ピーウィー・ハーマンのポール・ルーベンスさんがお亡くなりになりました
Paul Reubens, Pee-wee Herman actor, dies of cancer at the age of 70
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真っ赤な蝶ネクタイ、グレーのスーツ、フラット・トップのヘアカットがトレードマークのピーウィー・ハーマン役で有名な、名優で脚本家のポール・ルーベンスさんが、日曜の夜(7月30日)、癌との闘病の末に他界されました。
70歳でした。
ここ数年、主にライブショーの情報を知らせてくれるピーウィー・ハーマン・ファンクラブからメルマガが届かなくなり、気にはなっていたんです。
で、ルーベンスさんの最近のインスタグラムに「過去6年間、私が直面してきたことを公にできなかったことをお詫び申し上げます。」と書かれているのを見つけました。
続けて「私はいつも友人、ファン、サポーターから多大な愛と尊敬を感じてきました。 私は皆さんをとても愛しており、皆さんのためにアートを作るのを楽しんでいます。」とも。
あれは1985年の夏、ルーベンスの指名で監督に抜擢されたティム・バートン初の長編映画『ピーウィーの大冒険 』で、声変りしかけのような太い声で喋ったり、甲高い声で歌ったり、長い手足を海藻のようにフワフワさせて踊る変幻自在のピーウィー・ハーマンに、一発で悩殺されてしまいました。
ルーベンス自ら書き下ろした脚本を『ブレードランナー』(1982年)の美術監督デビッド・スナイダーがスタイリッシュに視覚化し、オタクなバートンが楽しみながら演出した誰にも文句は言わせない幸福作。
その真髄は1986年から1990年にかけてCBSで放送され、その後も繰り返し再放送された全編スタジオ撮りのTVショー『ピーウィーのプレイハウス』に受け継がれ、美術監督ゲイリー・パンターの稀に見る奇抜なデザインが異世界感をいっそう際立たせていました。
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ちなみにTomenosuke web storeで追悼セール中のピーウィー・ハーマン・フィギュアは、『ピーウィーのプレイハウス』のメーンキャラクターの商品化です。
TV放送の途中に劇場公開された『ピーウィー・ハーマンの空飛ぶサーカス』(1988年)が普通に思えるくらいTVショーは麻薬的で、1990年には仕事にかこつけNYにゲイリー・パンターを訪ね、禁断症状を紛らわせたくらいでした。
人気絶頂だった1991年7月、ルーベンスがフロリダのポルノ映画館で自慰行為を行ったとして逮捕され、一時キャリアを自粛していたのはご存知でしょう。
そんなズタボロの彼をショービジネス界に呼び戻した人こそ、かつてルーベンスに見出されたティム・バートン監督でした。
短い出演シーンでしたが1992年の『バットマン・リターンズ』で、ペンギンの父親タッカー・コブルポット卿役の彼を見た時は、地味だけれど印象的すぎて涙が込み上げてきたものです。
2009年11月にハリウッド大通りのThe Music Box at Fondaで上演された "The Pee-wee Herman Show LIVE ON STAGE" で、生のピーウィー - ポール・ルーベンス - ハーマンに会えたことは生涯の宝物です。
2016年に配信されたネトフリ・オリジナル映画『ピーウィーのビッグ・ホリデー』が彼の遺作になりました。
陽気で明るく、気分屋でわがまま、飽きっぽくて繊細で、傷つきやすいくせに意地悪なときもある30年来変わらぬキャラクターを、当時64歳とは思えぬ若々しさで溌剌と演じ、驚かされるばかりでした。
まさかその直後に闘病生活が始まったとは、想像もできません。
ポール・ルーベンスの悲報に触れる数日まえに、奇しくもKidrobotから新製品の案内が届いていました。
Pee-wee's Playhouse 3" Vinyl Mini Seriesといいます(下の画像)。
来年3月出荷予定。
稀有な才能の彼は、コメディ界の殿堂と私たちの心の中に永遠に生き続けることでしょう。
とりあえず今夜はMATCHBOX製のトーキング・ピーウィー・ハーマン人形を傍に、VHSの『ピーウィーのプレイハウス』を観ながら喪に服したいと思います。
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by tomenosuke_2006 | 2023-08-02 09:11 | TV・映画・ビデオ
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