キッドミュータントで思い出した、こんなの売り出します。
6、7年まえに、つい面白くって箱買いしていたヤツなんですよ、欲しい人、いますかぁ?
こんなのを企画販売したメーカーのX-Plusの無鉄砲さにまず敬服するけれど、もともと、元ネタのこんな映画を作っちゃった人たちにこそ心から敬意を表したい。
1950年代にはいてすてるほど作られたプログラムピクチャーの中でも、出てきたモンスターのあまりにこだわりのない即席感、思いつき偏重のデザインが、かえって映画を際立たせることとなり、結果、ゴミのごとく葬られずにすんだ幸運の3作品、の伝説的キャラたちなんです。
かわいがってやってください。

3-Eyed Mutant from "DAY THE WORLD ENDED"
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まずは先日キッドミュータントを紹介した際、例えに使わしてもらった『原子怪獣と裸女』(1956年)の三ツ目ミュータント。
放射能汚染により、またたく間に百万年分もの進化を遂げてしまった新種の人間なのだ。
からだはヨロイのごとく硬質化して、頭はツノやら突起でデコボコ、3個の大きな目はつねに一点を見据え、肩からはあまり役立ちそうにない小さな腕が一対、膝からも一対の無意味なかぎ爪が生えている。



この前は「核戦争後の地球で無力な人間を、とくに美女をむさぼり喰う三ツ目のモンスター」なんて大袈裟に書いてしまったけれど、じつは彼、食糧難で人間を襲うものの、実際に食べるシーンはございません、失礼。
ワンピース水着の女性が2、3人出てきますが裸女はひとりもいません、残念。
シリコン様の半透明素材で作られた2本のツノがプルンプルン振動するところが唯一の斬新、せっかくの三ツ目は予算と技術の都合上固定となり、ヤケとハッタリで作ったとしか思えないキグルミは見るからに勝手が悪そうだ。
こんなのを創作し、噂では自ら演じたらしいSFXマンこそ1950年代の底流で活躍したPaul Blaisdell(ポール・ブライズデル)であり、それを一切隠し立てせずクローズアップで堂々と見せた勇気の監督こそ最低予算映画の帝王、Roger Corman(ロジャー・コーマン)だった。
コーマン様については彼の自伝『私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか』に詳しいので、興味のある方はぜひご一読を。
ちなみにコーマン+プライズデル・コンビによるもうひとつの珍味が、あの金星ガニが出てきた『金星人地球を征服』(1956年)である。
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さて、モチャの方は30.5センチx18センチの3種共通ウィンドー・ボックス入り、本体そのものは高さ20センチ。
ポール・ブライズデルの造形を正しく再現するためか、外見を損ないかねない可動部は割愛され、ギミックも一切なしのスタチュー仕様である、ソフビ製。
代わりといってはナンだけれど、映画のタイトルロゴ入りジオラマ風ベースには予告編の惹句「銀幕はむき出しの悲鳴と恐怖でウンヌン」の立て看板が付き、B級な哀愁を放つのだった。

Sea Creature from "SHE-CREATURE"
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三ツ目ミュータントの作者ポール・ブライズデルによる恥の上塗り、じゃなかった、さらなる偉業こそが『海獣の霊を呼ぶ女』(1956年)の、かろうじて胸の膨らみでそれと分かるこの女半魚人なのだった。
催眠術師の奇怪な実験で人類誕生以前の自分に逆行催眠をかけられ、魂はおろか肉体までも変えられてしまった美人助手による連続殺人事件に三角関係の恋愛沙汰がからむ、けど、ぜんぜんパッとしない演出。



監督は同じブライズデルが作った大頭宇宙人で有名な『暗闇の悪魔』(1957年)や、『エイリアン』(1989年)の原案者ダン・オバノンが少なからず影響を受けたという低予算映画『恐怖の火星探検』(1958年)のEdward L. Cahn(エドワード・L・カーン)。
生命の源の海より来たれしモンスターということで、She CreatureはSea Creatureと韻を踏むあたりが精一杯か、ビーチを背景に歩く姿はあったような気がするけれど、残念、アマゾンの半魚人のように泳いだり、水面を割って登場するようなカットはどこにもない。
のも当然だろう、このブクブクのキグルミ、海にでも飛び込めば水を吸って沈没すること間違いなしだから。
こちらも立て看板惹句の用意あり、ビーチの浅瀬に「催眠術をかけられた! 地獄の怪物の生まれ変わり!」と掲げられている。

One-Eyed Giant from "WAR OF THE COLOSSAL BEAST"
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最低予算映画の帝王がロジャー・コーマンなら、この『巨人獣 プルトニウム人間の逆襲』(1958年)の監督Bert I. Gordon(バート・I・ゴードン)は同じくらい貧乏な最低予算映画の巨人である。
なぜ巨人なのかというと、この映画はもとより、前年の前作『戦慄! プルトニウム人間』を皮切りに、たった3年間で合計5作もの被爆して巨大化したレイディオアクティブ・モンスター映画ばっかり監督し、ミスター・ビッグの異名で呼ばれていたから。
しかもSFX監督も兼任するあたりが立派である、というより人まかせにできるほど予算がなかったんだろうね。



巨大化する我が身を呪い、徐々に精神を病み、ついには軍隊の集中砲火を浴びて死んだはずの前作プルトニウム人間(元陸軍のマニング大佐)が、今度は顔の半分をつぶされて知性のかけらもない巨人獣となって甦る。
で、こちらのソフビも先の三ツ目ミュータントやシー・クリーチャーと同じく可動部はないが、単なるスタチューにあらず、これだけは映画のクライマックスシーンを再現しているのだ。
中学生が乗った遠足バスをいまにも放り投げんとする瞬間、巨人獣は妹の声で正気を取り戻し、このあとバスを地面に下ろすと、みずからは高圧線に身を投じ感電死してしまう。
スタチューは、その顔に人の理性が戻る刹那を見事に表しているのだ、って、本当かよ。
「見よ、60フィート(18メートル)の巨人。見よ、大破壊。総天然色で」と惹句にはあるけれど、映画は基本モノクロで、最後の感電シーンだけに色が付くパート・カラー作品。
手作りにしてはなかなかのメイク、お金がなかったにちがいない、マットを切らないで合成するもんだから、たまに巨人獣越しに背景が透けて見えてしまうのが愛嬌なのだった。
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by tomenosuke_2006 | 2010-02-26 15:50 | Sci-Fi Classicモチャ
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