タグ:スター・ウォーズ ( 82 ) タグの人気記事
当店に非売品はひとつもございませんが・・・。
お店にあるものはぜんぶ売り物、非売品は置かない。
っていうのが留之助商店のモットーなんだけど、あわてて売らなくていいもの、あまり売りたくないものなんかには、忘れたフリしてプライスタグをつけてない。
冷やかしでもそうでない人でも、値段をきかれた場合には、とりあえず大袈裟な、けん制球的値段をいうことにしている。
おかげさまでT1のエンスケやエイリアン2のウォーリアなど、本物プロップの値段を聞いて、じゃぁこれちょうだいっていった人はいまのところいない。
これいくら?って聞く人は、たぶんそれが何なのか知ってるわけだよね。
そういう意味では一度も値段を尋ねられたことがない、つまりほとんどの人に興味を抱いてもらえない、でも店主イチ押しのプロップが、下の写真のカブリものなのであるよ。
a0077842_125681.jpg
通称ツーホーンズ(TWO HORNS)、コーネル(CORNEL)ともカーネル(KERNEL)とも呼ばれる。
発泡ウレタンのかたまりをナイフやハサミで巧みに削り出し、その上にラテックスゴムをハケ塗りして形状を整え、眼球レンズを接着し、ブラシで色を吹いて仕上げた、専門用語でいうところのビルドアップ・マスクだ。
粘土彫刻を石膏モールドにとってラテックスゴムで抜く式の量産型マスクとは異なり、これは正真正銘の1点もの。
天にも地にも、これ1ッコきゃない。
凝視するまでもないだろ、作者の情感さえ伝わってくる生々しい仕上がり。
店主にとって、これこそ芸術のナニモノでもないのだ。
作者はリック・ベイカー
スペシャル・メーキャップ界の大御所、アカデミー受賞歴6回、いまでは神のような存在のリックが、まだ無名時代の1977年、B級SF映画溶解人間でボランティア的活躍をした直後にモンスター好きの友人(フィル・ティペット、ジョン・バーグ、ダグ・ベズウィック、ロブ・ボーティン)たちといっしょに雇われ、タイトなスケジュールと予算の中で創り出したエイリアンのひとつだった。
その映画とはスター・ウォーズ。
モスアイズリーの街の奇っ怪なエイリアンひしめく酒場カンティーナに、このツーホーンズはたむろしていた。
エリアン(2年後)でノストロモ号をデザインするロン・コッブのスケッチをもとに、リックによると、たった一晩で創り上げたものらしい。
いうまでもないけれど、SWの空前絶後の大ヒットでカンティーナ・シークェンスも大いに話題になり、結果、リックはスター・メーキャップ・アーティストの仲間入りを果たした。
そんな歴史の生き証人のようなツーホーンズが、飛騨高山のここにあるのが面白いよね。
a0077842_1255388.jpg

TV特番スター・ウォーズ・ホリデー・スペシャル


どういう経緯で店主のものになったかという話のまえに、ツーホーンズの変遷を少しばかり。
もともとツーホーンズはグレーっぽい色をしていたけれど、SWが公開された1977年のサンクス・ギビング・デイ(11月第4木曜日の感謝祭)にTV放送された特番“スター・ウォーズ・ホリデー・スペシャル”にゲスト出演した際、いまの色に化粧直しされた。
最初の撮影で表面のラテックスゴムが剥がれたり、傷ついたりしてダメージがひどく、グレーよりも濃い色でボロを隠す必要があったんだって。
そして3年、ツーホーンズはリックんちで大切に保管されてきたわけだけれど、日本から来たモンスター好きの青年(つまり店主)にあげる気になったと。
じつは前日、1980年の秋のある日、どういういきさつだったか忘れちゃったけれど、ユニバーサル・スタジオのジョン・ランディス監督のバンガロー(オフィスでも小ぶりの1軒屋をこう呼んだ)でジョンとリックに会えることになり、こういう日のために用意しておいた日本土産を持参した。
a0077842_12123099.jpg

↑ いまでも写真だけは大事にとっているところが店主らしい。


東京時代、コツコツためてきたムカシモチャのうち、ブルマァクのゴジラ(左)をジョンに、箱入りマイティコング(右)をリックにプレゼントしたのだよ。
こうして翌日、リックのワークショップに招待されたとき、お返しだよと渡された段ボール箱の中にあれ、ツーホーンズが入ってたというわけ。
オモチャミチは身を助ける、ことわざ通りでありました。
あまりのうれしさに心臓が止まりそうになった若き日のこと、そういう店主をやさしく眺めるリックの笑顔を、いまも鮮明に思い出すことができる、ウウッ。
ツーホーンズを店主が持ってると知ったら、きっとジョージ・ルーカスさん、欲しがるだろうね。
もし値段きかれたら、どれくらいのけん制球、投げようかしらね。
a0077842_13553465.jpg

ツーホンズが入っていた箱。クリック拡大してよく見てごらん。
右上にハリウッドにあった時代の最初期ILMのスタンプが押されている。
白ワクの中はそのスタンプの拡大画像。


by tomenosuke_2006 | 2007-01-02 23:36 | プロップ
コーヒーブレイク。
「多難でおかしなオモチャ屋さん開業への道」というサブタイトルのこのブログ、9月末にどうにか開業に漕ぎ着けたってこともあり、友人のひとりが「多難でおかしなオモチャ屋さん“成功”への道」に変えたらとアドバイスしてくれた。
けれど、ま、このままいくことにします。
成功なんていう言葉は肩の荷が重すぎるし、細く、長く、オモチャ屋の店主が続けられたら、それで十分。
初心を忘れないという意味も込めて、“開業”のままにしておきます。

それにしてもオモチャ屋きっかけではじめたブログを、仕事そっちのけで楽しんでる。
もはや本業(飛騨地区でいちばん忙しいお弁当屋がキャッチフレーズです)を放ったらかし、じつはオモチャ屋の店番も店長君にあずけて、暇さえあればブログしているかシーズンVの24、観てるか。
ブログという表現メディアが、かつて文章書いたり、本を編纂し、いまも創作意欲だけは衰えずにいる私にとっては、この上なくラクチンな場所なのだ。
締め切りがない。
文字数に決めがない。
カテゴリは雑誌にたとえれば複数の連載を受け持つような感じ。
好きなことを、好きなとき、好きなだけ書ける。
さらに都合がいいのは、アップロードしたあとでも書き直しがきくということ。
出版に関係していたころ、いつも締め切り間際まで改稿を繰り返したものだった。
映画の情報(技術的な事柄を含む)を扱っていたし、読者には手強いマニアが大勢いたから、何度も読み返し、間違いはないか、誤解をまねくような言い回しをしてないか、点検に次ぐ点検が当たり前になっていた。
それでもあとの祭りなんてこと、後悔することもしばしばだった。
ひきかえブログは、こっそり訂正できるし、実際、しじゅう手を加えている。
精神の解放区・・・なんて大袈裟なものではないけれど、ここではだれも私を取り押さえることはできない。
俺が法律なのだ!?
たったひとつ、1回のブログにアップロードできる画像が500KBまでという制約をのぞいては。

そんな自由なブログだから、1960年代アメリカのオッキモチャ関連で言いそびれたというか、話がどんどん横道にそれそうだったので遠慮してたこと、ここで書いておきます。
というのは“スター・ウォーズ”のジョージ・ルーカスがそれよりもまえの1973年に発表した映画アメリカン・グラフィティの時代と時代観について、少々。
a0077842_12164830.jpg
映画の冒頭だったかどこかで、こんなセンテンスが出てきた。
Where were you in '62 ? = 君は1962年、どこにいた?
ビル・ヘイリーとコメッツのロック・アラウンド・ザ・ロックにはじまり、ぜんぶで41曲のロックンロールが途切れなく繰り出されるその映画は、ファッションといい、クルマといい、カリフォルニアの風景といい、どれをとっても憧れのフィフティーズそのもの。
本当は60年代に入ってからのお話だったということを、忘れてしまいそうになる。
けれど50年代の文化風俗というものは、なにも1960年1月1日をもって衣替えとなり、クローゼットの奥に片づけられてしまったわけではない。
当然、新たなディケード(10年間)を迎えても、カーラジオからはきのうと同じヒット曲が流れ、ドライブインではチェリーコークがよく売れて、ソックホップ・パーティにナンパにシグナルレースが繰り返されていた。
むしろ華やかで活気に満ち、夢に溢れて、未来に何のかげりも感じないでいたフィフティーズの終焉は、ケネディ大統領の死の前後、ベトナム戦争が他人事でなくなった1963年ごろにおとずれたとみるのが正しいだろう。
1962年の卒業シーズン、カリフォルニアの小さな街で繰り広げられる若者たちの一夜の馬鹿騒ぎには、だから意味があったのだった。

そういう点からも60年代アメリカのオッキモチャの中でも、ロボット・コマンドを除くグレート・ガルー、キング・ザー、ビッグ・ルーたちは、むしろフィフティーズの精神によって生を授けられ、ゆえに短命で終わった不運の子だった。
アメリカン・グラフィティの主人公たちに弟がいれば、きっと買ってもらっていたにちがいないオッキモチャ。
もしいま実物を手にする幸運にめぐり合えたなら、アメリカン・グラフィティのDVD流すか、CD聴きながら、愛でてやってほしいと思う。

えっとー、留之助商店ではその幸運、売ってまーす。


by tomenosuke_2006 | 2006-10-10 22:00 | TV・映画・ビデオ