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大頭(オオアタマ)怪人が好き。
a0077842_6465671.jpgこの場合、頭でっかちという言葉は適当ではない。
理屈っぽいヤツ、生半可な知識をひけらかすヤツ、口先ばかりで行動の伴わないヤツ、そういうヤカラをちょいと小馬鹿にして頭でっかちと呼ぶわけで、頭がからだにくらべてやけに大きく、とっても不釣り合いなヒトのことは、大頭怪人といって区別すべきである。
店主は小学生の昔から大頭怪人が好きだった。
小学4年生のとき、父の背に隠れるようにして観ていた怖〜いテレビ番組空想科学劇場アウターリミッツ
この番組こそ大頭怪人の宝庫であり、子供の店主を大頭フェチにしてくれた張本人なのだった。
これから取り上げるキャラや話の内容はけっこう古臭いが、引用するモチャはそれほどむかし製ではないということで、チョイマモチャのカテゴリで話を進めたいと思う。
さて、どっぷり平和に浸り、無気力になってしまった現代人を憂えるがあまり、科学者がある男を異星からの侵略者に改造して衆目にさらし、社会に喝をあたえようとする。
ずいぶんと強引な計画も子供には説得力に満ちて、はじめは顔にできたデコボコの異変に苦しむ実験台の男が、とうとう肩幅の倍はあるかと思われる大頭の怪人に変身するのを見て、怖い反面、これは我が身を棄ててまで世の中の役に立とうとする人の美談なのだと感動した。
彼に敬意すら抱いてしまった。
アウターリミッツ第3話“ゆがめられた世界統一”。
大頭怪人が好きになる第一歩だった。
そして2週間後の第5話“狂った進化”。
今度は人間の進化を遺伝子操作で模擬実験する科学者が登場し、素朴で学問のない鉱夫を騙してムリヤリ未来人に改造してしまう。
未来人は現代人より手先が器用だから、指は細長く、1本増えて6本になる。
未来人は現代人より頭がいいから、当然脳みそも大きくなり、大頭怪人になるのだ。
子供にはじつに分かりやすい未来人の解釈。
そして、なんと儚く悲しい青年の物語であることか。
上のサイドショートイのパッケージがその未来人本人であり、のちに0011ナポレオン・ソロで人気を博すデビッド・マッカラムが好演した。
大頭怪人との遭遇2度目にして、子供の店主はもはや完全に気の毒な彼らの虜になってしまった。
見た目の不気味さとは裏腹の悲し宿命と計り知れない能力を、その大頭に秘めた者たちよ。
彼らと苦悩を分かち合うため、店主自ら大頭怪人になることを決意して、脳裏に焼き付いた未来人を参考にTVの中のイカれた科学者気取りで工作をはじめたのだった。
いくつものサイズの針金の輪を用意し、提灯の骨組みのように組み合わせて障子紙を貼り、大頭のカタチをした帽子をこしらえた。
今度はその提灯状の帽子に新聞紙を煮込んで作った手製の紙粘土を塗り固め、乾かして肌色に着色した。
試行錯誤の大頭変身計画はおよそ2カ月に及び、とうとう完成の日が訪れた。
大頭怪人になるため、けっこうな重さに膨れ上がったその帽子をかぶる日が来たのだ。
が、あろうことか額を包む針金の輪が何かの理由で縮んだのか、あるいは成長期にあった店主の頭がひとまわり大きくなっていたのか、どうやってもかぶれない。
憧れの大頭怪人になりきれず、泣きそうな顔で変なかたちの提灯を見つめる少年の姿があった。
大頭怪人にますますのめり込んでいく幼き時代の店主、文字通り頭でっかちな小僧っ子がそこにはいたのだった。
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重要な役をになっている風でもなく、むしろ添え物の如き存在だったにも関わらず、この映画といえば真っ先に思い浮かべるくらい強烈なメタルーナミュータント。
物質電送機の中で蝿と男が合体してできた、まんま蝿男。
地球で好き放題の火星人も、みんな立派な大頭の持ち主だった。
先の2名は'60年代アウターリミッツ以前の'50年代キャラだが、知ったのは中学生のとき、大伴昌司先生の本“世界怪物怪獣大全集”でのことである。
その本の表紙には“ゆがめられた世界統一”の大頭怪人がひときわ大きく印刷され、旧友と再会したときのようなうれしい気分で目頭が熱くなったのだった。
売れようが売れまいが、だから当店は、ここに紹介した大頭怪人の12インチ・フィギュア以外にも、バーサルモンスター・シリーズの7インチ版やそのスケルトン版、マーズアタックの小さい版や醜さからいったら右に出る者がいない大頭の円盤人(暗闇の悪魔/1957年)も網羅する。
その円盤人はプロのモデラーによるガレキの完成品で、ひとむかし前のビリケン製ソフビもあれば、US輸入品のレジンものもある。
大頭怪人には、店主、年季が入ってる分だけ、いろんな意味で誰にも負けない自信があるのだ、ど〜でもいいけどね。

見てちょ、お店で戯れる大頭の円盤人です。
by tomenosuke_2006 | 2006-10-29 23:27 | Sci-Fi Classicモチャ
[左]いまじゃ、そこらじゅうでハロウィンじゃないですか。
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[右]そのようですね。
[左]でも、きのうのブログ、飛騨の冬支度の話からダレクのアイスボットをクリスマスにぜひみたいな、香具師(やし)の口上風で終わっちゃって、いよいよ来週に迫ったオレたちハロウィン族のこと、完全に忘れてる。これって手落ちってもんでしょう。
[右]ホント、手落ちです。
[左]10月31日のハロウィンのあと、アメリカじゃ11月の第4木曜日にThanksgiving Day(サンクスギビング=感謝祭)をお祝いして、徐々に盛り上がりながらクリスマスに突入する。
[右]はい、突入です。
[左]つまり、その盛り上がりの入り口がハロウィンで、クリスマスが出口みたいなもの。これからの2カ月こそ、1年でいちばん思い出がつくられるときなんだよね。
[右]そう思います。
[左]ティム・バートンのナイトメア・ビフォア・クリスマスは、いいとこ突いてたね。ハロウィンVS.クリスマス、入り口と出口の戦いだ。
[右]戦いはどっちに軍配が・・・。
[左]とーぜんハロウィンの勝ちでしょう。ハロウィンは不死身だからねぇ。
[右]ニッポンのハロウィンが、また面白いことになってますよ。
[左]そう、それをいいたかったの。ハロウィン=(イコール)スポンサー付のコスプレ大会かバレンタインデーPART2ってとこか。とにかく背後に抜け目のない商業主義のニオイがプンプンするね。
[右]それをいうなら留之助商店も?
[左]だったらいいけど、悲しいよ。ハロウィンの雰囲気は皆無っていうか、見方によってははじめっから怪奇っぽいっていうか。ほかにもマクファーレン版がいたと思うけれど、オレたちいろんなマイケルが特別目立つ場所に飾られるわけでもなく、いつもとおんなじ、冷遇されている。いったい店主は何を考えてんだか、聞いてみたいわ。
[右]ぜひ、聞いてみたいです。

はいはい、ではワタクシ店主のハロウィン観など吐露させていただきましようか。
ハロウィンは店主が生まれるよりもまえの大昔から続くよその国の宗教的な行事らしいけれど、日本に上陸した日のことはよく覚えている。
いまから28年前の1978年、ジョン・カーペンターの映画が万聖節の前夜の10月31日をハロウィンと呼び、ただならぬ日だと教えてくれたのだった。
配給元のジョイパックフィルム(現ヒュ-マックスシネマ)がカーペンター作曲の音楽やら効果音をリミックス、映画の恐怖をさらに誇張していたことを知る人は少ない。
オリジナル版のサウンドトラックは日本版より相当控え目なのだ。
そして2年後の1980年、LAに住み始めた店主は、おかげさまで毎年、本場のハロウィンを経験できるようになった。
10月を迎えるとメインストリートはハロウィンの飾り付けで秋色に模様替えして、家の軒先には顔型にくりぬかれたカボチャのジャック・オ・ランタンが通りを見据えるように置かれる。
夜ともなると目や口をかたどった穴からオレンジ色の灯がもれ出し、街はいつになく静まり返って見える。
そしてハロウィン当日、てんでに仮装した近所の子供たちがTrick or treat(トリック・オア・トリート=ナンかくんないとイタズラするぞ)といいながら、まじに店主のアパートにまで訪ねて来たのだった。
ハロウィンの中にいるような気がした。
TVはホラー映画特集を組み、映画街ではその後11もの続編が作られることになるスプラッター13日の金曜日の記念(?)すべき第1作目が公開されて大入満員中だった。
夜のハリウッド大通りはさながら仮装のお披露目会場といったところか、通りのあちこちに人だかりができ、歓声や悲鳴が聞こえてくる。
1980年のハロウィンでもっとも旬な仮装は、やっぱりホッケーマスクの殺人鬼だった。
1981年のハロウィンに、別の街で、子供たちがもらった手作りのキャンディに赤唐辛子が入っていたという小さな事件が起きた。
1982年には針入りキャンディが配られたというニュースがセンセーショナルに報じられ、翌年からは子供たちのトリック・オア・トリートする姿が影をひそめてしまった。
日を追うごとに治安の悪化するハリウッド大通りの乱痴気は相変わらず続いたが、暴力沙汰や発砲事件がしばしば起きるようになった。
賢い人たちはクラブや友人の家など、もっと安全でプライベートな場所でハロウィンを楽しむようになったのだった。
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上の写真は、1982年のアメリカで最もリキの入ったハロウィンの仮装。SFXメーキャップ・アーティスト、リック・ベイカー(右端)と彼の仲間たちです。彼らはこのあとハリウッド大通りへ繰り出し、道行く人たちをたっぷり楽しませたあと、ジョン・ランディス監督主催のハロウィン・パーティへと向かったのでした。ちなみにこの写真、若き日の店主が撮りました。


店主にとってハロウィンとは、情緒であり、アメリカの秋のムードであり、過ぎ去った若き日の思い出なのだ。
だから最近の我が国のハロウィン事情についてはよく分からないし、知りたいという気持ちも起きない。
いまさら日本で、とりわけこの飛騨高山で、何をどうしてよいのやら。
というわけで、君たちマイケル・マイヤーを冷遇してるってのは誤解ってもんだよ。
左の12インチのサイドショー版マイケル君(5000円)、右の18インチのネカ版君(12800円)も、分かってちょうだい。
どちらも買い手が現れますように、店主、こうしてダラダラ文章書いて紹介してんだから。
by tomenosuke_2006 | 2006-10-25 23:45 | チョイマモチャ
1960年代アメリカのオッキモチャのこと・その3
●ロボット・コマンド(Robot Command)1961年〜1969年
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ロボット・コマンドの当時ものカラーTV-CMをみて驚いた。
薄紫のボディにスケルトンの頭をしてるじゃないか。
長年、ロボコマ追いかけてきたけれど、こんなの見たことない。
とにかくムショーに欲しい。
絶対、手に入れてやる。
そう思ったのは去年10月のこと。
さっそくアメリカのコレクターに当たってみた。
アメリカにはロボコマ・ファンで構成されるソサエティのようなものが存在する。
壊れたロボコマから使えるパーツを採り出し、リスト販売している人とか、解説書や保証書をオリジナルの紙質にまでこだわり復刻してる人。
中にはロボコマのもっともデリケートで壊れやすい部分、目の玉の回転を制御する細いゴムヒモを専門に売る人もいる。
値段は10ドル。
オリジナルより耐久性にすぐれ、長過ぎず、短過ぎず、絶妙なサイズに調整したものを届けてくれる。
とにかくロボコマがらみで知り合ったアメリカ人全員に、薄紫バージョンを余分に持ってたら譲ってほしいと、手当たり次第にメールした。
と、半日もたたないうちに2人からレスが。
あのTV-CMは1970年に放送されたもので、薄紫のロボコマは試作品だと。
新製品として売り出される予定が結局は商品化されず、ロボコマそのものも1969年のクリスマスをもってアイディアルのカタログから姿を消した。
つまり生産が打ち切られたというのだ。
ホッ、なければないで、むしろうれしい・・・レアだという理由でとんでもない金額を要求されたらどうしようかと、じつは気が気でなかった店主の気持ち、分かる人には分かりますよねぇ。
ロボコマはやっぱりベネトン風、赤と青と黄色の原色コンビネーションにかぎるのだ。
9年間、作り続けられたロボコマは、初年度の1961年版だけ、右胸の"ROBOT COMMAND"のロゴラベルが黒ベタ白ヌキ文字で作られ、あとは赤ベタ白ヌキ文字に変更された。a0077842_9144154.jpg
という理由で初年度版がインナー(緩衝材)付きオリジナルパッケージに入り、ロケットミサイル2本、ミサイルボール8個、解説書と保証書が付属し、さらに販売店向け修理マニュアル(左の写真)でもオマケに付いたなら、もはや恐ろしい値段になってしまう。
ちなみに修理マニュアルはロボコマ生誕40周年を記念して、2001年にソサエティのメンバーが復刻版を100部だけ限定出版したが、いまではそれだけで150ドルの値がついている。
以上はいまのアメリカでのロボコマ事情だが、かつて1960年代中ごろ、日本へもロボコマの波が押し寄せていたのだった。
第一次アニメブームに乗ってアトムや鉄人28号や8マンや、ときにはロボットキャラではない“のらくろ”や伊賀の影丸まで、もはや手当たり次第にロボットプラモ化していたイマイが、アメリカで大ヒット中のロボコマの権利を手に入れ、日本向けに改名して、その縮小版(日本の住宅事情を考慮した?)を2種類発売したのである。
まず大きい方がビッグサンダー。
本家のおよそ2/3のサイズで、本家と同じアクションを、マイクロフォンのギミックなしのふつうのリモコンで操作する。
小学5年生だったか、6年だったか、店主もビッグサンダーの組立てに挑戦したが、難しすぎて完成できなかった。
もちろんロボコマの存在をまったく知らない当時の店主だったが、他のイマイのロボットプラモにはない毛色のちがい・・・今風にいえばアメリカン・ポップな香りを感じとっていた、ような気がする。
ビッグサンダーは動かなくても特別で、子供部屋のいちばん目立つ場所に飾ったのだった。
もうひとつ、ビッグサンダーのさらに縮小廉価版としてベビーサンダーが作られた。
モーターで走り、ミサイルの発射は手動、両腕の付け根の黄色いパーツは省略されて赤と青のツートンカラーとなり、見るからに貧弱な子だった。

●キング・ザー(King Zor)1962年〜1964年
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ロボコマと同じアイディアルから発売されたキング・ザーは、口語体で発音すれば、キンザーである。
キンザーはキャスティングされた緑色のプラスチックのからだに、黄緑色のセルロイド製手足を持つロボット恐竜。
アメリカ征服を企てるマッドサイエンティストが発明した、らしい。
攻撃用の銃と吸盤付きのダーツが8本付属して、当時の値段はロボコマの14ドル97セントよりわずかに安い12ドル63セントだった。
が、現在では生産数がはるかに少なかったことと、セルロイドの手足が壊れやすく、簡単には完品を見つけられないという理由で、程度のいいキンザーにはロボコマ以上のプレミアがつく。
当店の販売価格もハンパじゃなく、ここで口にするのもチョットネーである(興味のある方は直接お店までご連絡を)。
箱付き完品と、箱なし完品と、付属品なしのキンザーのみとでは、現在のアメリカでの取り引き価格にそれぞれ500ドル以上の差がつく。
つまりパッケージだけで500ドルするということ。
笑ってやってください、店主はその劣化した段ボール箱のみに600ドル、送料50ドル、日本円でしめて78000円も払いましたとさ。

グレート・ガルーとビッグ・ルー
by tomenosuke_2006 | 2006-10-12 09:46 | ムカシモチャ
1960年代アメリカのオッキモチャのこと・その2
ロボット・コマンドは見るからに未来的なロボット戦車風だったが、一見、アラジンの魔法のランプから出てきたようなグレート・ガルーもまた、SFキャラとして少年たちの前に登場した。
SF映画の巨大モンスターが従順なしもべに生まれ変わり、思いのままにコントロールできるようになった、というのがキャッチフレーズ。
TV-CMはグレート・ガルーが街を破壊するシーンで幕を開け、かわいい兄妹が遊ぶ子供部屋へとカットバック、そのしもべぶりを披露する。
得意技は上半身を前に折って物をつかみ上げたり、両手で物をつかみ、運ぶこと。
実用化された最初の家庭用執事型ロボットといえる、かも。
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翌年、1962年のクリスマスにはロボット・コマンドのアイディアルが追い討ちをかけるように全長68センチのロボット恐竜、キング・ザーを投入してきた。
前作ロボット・コマンドが少年の命令のもと、各種兵器を繰り出し戦うという戦友型だったのに対し、新作キング・ザーは敵対型。
背中から打ち出されるミサイルボールの攻撃をかわしながら、専用の銃で尻尾の先の赤い標的を狙い撃つ。
みごと当たれば方向を変えて退散するという、ゲーム性が色濃く反映された製品だった。
ロボット・コマンドとキング・ザーの猛攻を浴びたグレート・ガルーのマルクスは翌1963年、これでもかの大物、高さ96センチ(ロボット・コマンドのおよそ2倍の背丈)のビッグ・ルーを発表した。
キャッチフレーズは、月から来たお友だち。
複雑なメカは一切搭載されず、電池は目玉の豆球を点滅させるのみ。
手動でタマやロケットを飛ばしたり、マジックハンドと同じ仕組みの右腕を操り物をつかみ取る。
トーキングボックス内蔵で、背中のクランクを回すと自己紹介するところが、唯一、すぐれていた点といえるだろう。
が、あまり売れなかった。
ビッグ・ルーをねだる子供が、ことのほか少なかったのだ。
ニヤニヤした顔の実物を見れば、分かる気がしないでもない。

4大オッキモチャが出そろった1963年のクリスマス。
街のオモチャ屋やデパートの売り場は、いままで以上に充実して、活気に満ちあふれるはずだった。
a0077842_1158264.jpgが、そんなわけにはいかない暗くて重い空気がアメリカをおおい、多感な少年たちはこれまでとはちがう時の訪れを意識したのだった。
クリスマスをひかえて街が華やぎはじめた1963年11月22日、テキサス州ダラスで大統領就任2年目の若くてパワフルで正義感旺盛なあのケネディが、凶弾に倒れたのである。
アメリカはこの日を境にベトナムへの軍事介入をさらに強硬に推し進めるようになり、アナーキーな時代へと突入していった。
もはやそういう時代にファンタジーは不要となった。
従順なグレート・ガルー、敵というにはチャーミングなキング・ザー、月から来た友人ビッグ・ルーは、まもなく市場から消えていった。
ケネディが大統領として人生を送ったと同じ時期にオッキモチャは生まれ、短い生涯を閉じることになったのである、奇しくも。
一方、兵器として十分役目を果たすロボット・コマンドだけは1960年代の終りまで作り続けられ、戦車や軍艦などの即物的で夢の乏しい新たなオッキモチャといっしょに売られたのだった。
つづく。

年をとると、いろんなことをつい時系列で考えてしまうようになり、たかがオモチャの話が固くなってしまいました、失礼。
次回、最終回は4大オッキモチャの、もっと商品に即したネタを紹介するつもりでいますので、よろしく。
とかいいながら、さらに古風といわれるかもしれませんが、本ブログで話題にした映画タイトルなど書き添えて、1960年代の年表を作ってみました。
よかったら見てください。
店主の少年時代は、こういう時代だったんだぁと、あらためて納得。
(グレーの文字は世界の出来事、茶色は日本、緑は映画TV、赤はオッキモチャです)

1960年代年表
by tomenosuke_2006 | 2006-10-09 12:26 | ムカシモチャ
1960年代アメリカのオッキモチャのこと・その1
以前、ムカシモチャのカテゴリでスパイモチャについて3回ほど続けて書いたことがあったけれど、その結び“スパイモチャ/その3/ナポソロもの”で「スパイモチャからオッキモチャへ、店主の玩具道は果てしなく続く」みたいなこと言って、そのまんまにしていたことを思い出した。
で、続きを。
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留之助商店には“ならでは”の品物がいろいろあるけれど、たとえば1960年代アメリアの4大オッキモチャをつねに在庫している店など、うち以外、日本のどこを探してもないはずだ・・・なんて大見得切っても、そもそも4大オッキモチャなんていう概念は、いまのところ岐阜県高山市本町3丁目44番地でしか通用しないと思われる。
1960年代当時、つまり店主が少年時代の海の向こうのオッキモチャは、単に大きいとうだけでなく、あらぬ造形で、存在感が並ではないところがよかった。
ベアブリックの1000%(高さ約70センチ)や20インチ・ダニー(高さ約50センチ)も、彼らの個性のまえではひれ伏すしかないのだ。
当店にはわずかにブリキ製のビンテージトイもあるけれど、ブリキノモチャは店主的にはすでに終わったと見なしている。
プレスよりはキャスティングにつきる。
高度で柔軟な表現力を有した化(バケ)学素材のプラスチックやソフビでできたキャスティング(鋳造)製品の方が店主の好みだし、そういう点からも60年代オッキモチャこそは、当時の新素材“プラスチック”によるかつてない色彩と形状と質感を得て、オモチャの新時代を体現したのだ。
デザイナーズトイの原点、オブジェモチャのご先祖さまなのである、絶対的に。
その大きさからいっても、彼らは単なるオモチャにとどまらず、ペットか家族の一員として迎えられるよう企画された。
たとえばマテルやヒューブレーのトイガン握って西部劇ごっこするのではなく、いっしょに暮らすオモチャ。
男の子が抱きかかえても、連れ歩いてもおかしくない、だけでなく、ひときわ目立って注目を集めるに十分なサイズ。
そういうオッキモチャが1960年代はじめに4種類、誕生したのだ。
それがロボット・コマンド、グレート・ガルー、キング・ザー、ビッグ・ルーだった。
(ロボット・コマンドは当店ホームページのトップに、グレート・ガルーは当ブログ右下のネームカードに、キング・ザーは同じく当ブログ右上のロゴに引用してます。それくらい好きってこと?)
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TV-CMから。左よりロボット・コマンド、キング・ザー、ビッグ・ルー。

最大手のマテルが女の子用にバービーを、男の子用にシューティングシェルのトイガン(ムカシモチャのカテゴリで紹介)を大ヒットさせていた1960年代はじめ、アイディアルとマルクスという二番手を競うライバル・オモチャメーカー2社が、男の子向けに投入してきたのがオッキモチャだった。
アイディアルからは高さ46センチのロボット・コマンドが、マルクスからは57センチのグレート・ガルーが、まず1961年のクリスマス・シーズンにデビューした。
1961年といえば、ジョン・F・ケネディが第35代アメリカ合衆国大統領に就任し、近年で最も偉大な大統領就任演説を披瀝した年でもある。
「祖国があなたに何をしてくれるのか尋ねるのではなく、あなたが祖国に何ができるか自問してほしい」
オットット、きどうしゅうせい、軌道修正。

ロボット・コマンドは、君の命令どおり動く。
さぁ、マイクロフォン・リモコンに語りかけよ。
前進、右旋回、左旋回!
ミサイルボール発射、ロケット発射!
目玉がつねに渦巻き回転しているのは、敵を見逃さないため。
後退のメカニズムは搭載されていない。
なぜならロボット・コマンドは決して敵に後ろ姿を見せないのだ。
(TV-CMのナレーションから抜粋)

マイクロフォン・リモコンに向かって語りかけるというのは、厳密にはマイク(のカタチをしているだけ)に向かって息を吹きかけ、マイク内部の薄い金属板を動かして、電気回路の開閉を操作することにほかならない。
マイクロフォン・リモコンとロボットは、ロボット内蔵の駆動用モーター直結の電線と、さらに1本、カメラのレリーズのようなワイヤーでつながれ、そのワイヤーのプッシュ&プル操作でロボットに組み込まれたメカニズムのギヤを切り替え、すべてのアクションを制御する。
実態はスーパーロウテク、けど思い通りに動かすには慣れとコツを要した。
値段の14ドル97セントは、当時の家庭用21型テレビが150〜200ドルしたことを思えば、けっして安いとはいえないが、爆発的に売れた。
平和なアメリカのいたるところで、ロボット・コマンドの操作を競い合う少年たちがいた。
中には、将来、ベトナムの戦地へ駆り出されるとも知らず、マイクロフォン・リモコンに向かって「ミサイル発射!」と声を張り上げていたあどけない少年も。
そういう時代だったのだ。
つづく。
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A Boy and his Robot Command/1962年の写真


by tomenosuke_2006 | 2006-10-09 00:29 | ムカシモチャ
店の奥。
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フルスケールのモンスターたちは店の奥に詰め込みました。
先週のうちにはライティングも決まり、いい雰囲気に。
お弁当会社の用事で訪ねて来た男性がここを見て、夜ひとりにはなりたくない場所だと言ったけれど、そりゃ、ちがうだろ。
場末の遊園地のお化け屋敷じゃないんだから。
うちの店長を見てごらん。
一晩中でもここにいたいと、うれしそうにしているよ。
夢見る男子、少年のこころを失わない大人はこうでなくっちゃ。
by tomenosuke_2006 | 2006-09-10 18:02 | 留之助商店計画
大物荷物搬入完了。
8月21日(月)にトラック2台、24日(木)にさらに2台、で、きのう26日(土)に最後の1台。
このまえのビューティーバーを入れたら延べ6台で、ついに大物荷物の搬入が終わりました。
ものがものだけに神経をつかい、店主も店長君もデジカメを構えるゆとりすらなく、唯一撮ったのがこの写真です。
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日通の作業員さんが去り、静かになった夜の店内で、エイリアン・ウォーリアのヘッドを点検する店長君、ホッとしてます。
下の写真は、きのう店長君がケータイで撮った最後の1台。
日通さんにこれ以上お願いしてはオーバーバジェットになってしまうからと、友人のトラックに怪物パンプキンヘッドを直積みして、下呂市の倉庫から高山市のお店へ向かいました。
すれちがうクルマ、道行く人たちをビックリさせながらの珍道中でした。
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by tomenosuke_2006 | 2006-08-27 10:35 | 留之助商店計画
持つべきものは友、スタン・ウィンストンのあれから。
a0077842_1950478.jpg1.ターミネーター(1984)のエンドスケルトン。
2.エイリアン2(1986)のクィーンのコンセプトマケット。
3.同じくエイリアン2のウォーリアーの全身レリーフ。
4.プレデター2(1990)のフルボディ。
5.忘れていたけれど、パンプキンヘッド(1988)のフルボディもあった。
エンスケのレア度については、すでに語ったが、スタン・ウィンストンから借り出した他の創り物も半端ではなかった。
まずクィーンは、映画のために作られたさまざまなバージョンのクィーンたち、すなわち特大フルスケール版やミニチュア撮影用のロッドパペット版の原点のようなもの。
粘土彫刻をモールド(型)にとり、必要最小限のプルを作ると、デテールアップと着色を施して、大型版やパペット版へと展開するための基本彫刻(コンセプトマケット)として使う。
予定では、大切に保管されていたそのモールドから特別にイベント(ハリウッド映画村/1991)用のプルを作ってもらうはずだったが、海を渡って来たのはエイリアン2製作時(1985)に作られ、以来スタンの工房の応接室に飾られていた正真正銘のコンセプトマケットにほかならい。
黒とダークブルーを何層にも塗り重ね、色合いは深くよどみ、恐ろしくも底なしの艶を放つ逸品である。
ウォーリアも、同じ時期にボディスーツ(着ぐるみ)用のオリジナルパーツを使ってレリーフ化された特製。
映画製作中の工房の壁高くにはり付けられ、スタッフたちを見下ろしていた歴史の品でもある。
こちらも予定では同じものを再製作してもらうはずだったが、5年分のホコリをかぶったまま工房から東京へ産直された。
プレデターは実際に映画撮影用に作られ、大きなダメージを受けることなく生き延びたスタントスーツのパーツをいくつか組み合わせ、自立するように改造されたもの。
ポーズをとらせ、中に鉄の骨組みを入れて、隙間にポリフォーム(スポンジの一種)が流し込まれていた。
輸送のことなど何も考えないで作られたため、左手の剣は内側の骨組みに直付け溶接されて取外しがきかない。
そのため身長2メートル40センチの高さと相まって、取り回しはきわめて悪い。
取り回しの悪さからいったら、右に出るものがいないのが全長3メートルのパンプキンヘッドである。
これはスタンの記念すべき初映画監督作に登場したタイトルロールのメインキャラ。
あまり興味がなかったのだが、持ってけ、持ってけと彼がいうから展示することにした。
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そんなスタンは、1991年の夏、夫人を伴って東京会場を訪れていた。
作品提供の条件として、ファーストクラス利用の夫人同伴日本旅行というお楽しみがあったのだ。
イベントの主催者からは別途で費用を預かっていたから、徹底的に接待した。
グルメと温泉の旅の1週間だった。
新宿のセンチュリーハイアット東京を基地に、途中、下呂温泉から飛騨高山へと足を運んだ。
下呂温泉一の高級旅館水明館の夜がスタンを昇天させたと、店主は思っている。
下呂を一望する最上階の特別室で、きれいどころの芸者をあげて、最高の料理と最高の地酒による純和風のおもてなし。
スタンからは、工房を殺風景なままにしておくわけにはいかないから、あのあと、東京へ送ったと同じ物(エンスケだけはT2のもの)を急いで作ったと聞かされていた。
で、よ〜く考えてみた。
イベントが終り、作品を返却したら、ダブついてしまうじゃないか。
何かひとつぐらい記念にもらえないだろうか。
芸者から野球拳の手ほどきを受ける上機嫌のスタンに、何気に切り出してみた。
すると彼は、こう答えたのだ。
「ひとつといわず、ぜんぶ君に預けるよ」
夫人のサンディが笑顔で証人になると約束してくれた。
アルコールに弱い店主だが、その夜ばかりは飲み助のスタンに負けないくらい飲んで、飲んで、飲み明かしたのだった。
by tomenosuke_2006 | 2006-07-16 21:24 | プロップ
商標登録。
お店を開業するまえから何を心配しているかって、そりゃぁ、もう、メジャーになったときのことである。
気楽に使っている「留之助商店」とか、いまはまだ未公開の「取扱商品を総称する造語」を、じつはすでにだれかが特許庁に商標登録してたりすると、他人の権利を侵害することにもなり、場合によっては使用差し止めや損害賠償を請求される。
それよりもいちばんヤなのは、当店のユニークな、めくるめく、興味本位といってしまえばただそれだけの、ただし分かる人には絶対分かる特有の味(スペシャルテイスト)が広く世界に知れわたり、当店の名前を騙(かた)って真似をしようとするヤカラがあらわれることなのだ。
ちなみに留之助=トメノスケとは、明治19年(1878)に生まれ、店長1才の昭和29年(1954)に没した祖父の名である。
じつに厳格で、文学を愛し、高山市がまだ大野郡高山町だったころに最年少町会議員となり、その後も市会議員を何期かつとめた。
趣味は謡(うたい=謡曲)。
しかし生まれつきの音痴で、得意の芸事を披露するたびに、まわりで爆笑が巻き起こるそのわけを知らぬまま、この世を去った。
1ダースほど子宝に恵まれるが、我が子を抱いたり、あやすようなことは一度もなかった。
精力旺盛なれど家庭的ではなかった?
最初に抱いた赤ん坊が生まれたての店長こと、このワタクシだったとか。
祖父も年をかさねて、晩年は丸くなったのだろう。
赤ん坊の店長の口の中を見て、「わりゃ、赤ん坊のくせに、舌べろが生えちょるぞ」と、マジで驚いたらしい。
舌も歯のように生えると思っていたのか。
頭が悪かった?
ともあれ、反抗期をむかえた少年時代の店長は、いまごろじいさんが生きてれば、お前みたいな奴はとっくに勘当されていると、よくいわれたものである。
そういう祖父の名を店名としたことに、とくに深い意味はない。
語呂のよさ、レトロな響き、商品イメージとのギャップが面白くて。
かいつまんでいえば、そんなところだろう。
商標登録はネットで日本国際商標特許事務所の富樫さんにお願いすることにした。
商標登録出願時の費用(つまり特許庁に審査を依頼する費用)が、特許印紙代21,000円+手数料52,500=73,500円×2件で、147,000円。
ジャパンネット銀行に残高あったかな。
これはあしたにでも送金しなくては。
さらに後日、商標登録時の費用(商標登録代)が、特許印紙代66,000円+手数料38,000=104,000円×2件で、208,000円もいる。
オモチャの仕入れに充てれたら、楽しく買い物ができそうなんだけれど。
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by tomenosuke_2006 | 2006-07-10 21:39 | 留之助商店計画