コジックさんがお亡くなりになりました
IN MEMORIUM FRANK KOZIK

最後にコジックさんに会ったのはMirock-Toyの金子洋平くんらと連れ立ってDConに参加した2018年の秋でした。
留之助ブースに並ぶ"ミミ・ザ・カニバル・ガール" モンド・グリーン・エディションを手にとり興味深そうに眺めまわし、アイディアやデザインをお褒めいただき、ユニークなパッケージ・グラフィックにも目を見張りながら、すべて女性アーティストの作品だと知ると、いっそう驚いた様子でした。
記念におひとつどうぞと手渡すと、大事そうに抱え、アーティストによろしくと言ってブースをあとにしたのでした。
そんな彼の訃報をKidrobotからのニュースレターで知りました。
享年61歳。
あまりにも早い唐突な死に驚くばかりです。
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1962年にスペインのマドリッドで生まれ育ったコジックは、15歳のときにサクラメントに移り、18歳で空軍に入隊し、テキサス州オースティンに就きました。
名誉除隊後はオースティンのナイトクラブでドアマン(ガタイが大きく喧嘩が強くないと雇われない職業)として働き、1980年代初頭に独学でアンダーグラウンド・アーティストとして活動を始めます。
地元のパンク・バンドのチラシやポスターを制作したことでファンが増え、1993年にサンフランシスコに移住し、そこでシルクスクリーンの小さな印刷所を開業し、レコード・ショップ "マンズ・ルイン・レコード" もオープンさせました。
セックス・ピストルズや初代クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジなどのパンクやオルタナティブ・バンドのシングルやフルアルバムを積極的にセールスし、1996年、ロック・ポスターに初めて "スモーキンラビット" を登場させました。
2001年、コジックはマンズ・ルインの店をたたみ、フルタイムでアート、デザイン、新興のアート・トイ・ムーブメントに専念し始めました。
無精髭でタバコをくわえ、お尻の穴が特徴的なウサギ 、スモーキンラビットのイラストが、2003年にKidrobotの目にとまり、コジックの長年にわたるコラボレーションが始まりました。
彼のラビットは、世界で最も成功したビニール・アート・フィギュアとして、いまだに誰からも愛されています。
コジックは 500 を超えるさまざまな限定版フィギュアをデザインしましたが、より重要なのは、彼がアート・トイ・ムーブメントの先駆者となり、Kidrobot を通じて世界中の大多数のアーティストにメジャー・デビューのチャンスを提供したことです。
コジックは Nike SB Dunk Quickstrike スニーカー、特別版 Swatch ウォッチ、2007 Spike TV Games Award のトロフィーなど、さまざまなトップ・ ライフスタイル・ブランドの製品と広告キャンペーンなども手がけました。
ローリングストーン誌によって「ロック界のトップ・ポスター・アーティストのひとり」とも評されたコジックには、妻のシャロンと猫が残されています。
ここにフランク・コジックさんのご冥福を心よりお祈りいたします。
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by tomenosuke_2006 | 2023-05-10 07:30 | 留之助商店計画
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