エミリオ・スビラ、自作を語る
Sauce from http://emiliosubira.com/about

なたの退廃が私の芸術です

芸術作品は、存在について堂々巡りに語るものです。言葉が不足していて、直観について語る言語を活性化させ、精神の深いところや集合意識に訴えかけるとき、説明のつかない、良くても根拠のない説明が浮かんできます。私の作品はこのようなやり方で、現実とその特徴的な曖昧さを抽出するフィルターとしての私の認識をベースにして、固有から一般へ、もしくはその逆の心理分析につとめようと意図しています。このようなやり方で、私の作品は、視覚的な隠喩を用いて存在の様々な逆説を表現することを目指しています。隠喩、私たちの直観の言語。それは、このメッセージを受け取らねばならない、無意識的なものです。
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▲ CERUMEN (UNDERWEAR MUTANT PARADE)

これらのイメージ、これらの表現 - この場合は視覚的なもの - は、数瞬のあいだ熟考して我を失ったり、瞑想して自分自身との対話に引き込まれ、自分の慣例主義を見直し、自分自身を個人として分析し、自分の性質の矛盾を「私」とその偏見から自分を分離することで分析したり、そして、理想の限界や、日常の瀬戸際、自分が通り抜ける変わりゆく川の流れを眺めたり、といったことをするための、手段たることを切望しています。
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▲ BRONCAS & RUDY BOY (UNDERWEAR MUTANT PARADE)

それぞれの作品がこのようにして、想像力を刺激する象徴の言語の下にカモフラージュされた状況についての自分の個人的な見方から人間の条件の小さな側面を証言して、それを認めるのです。個々の現実の主観的な性質、私たちの文化の堕落、見せかけの偶像への崇拝の増加、凡庸さの新しい正当化、軽薄さの横行、狂気、常識、ナンセンス、タオと永遠の流れ、絶え間ない変化、生の循環的性質、「神」の支えとしての恐れ、同じ間違いの終わりなき繰り返し、時間の経過、進化、など。これらは私を取り憑かせるテーマであり、そして私はそれらの上に私の作品を築いています。
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▲ GRUMO (UNDERWEAR MUTANT PARADE)

ばかげた行動が理性の生き物を支配しているのだから、我々の狂気は正当なものなのです。
想像力を自分の唯一の本物の味方として受容しなさい。人々が生み出す重大な問題に対して戦いなさい。心には回転ドアがあると気付いて、心を開きなさい。循環規則を理解しなさい。できるだけ客観的になって、あなた自身の経験から学びなさい。1日24時間、人間の条件を考えなさい。すべては疑問に付されなければなりません。『私たちは、間違いの連鎖を続けなくてもよいのです』。それを壊しなさい。あなたは何を失うのですか? すべての人が招かれているのです。
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▲ MUGRE (UNDERWEAR MUTANT PARADE)


by tomenosuke_2006 | 2017-08-19 08:15 | 未分類
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