カテゴリ:TV・映画・ビデオ( 78 )
ありがとう、比嘉Bros.。
留之助商店開店3周年記念アニメを心意気で作ってくれた比嘉Bros.だけれど、好意に甘えっぱなしじゃマズイ、何かお返しをしないことには。
といって、飛騨牛じゃ芸がないでしょ。
彼らが絶対よろこんでくれるサムシング・スペシャルなものを、じつはずっと探し回っていたんだよ。
24年まえに帰国して以来、触ったことさえなかったもの。
先週、記憶を頼りに下呂温泉の別荘や倉庫をくまなくチェックしたが見つからなかった。
残すは実家の裏手の土蔵。
LAから帰った際、さしあたって必要なさそうなものを蔵の奥にムリヤリ押し込んだのだけれど、あと、あるとしたらそこの大小数個の段ボール箱しか考えられないのだ。
そこできょう、下呂へ戻り、蔵に入ってすぐピンときた。
誰かに呼ばれているような気配を感じ、真っ先に開けた箱の中に、それはいた。
恐竜の頭、店主がはじめて手にしてから30年になろうとしている石膏像である。
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それは、いまは亡きモデル・アニメーターであり、後年、比嘉Bros.が弟子入りするDavid Allenから譲り受けたものだった。
1980年、バーバンクの古い映画館を改装した彼のスタジオ兼住居の片隅でそれを見つけ、物欲しそうに触っていたら、「あげるよ」と言われて大喜びした日のことを覚えている。
いわれを訊ねると、少年時代に遊びで彫った恐竜の頭を型取りしたものだということだった。
中途半端なペイントもデイブの仕業。
首が真っ平らに切断されているのは、剥製のように板に取り付けて飾ろうと思ったからだとも言っていた。
ぜひ店主に代わって可愛がってやってください。
そしてもしよかったら、デイブが途中で投げ出した飾り板を取り付けて完成させてみてください。
水曜日、榎本店長に梱包してもらい、ヤマト便で送ります。
おっとそれから、飛騨牛は別便で。
by tomenosuke_2006 | 2009-10-12 23:16 | TV・映画・ビデオ
留之助商店開店3周年記念アニメ by 比嘉Bros.

by tomenosuke_2006 | 2009-10-12 12:33 | TV・映画・ビデオ
きょう9月22日はナポソロ生誕45周年です。
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1964年のきょう、9月22日にアメリカで『0011ナポレオン・ソロ』(The Man From U.N.C.L.E.)の放送がはじまった。
日本では『バークにまかせろ』の後番組として登場したことを、いまもはっきり覚えている。
運転手付きのロールスロイスを乗り回すプレイボーイにして殺人課の警部エイモス・バークの活躍、若山弦蔵さんのしびれるような低音とオネエ言葉のアテレコがぴったりハマっていたっけ。
お決まりのハリウッド美女とのラブシーンについ目を伏せたりした中学1年生は、バークの最終話のあとに流れた予告編の“0011”の文字と、それに続く奇妙なカタカナ“ナポレオン・ソロ”のタイトルに期待を募らせないではいられなかった。
オネエ言葉を受け継いだスーパースパイ・コンビのカッコよさ、アンクル本部への秘密の入り口と、その奥にある先端技術の粋を集めた司令室の様子にときめき、秘密兵器や変わった形の銃に目をしばたたかせる。
思えば最初に受けた感激を毎週繰り返し味わい、およそ4年間、飽きるどころかますます病みつきになっていった。
とくにアンクルガンの深みにはまり、いまだに抜け出せないでいるのだから我ながらどーしたものかと。
ナポソロ45周年、留之助商店3周年の記念に準備した限定3挺の手作りトイガン、一部修正のため今月末の発売には間に合いそうもない。
ま、こんな極私的なお遊びに付き合ってくれる人なんてそーいるとは思えないけれど、マルシン製のエクセレント・ヘビーウエイト、ダミーカーットリッジ・タイプのM1910を使ってます。
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by tomenosuke_2006 | 2009-09-22 09:55 | TV・映画・ビデオ
とりあえずチケットだけは確保しました。
ステージを左前方に眺める1階通路側の79番テーブル席、2名分。
11月18日水曜日、ハリウッド大通りのThe Music Box at Fondaで開催されるThe Pee-wee Herman Show LIVE ON STAGEのチケットです。
あのピーウィ・ハーマンが復活するんですよ、TVショーの変なキャラやパペットたちといっしょに、しかも大人向けショーとして。
声変りしかけのような太く甲高い声で歌ったり、長い手足を海藻のようにフワフワさせて踊ったりするんでしょうね、むかしのように。
年齢を感じさせないオバカぶりに大期待、今年もっとも意表を突くエンタメ・イベントだと思います、ステージデザインも大いに気になるところです。
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More: 同時期、こんなイベントもあることだし。
by tomenosuke_2006 | 2009-08-12 17:40 | TV・映画・ビデオ
30年前、V.I.N.CENT.の1979年っていう年は。
『スター・ウォーズ』の大ヒットでSF映画が娯楽の王道に躍り出たのが1977年、それ以前にSFが好きなんて口にしたら、周りから白い目で見られた迫害の歴史をオジサンなら忘れない。
とにもかくにもSWのおかげさま、SF映画ブームの火は日増しに強まり、70年代の終わりにはもはや猛炎となって世界中に燃え広がっていた。
1979年、いわゆるSFバブル時代の幕開きである。
その年を振り返ると出てくる出てくる、忘れがたき傑作やほとんど忘れてしまった珍作の数々、『ブラックホール』はどちらかというと後者に限りなく近い惜しまれる大予算映画だった。
1979年の傑作:リドリー・スコットの『エイリアン』、クローネンバーグの『ザ・ブルード』、ロメロの『ゾンビ』、ジョージ・ミラーの『マッドマックス』、ロバート・ワイズの『スター・トレック』、ニコラス・メイヤーの『タイム・アフター・タイム』。
1979年の単なる大予算映画:『宇宙空母ギャラクティカ』、『スペース・レイダース』(バック・ロジャースのリメイク)、『ブラックホール』、『メテオ』、『007/ムーンレイカー』、『1941』。
1979年の明らかに珍作:『殺人蜜蜂大襲来アメリカ大陸滅亡の日』、『銀河戦争/宇宙巨大戦艦・スターシップSOS』。
ジャストミートもあればスマッシュヒットもあり、大ぶり三振なんてのも少なくなかったが、いずれにしてもすべてが愛しいSF映画にちがいなかった。
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そんな時代に飛び出したビンセントとは、MINDstyleがリバイバルモチャ化でもしない限り、ほとんど誰の話題にも登らなかった洋風ダルマ、ぶっちゃけ、失われたロボットだった。
けれど、思い出してしまった以上は気になって仕方ない、いまさらながらに頭から離れなくなるSFキャラなのである。
ビンセントにとってこの30年という長く静かな時間は、彼の真の魅力を熟成するためのイニシエーションだったのかもしれない。
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1979年にはUS版STARLOGのこんな別冊が出版されたけれど、『ブラックホール』やビンセントに関する記述は一切載っていなかった。
それがライセンスの問題によるものか、タイミングが悪かったのか、採り上げるに及ばないと編者が考えたのか、そこのところは分からない。
by tomenosuke_2006 | 2009-08-08 23:07 | TV・映画・ビデオ
M・ジャクソンと同じ日に。
1970年代から80年代の、つまり店主の青春時代のセックス・シンボルは『チャーリーズ・エンジェル』の清く明るく眩しいファラ・フォーセットだった。
マイケル・ジャクソンと同じ日の6月25日、天に召され、真のエンジェルになったのでした。
享年62才。
ご冥福をお祈りします。


by tomenosuke_2006 | 2009-06-27 13:00 | TV・映画・ビデオ
T4帰りに留之助商店へ。
っていう地元、もしくは飛騨高山近郊にお住まいのお客さまで賑わった日曜日の留之助商店でした。
大半はウチにエンスケがいるのを以前からご存知で、いい機会だからついでに寄ってみるべ、と相成ったカップルやご家族連れだったようです。
関連グッズにも興味がおありのようでしたが、みなさん目もくれなかったのが店主イチ押しのターミネイドだったと店長から聞かされ、自暴自棄になりかけてます。
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ところで『ターミネーター4』だけれど、店主は土曜のレートショーで観て、ことさらに話題にせずともよしと判断した次第、予告編にはそそられたのになぁ。
明言しておきますが、SF映画は男子のオモチャである。
なのにT4は男SF映画の気骨きわめて軟弱、アイディアやビジュアルを筋肉に例えるなら隆々としているのに、それをストーリーという骨に結合させる腱がナヨナヨなのだ。
ここでいう腱とは、強靭な硬タンパク質の繊維性組織に等しい表現者のこころざしを指す。
誰がヒーローで誰がヒロインなのか分からなくなる映画に戸惑いながら、唯一、心に残ったのは輪廻の子、カイル・リースを演じた若手俳優だった。
だってこの人、数あるスタトレ映画の中でも店主初めて感動した新作『スター・トレック』で、ロシア訛りの若き日のチェコフを演じてた彼でしょ。
で、その傑作は誰の仕業かと思ったら、なんのことはない『クローバーフィールド』の男子、J.J.エイブラムス監督だったんだね、納得。
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最新ターミネーター・グッズはハリコレへ。
ひつこいようですが、ターミネイドは当店でしか買えません。
by tomenosuke_2006 | 2009-06-14 23:59 | TV・映画・ビデオ
グラン・トリノの余韻に耽る。
映画と店主というカテゴリを用意したくらいせっせと映画館通いをしているわりに、書き留めておきたいと思う作品にはとんとお目にかかれない。
途中お茶をして家に帰り、のんびり風呂を浴びたあと部屋のキーボードに向かうまで、つまり感動を醸成し言葉に置き換えるまで、長く余韻の続く映画などめったにないということなのだ。
試写室やプレビュー会場で映画をタダ観していた頃とはちがい、いまでは普通にお代を払うコンシュマー映画ファンだといことも大いに関係している。
1日数百人のビジターしかいないこんなメディアで、そのうちの何人が映画ファンか知る由もないが、口車に乗せてムダ遣いさせてはならないという変な責任を感じるのだ。
昔、配給会社の片棒を何度も担いだ気がする。

土曜日、名古屋のミッドランド・スクエア・シネマでクリント・イーストウッドの主演・監督作『グラン・トリノ』のレイトショーを観た。
話の筋からしてこじんまりとした作りのわりには薄らぐことのない余韻こそ、もはや映画の神が乗り移ったとしか思えないイーストウッドの器量による。
当年78才のイーストウッド最後の出演作だというが、『荒野の用心棒』(1964年)や『ダーティハリー』(1971年)の時代から彼の映画に親しんできた者にとっては、イーストウッドがかつて演じた無敵のアウトローが晩年を迎えたとしか思えないキャラクターにほくそ笑み、これぞ有終の美を飾るにふさわしいスターの肖像を見るようでもある。
朝鮮戦争に従軍し、傍らには手入れの行き届いたM1カービンとコルト・ガバメントを置く、つねに戦闘態勢でいる男。
フォードの自動車工場で務め上げ、いまも新車同然の72年式グラン・トリノを慈しみ、メインストリートを我が物顔で行き交う日本車を苦々しく思う男。
最愛の妻に先立たれ、ふたりの息子やその家族とは相容れず、気に入らないと犬のように唸る男。
時代の変化を受け入れようとはせず、現世に未練なく、肺を病む頑固な老人は、隣に越してきたラオス人の少年と奇妙な友情を深めながら、ある不幸な事件をきっかけに人生の退き際を見つける。
これは観る者によってさまざまな感慨を覚えさせるいくつもの顔を持った映画といえるだろう。
店主はあまりにも現実的な設定や生き生きとした登場人物たちに、これが作り話であることを忘れ、老人の命に代えた指南で人生の尊さを学ぶだろうラオス人の少年とその姉をマジで羨ましく思った。
言い換えれば姉弟を演じた無名の俳優ふたりは、現在最高のスターと共演し、最高の監督の愛情溢れる演技指導を受けたのだ、何と幸せな経験だろう。
物語の悲しい別れとは裏腹に爽やかな未来を予感させる映画、名画の有りようをいま一度教えてくれる傑作である。
今度のアカデミー賞は『グラン・トリノ』が主要部門を総なめすることは間違いない。
もちろんエンディング・クレジットとともに流れるジェイミー・カラムの主題歌も。


by tomenosuke_2006 | 2009-04-26 23:59 | TV・映画・ビデオ
さらばパトリック・マクグーハン。
タイトなスーツがすっきり似合う秘密諜報部員ジョン・ドレイクとは、小学生の時に出会った。
0011ナポレオン・ソロが架空の秘密結社やマッドサイエンティストを相手に闘うのとちがい、NATO所属のジョン・ドレイクは西側のために働いていた。
東西スパイ戦の只中で裏切りや二重スパイの非情な罠に巻き込まれ、つねに頭脳の勝利をおさめる。
原題はDanger Man(アメリカ放映タイトルはSecret Agent、日本題名は『秘密指令』のちに『秘密諜報部員ジョン・ドレイク』)、軽快なオープニング・テーマはいまでも口ずさむことができる。
ジョン・ドレイクを演じたのは30代半ばのイギリス紳士パトリック・マクグーハン、番組の成功で1960年代イギリスTV界きっての大スターとなった。
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しかし彼が希代のクリエイターと称賛されたのは『秘密諜報部員ジョン・ドレイク』の放送が終わり、自らの企画・主演(ときには脚本や監督も担当)による新番組『プリズナーNo.6』が放送された1968年のことである。
当時中学3年の店主にはカフカ的不条理に満ちたTV番組を理解できるほどの知恵はなく、ただただ不思議をあんぐり面白がるだけ。
『プリズナーNo.6』を解明するのに10年あまりを要しただろうか、核心に迫ったのは25才の頃、その思いの丈をSF雑誌奇想天外の連載『新主流派SF映画作家論』に書き綴ったのだった、でも恥文。
現代社会の非人間化、個人的自由の喪失、国家的意志に対する個人の服従といったSFの主題でもある社会の中に実在する真の危機を寓話のかたちを借りて描いた傑作である、とかなんとか書いたような。
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当時、1970年代の終わりといえば、ハリウッドに移り住んだマクグーハンが『刑事コロンボ』の主演俳優ピーター・フォークと意気投合して、そのTVシリーズにゲスト出演したり何度か監督をこなし、クリント・イーストウッド主演の『アルカトラズからの脱出』では『プリズナーNo.6』とまったく逆の立場の冷徹な刑務所長を演じて、ファンにはまだまだ楽しみの尽きない時代だった。
さらに店主がLAに住み始めた1981年には、デイヴィッド・クローネンバーグ監督の『スキャナーズ』で威風辺りを払うマクグーハンとスクリーン越しの再会を果たした。
そのクローネンバーグ監督へのインタビューをセットアップしてくれたパブリシストにマクグーハンと直に会えないものかと打診すると病気療養中だと教えられ、監督に現場でのマクグーハンのことを尋ねるとアルコールに強く依存し、撮影がいささか難航したと聞かされた。
しばらくたって盟友ピーター・フォークの『新・刑事コロンボ』で監督のほか、ときには共演、製作総指揮、脚本もこなしたが、その後はほとんど彼の名前を聞くことはなかった。
晩年は長年連れ添った妻や娘や孫たちと幸福な引退生活を送っていたとか。
2009年1月13日、入院先のサンタモニカの病院で静かに息を引き取ったことを新聞で知り、ふといろんなことに思いを馳せてみたのだった。
享年86歳。
パトリック・マクグーハンの出世作『秘密諜報部員ジョン・ドレイク』は、アメリカで原題のDanger ManがSecret Agentに改題されたと先述したが、その際、ジョニー・リバースが歌うSecret Agent Manというテーマ曲が新たに作られて世界中で大ヒットした。
それを彼の葬送曲としたい。


by tomenosuke_2006 | 2009-01-18 17:17 | TV・映画・ビデオ
沖縄を発つ直前にも比嘉Bros.
3泊4日の沖縄滞在中、毎晩マッサージにかかり、島を離れる1月16日も早めにチェックインした那覇空港でIMAGE(イマージュ)っていうお店を見つけると、これまた60分全身スクワランヒートっていうボディケアにとろけ、初老夫婦の旅はこうして平和なエンディングを迎えたのだった。
最後の最後に間接的だけれど比嘉Bros.の見送りをうけるというオマケまでついて。
というのは、ディズニーアニメのスティッチの絵を2種類ずつあしらった3枚の巨大な垂れ幕を空港ロビーの吹き抜けに見つけ、目を凝らすと右端がヒガブラ作品じゃないですか。
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とかく目立ちたがったり、何でもかんでも自分の手柄にしたがる人ばかりの世知辛い世の中で、ヒガブラの寡黙は雑踏に絶滅保護種を発見したような奇跡に等しく、驚くと同時に心底お見逸れしたのだった。
けっこう控え目なつもりの店主でさえ、もし留之助の何かが飛騨高山駅の待合室に飾られたりしたら、絶対帰りに見てくださいねって念を押すに決まってる。
ま、とにかく事の真相を正すべくメールを入れると、こんなレスが。

スティッチ、ご覧になられたのですかぁ!
ポストカードまでご購入くださりありがとうございます。
じつは沖縄を舞台?にしたTV版スティッチが昨年から放送されてまして、その案を出したのが現在のディズニージャパンの社長(アメリカ人)だそうです。
彼は元々、沖縄コカ・コーラで働いていたお偉いさんらしく、大の沖縄好き。
TV版スティッチの放送にあたり、沖縄県でディズニー商品を販売する会社が県内で活躍するアーティストを選び、それをディズニーが最終審査で厳選し、ポストカード・デザインを制作させたということなんですょ。
僕らも最初、ハブ・スティッチ、シーサー・スティッチ、キジムナー・スティッチ等々、キモカワなデザインばかりしたので、ディズニーからダメ出しばかりされ、最終的に無難な琉球空手スティッチになりました。
那覇空港にあります大型垂れ幕は昨年12月から、今月いっぱい展示予定だそうです。(残り半月)
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というわけで那覇空港で買ってきたヒガブラ作のスティッチ人形が印刷された沖縄限定ポストカード6枚を、これより当店で1万円以上お買い上げいただいた先着6名さまへのおみやげにしたいと思います。
ところで摂氏17度の沖縄からセントレアへ戻り、東海北陸自動車道を北上して飛騨高山に帰り着く道すがら、ひるがの高原あたりの気温は氷点下13度ときた。
1日でプラスマイナス30度の経験はこれが生まれて初めてだったかもしれない。
by tomenosuke_2006 | 2009-01-18 01:00 | TV・映画・ビデオ