留ブラ金型の帰還
Return of the Metal Mold

2010年来、ほとんど毎年休むことなく働き続けてくれた留ブラの金型や治具が、遂に退役して、本日、川口の工場からいったんハリコレさんの江東区の倉庫に届けられました。
その倉庫は金型を扱うには十分な環境でないため、後日、別の倉庫へ引っ越す予定です。
トラックの積み下ろしだけでも大変な、大型フォークリフトが必須の総重量約4トンの大荷物。
こうしてツールの画像を見ていると、忘れかけていたいろんな記憶が蘇り、いままで口をつぐんできたことがとくに強く思い出されて、そろそろ打ち明けてもいいころではないかと思うのでした。
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工業製品版留ブラ(PRO)の製造をマルシン工業さんに請け負ってもらえることになり、創業時からモデルガン開発に携わっていらした当時の専務に、留ブラ製造の窓口を引き受けていただくことになりました。
また、専務推薦のフリーランスの金型設計士 "F" さんが、計画に参加されることになりました。
徳信尊さんの完璧な原型と留ブラ最初期のガレージ・モデル(のちに便宜上 "OG" と名付けましたが、2020年11月発売の留ブラOGとは異なります)を元に、Fさんが金型図面を起こし、それが鋳物工場へと回される。
物造りに関しては人一倍神経質で心配性の徳さんが、精一杯、気を遣い、Fさんに会うたび「図面を見せてほしい」と懇願するのですが、はかなくも一蹴され、挙げ句の果てに「そんな仕事はしたことがない」とキレられてしまいました。
私も徳さんでさえ、モデルガン業界の仕組みなどまるで知らないズブの素人です。
そういうものかと断念し、「まえに進むためにはFさんを100%信じるしかない」と互いに言い聞かせ合ったのでした。
Fさんの言うことは絶対で、何から何まで従わなければならないような空気の中、留ブラの製造は進んでいきました。
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ガレージ・モデル版で採用したインチネジの使用も、Fさんの一言で却下されました。
「組立工場内で使用している他の製品のミリ・ネジと交雑して問題が生じるのを防ぐため」と説明され、承諾するしかありませんでした。
しばらくすると各パーツの金型が出来上がり、テストショットと対面するため、徳さんや共同出資者のハリコレさんと連れ立ってマルシン工業さんを訪ねました。
そこで激しく期待を裏切られることになったのです。
なんと原型よりも0.5〜1.0ミリも延長された外装パーツが、いくつもあったのです。
Fさんに理由を尋ねると、「ワンオフの手造り品ならともかく、量産品は組立作業そのものがスムーズに流れ、パーツ同士が擦れ合って傷つくのを防ぐためにも、十分なクリアランスが必要。だから一部形状を変更した」と、平然と言われました。
アルミ製グリップエンドも側面のテーパーはなくなり、直角に切り立った造形に変えられていました。
理由は「テーパーのかかったアルミ・パーツは鋳造できない」というものでした。(しばらくたってそれは間違いだったと分かり、後年、留ブラPROリテイラー・エディション製造の際に、資金を投じてグリップエンドの金型を大幅改修しました)
とにかく当時、不可能と聞いてグリップエンドは諦めたものの、その他の、デザインを著しく損なうような改ざんだけは断じて受け入れられない。
「金型の製造に入るまえにも何度かお会いしていたわけだし、パーツの形状が変わるような重大な変更いついては、直接説明すべきじゃないですか」と語気強くFさんに詰め寄ってもガン無視され、どう問題を解決すべきか途方に暮れたのでした。
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Fさんを招き入れた専務はいつの間にか退職され、Fさんもゴタゴタの最中いなくなり、理不尽とは思いながらも当初の予算になけなしの "ン" 百万円を上乗せして、とりわけ目に余るパーツの金型を改修することにしました。
後加工で解決できるパーツにも、追加の費用がかかりました。
そんな経験から、万が一にも留ブラが増産するほど売れて資金ができたら、まだ残っている不本意な個所を徳さんの原型どうりに造り戻したい。
そんな夢を抱くようになったのでした。
ともあれ、留ブラの現場で問題が紛糾しているのを知ったマルシン工業の当時の社長が、見るにみかねて陣頭指揮をとられることになり、社員設計士さんがFさんの仕事を引き継いでくれて、留ブラの製造は一気に軌道にのりました。
おかげで2011年のポリス・モデル、12年のワーコン・モデル、14年のリテイラー・エディション、16年のHCG限定版と、つねに改良を加えた留ブラをコンスタントに発表することができたのです。
HCG版を準備中の2016年だったか、17年だったか、ひさしぶりにお会いした高木亮介さんからあまりにも意外過ぎるお話をうかがい、耳を疑いました。
高木さんらしい天真爛漫かつ悪びれない口調で「留ブラの設計士のFさんが "爆砕拳銃" の図面も書いたんですよ」。
なるほど、私たちが8年を費やし、留ブラ2019でやっと当初目指したブラスターに辿り着いたことを、 爆砕拳銃がほとんど1発でやってのけた背後には、少なからずあのFさんの存在があったからなんだ。
マルシン工業さんにそのことを問うと、「業界的にもあってはならないことだ」と慌てた様子でしたが、ハリコレさんの「法的措置をとるだけの由々しき案件ではないですか」という発言を聞いて、完全に沈黙してしまったのでした。
もちろん私たちに、ことを荒立てる気など微塵もありませんでした。
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世の中には留ブラと爆砕拳銃を比較批評したり、時には一方(大体は留ブラ)をこっぴどくこき下ろしたり、それはそれで読んだり、聞いたりするのは楽しいものですが、留ブラと爆砕拳銃がじつはFさん取り持つ兄弟だった、ということ以上に面白い話はないのではないでしょうか。
佐藤加寿彦さん発案・製作の留ブラ用グリーン・LED・レーザーサイトが、「偶然なのか分からないけど、取り付けネジのピッチがピッタリ同じで、 "爆砕拳銃" にも使えた」といった、SNSか何かの投稿を目にしたことがありますが、内心、「兄弟だぜ、当然だろ」と思ったものでした。
そんなこんなで。
思う存分、留ブラに打ち込む機会を提供くださったすべての留ブラ・オーナーのみなさまをはじめ、工作チームで陣頭指揮をとっていただいたハリソン・フォードと同い年のNさんや諸先輩がた、そしてパレットの上の無言の金型たちに、心から感謝したいと思います。
長い間、本当にありがとうございました。
そして徳さん、ひとまずご苦労様です。
by tomenosuke_2006 | 2022-12-01 14:37 | 留之助ブラスター
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