昭和46年規制発令!a0077842_2155886.jpg
銃刀法が改正されて、それまでの黒鉄モデルガンの所持が禁止されることになり、なんとオマワリ(敬称略)が黄色のペンキ持参で当家を訪ねて来たのだった。
以来、新しい金メッキのモデルガンを買う気は失せ、黄色の思い出は散逸して、いまに至っていたのだが、納戸にカタログを見つけたばっかりに。
Yahoo!オークションのここらあたりからボチボチ入っていき、遊んでいるうちに、いまではよき理解者にも恵まれ、楽しく意見交換したりしている。
売買は法的に厳禁だから、留之助商店の取扱商品とはいかないけれど、だからこそ店主唯一の、商売抜きでくつろげる密かな愉しみとなっている。
そんなとこです、四国の自称「お百姓さん」。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
by tomenosuke_2006 | 2006-07-11 21:30 | ムカシモチャ
JVC Video Capsule
気がついてよかった。
10日以上まえ(つまり入院するまえ)から狙っていたebayの出モノ、1973年製JVC Video Capsule(ビデオ・カプセル)の落札時間が、あと15時間に迫っていた。
・・・腎生検のあとは出血しやすく、一晩安静がきまりだから、夜中ごそごそノートブックを取り出して入札なんてできっこない・・・
ebayは自動延長がないぶんだけ、ヤフオクよりスリリングで面白い。
秒刻みの入札合戦。
残り数秒でひっくり返され、悔しい思いをしたことが何度かある。
残り数秒でひっくり返し、いい気分になったことが何度もある。
が、今回だけは競争を断念し、高めに入れておいて、あしたの朝の楽しみにしておこう。
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時代物家電も当店のレパートリーのひとつである。
時代物といっても、とくに60〜70年代の奇抜なデザインのレコードプレーヤーやラジオやTV。
ヴィンテージFMラジオはFMトランスミッターiTripをつけてiPodコンパチで楽しむ。
さしずめ音源は必須のビートルズに、ぜったいモンキーズ。
ナンシー・シナトラやシルヴィ・ヴァルタンもいい。
DVDデッキをつないだヴィンテージTVで0011ナポレオン・ソロでも再生すれば、気分はもはやいたいけな少年時代。
ただしアメリカから仕入れるラジオやTVは、そのまま日本の環境では使えない。
たとえばiPodはiTrip Stationsと呼ばれるアメリカ版プレイリストをアメリカのサイトからダウンロードして周波数帯域を増やす必要がある。
TVはRFモジュレーターという小さなメカをデッキの間にかまして使う。
いま狙っているJVC Video Capsuleは、FMとTVの一粒で二度おいしいコンパチモデル。
何がなんでも落とさねば。
by tomenosuke_2006 | 2006-07-07 13:20 | ムカシモチャ