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大物荷物搬入完了。
8月21日(月)にトラック2台、24日(木)にさらに2台、で、きのう26日(土)に最後の1台。
このまえのビューティーバーを入れたら延べ6台で、ついに大物荷物の搬入が終わりました。
ものがものだけに神経をつかい、店主も店長君もデジカメを構えるゆとりすらなく、唯一撮ったのがこの写真です。
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日通の作業員さんが去り、静かになった夜の店内で、エイリアン・ウォーリアのヘッドを点検する店長君、ホッとしてます。
下の写真は、きのう店長君がケータイで撮った最後の1台。
日通さんにこれ以上お願いしてはオーバーバジェットになってしまうからと、友人のトラックに怪物パンプキンヘッドを直積みして、下呂市の倉庫から高山市のお店へ向かいました。
すれちがうクルマ、道行く人たちをビックリさせながらの珍道中でした。
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by tomenosuke_2006 | 2006-08-27 10:35 | 留之助商店計画
持つべきものは友、スタン・ウィンストンのあれから。
a0077842_1950478.jpg1.ターミネーター(1984)のエンドスケルトン。
2.エイリアン2(1986)のクィーンのコンセプトマケット。
3.同じくエイリアン2のウォーリアーの全身レリーフ。
4.プレデター2(1990)のフルボディ。
5.忘れていたけれど、パンプキンヘッド(1988)のフルボディもあった。
エンスケのレア度については、すでに語ったが、スタン・ウィンストンから借り出した他の創り物も半端ではなかった。
まずクィーンは、映画のために作られたさまざまなバージョンのクィーンたち、すなわち特大フルスケール版やミニチュア撮影用のロッドパペット版の原点のようなもの。
粘土彫刻をモールド(型)にとり、必要最小限のプルを作ると、デテールアップと着色を施して、大型版やパペット版へと展開するための基本彫刻(コンセプトマケット)として使う。
予定では、大切に保管されていたそのモールドから特別にイベント(ハリウッド映画村/1991)用のプルを作ってもらうはずだったが、海を渡って来たのはエイリアン2製作時(1985)に作られ、以来スタンの工房の応接室に飾られていた正真正銘のコンセプトマケットにほかならい。
黒とダークブルーを何層にも塗り重ね、色合いは深くよどみ、恐ろしくも底なしの艶を放つ逸品である。
ウォーリアも、同じ時期にボディスーツ(着ぐるみ)用のオリジナルパーツを使ってレリーフ化された特製。
映画製作中の工房の壁高くにはり付けられ、スタッフたちを見下ろしていた歴史の品でもある。
こちらも予定では同じものを再製作してもらうはずだったが、5年分のホコリをかぶったまま工房から東京へ産直された。
プレデターは実際に映画撮影用に作られ、大きなダメージを受けることなく生き延びたスタントスーツのパーツをいくつか組み合わせ、自立するように改造されたもの。
ポーズをとらせ、中に鉄の骨組みを入れて、隙間にポリフォーム(スポンジの一種)が流し込まれていた。
輸送のことなど何も考えないで作られたため、左手の剣は内側の骨組みに直付け溶接されて取外しがきかない。
そのため身長2メートル40センチの高さと相まって、取り回しはきわめて悪い。
取り回しの悪さからいったら、右に出るものがいないのが全長3メートルのパンプキンヘッドである。
これはスタンの記念すべき初映画監督作に登場したタイトルロールのメインキャラ。
あまり興味がなかったのだが、持ってけ、持ってけと彼がいうから展示することにした。
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そんなスタンは、1991年の夏、夫人を伴って東京会場を訪れていた。
作品提供の条件として、ファーストクラス利用の夫人同伴日本旅行というお楽しみがあったのだ。
イベントの主催者からは別途で費用を預かっていたから、徹底的に接待した。
グルメと温泉の旅の1週間だった。
新宿のセンチュリーハイアット東京を基地に、途中、下呂温泉から飛騨高山へと足を運んだ。
下呂温泉一の高級旅館水明館の夜がスタンを昇天させたと、店主は思っている。
下呂を一望する最上階の特別室で、きれいどころの芸者をあげて、最高の料理と最高の地酒による純和風のおもてなし。
スタンからは、工房を殺風景なままにしておくわけにはいかないから、あのあと、東京へ送ったと同じ物(エンスケだけはT2のもの)を急いで作ったと聞かされていた。
で、よ〜く考えてみた。
イベントが終り、作品を返却したら、ダブついてしまうじゃないか。
何かひとつぐらい記念にもらえないだろうか。
芸者から野球拳の手ほどきを受ける上機嫌のスタンに、何気に切り出してみた。
すると彼は、こう答えたのだ。
「ひとつといわず、ぜんぶ君に預けるよ」
夫人のサンディが笑顔で証人になると約束してくれた。
アルコールに弱い店主だが、その夜ばかりは飲み助のスタンに負けないくらい飲んで、飲んで、飲み明かしたのだった。
by tomenosuke_2006 | 2006-07-16 21:24 | プロップ
商標登録。
お店を開業するまえから何を心配しているかって、そりゃぁ、もう、メジャーになったときのことである。
気楽に使っている「留之助商店」とか、いまはまだ未公開の「取扱商品を総称する造語」を、じつはすでにだれかが特許庁に商標登録してたりすると、他人の権利を侵害することにもなり、場合によっては使用差し止めや損害賠償を請求される。
それよりもいちばんヤなのは、当店のユニークな、めくるめく、興味本位といってしまえばただそれだけの、ただし分かる人には絶対分かる特有の味(スペシャルテイスト)が広く世界に知れわたり、当店の名前を騙(かた)って真似をしようとするヤカラがあらわれることなのだ。
ちなみに留之助=トメノスケとは、明治19年(1878)に生まれ、店長1才の昭和29年(1954)に没した祖父の名である。
じつに厳格で、文学を愛し、高山市がまだ大野郡高山町だったころに最年少町会議員となり、その後も市会議員を何期かつとめた。
趣味は謡(うたい=謡曲)。
しかし生まれつきの音痴で、得意の芸事を披露するたびに、まわりで爆笑が巻き起こるそのわけを知らぬまま、この世を去った。
1ダースほど子宝に恵まれるが、我が子を抱いたり、あやすようなことは一度もなかった。
精力旺盛なれど家庭的ではなかった?
最初に抱いた赤ん坊が生まれたての店長こと、このワタクシだったとか。
祖父も年をかさねて、晩年は丸くなったのだろう。
赤ん坊の店長の口の中を見て、「わりゃ、赤ん坊のくせに、舌べろが生えちょるぞ」と、マジで驚いたらしい。
舌も歯のように生えると思っていたのか。
頭が悪かった?
ともあれ、反抗期をむかえた少年時代の店長は、いまごろじいさんが生きてれば、お前みたいな奴はとっくに勘当されていると、よくいわれたものである。
そういう祖父の名を店名としたことに、とくに深い意味はない。
語呂のよさ、レトロな響き、商品イメージとのギャップが面白くて。
かいつまんでいえば、そんなところだろう。
商標登録はネットで日本国際商標特許事務所の富樫さんにお願いすることにした。
商標登録出願時の費用(つまり特許庁に審査を依頼する費用)が、特許印紙代21,000円+手数料52,500=73,500円×2件で、147,000円。
ジャパンネット銀行に残高あったかな。
これはあしたにでも送金しなくては。
さらに後日、商標登録時の費用(商標登録代)が、特許印紙代66,000円+手数料38,000=104,000円×2件で、208,000円もいる。
オモチャの仕入れに充てれたら、楽しく買い物ができそうなんだけれど。
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by tomenosuke_2006 | 2006-07-10 21:39 | 留之助商店計画