ブレラン祭り。
1980年代はじめ、バーバンク・スタジオ(いまはワーナー・スタジオと呼ばれている)へは何度も通ったものだった。
お目当てはリドリー・スコット監督の近未来フィルムノワールブレードランナー
最初は映画TVに自作のSFプロップやヴィンテージ家具をレンタルしているModern Propsのオーナーに誘われ、スタッフのふりをして紛れ込んだ。
しばらくするとスタジオの広報から外人記者クラブ経由で正式に取材要請があり、スコット監督に会えることになった。
そのときの模様は、当時の読売新聞夕刊の芸能欄や日本版スターログに書いた。
忘れがたいのは、イギリスを離れ、はじめてハリウッドの現場に入り、ユニオン(組合)のやり方に馴染めずイライラしている監督の姿だった。
監督はムービーカメラの位置替えどころか、ファインダーすらのぞけない。
カメラを動かすのはカメラオペレーターで、写角を決めるのはシネマトグラファー。
メジャー作品で働くクルーは、それぞれ属するユニオンによって自分の職分が守られ、余計なことはしない、やらせないが徹底していた。
ヴィジュアリストのスコット監督としては、イギリスで撮ったエイリアンのようにはいかず、ことのほかご機嫌ななめだった。
「ハリウッドはアーノルド・パーマーからクラブを取り上げ、ゴルフをしろと言ってるようなものだ!」
後方のオープンセットでは、ワイヤーに結ばれたスピナーが宙に浮いているのが見えた。

ミニチュア撮影をしているサンタモニカ・ビーチ近くのSFXスタジオ、 EEGへも足繁く通った。
ダグラス・トランブルリチャード・ユーリシッチにはよくしてもらった。
モデルメーカーのマーク・ステットソンとは、お互い若いということもあって仲よくなり、LAを離れる1985年まで、映画でいえば2010年バカルー・バンザイの8次元ギャラクシーのころまで、何度も彼のワークショップへ遊びによったものだった。
そのマークのオフィスのロッカーの上には、バーバンク・スタジオで目にしたスピナーの正確なスケールモデルがアクリルケースにおさまり、飾られていた。

いまでは強力な支持者を擁するカルト映画ブレードランナーこと、ブレラン。
4半世紀、ブレランのことばかり考えてきた筋金入りの友人、新関さんには笑われるかもしれないけれど、モノ好きの店主としては、スピナーと、それからデッカードが手にしていたあのごつい銃、ブラスターを思うたび、そのオモチャに触れるだけで、こころは1980年代にワープするのだ。
そこで店長候補君と計画しているのが『ブレラン祭り』。
お店の旗揚げ第一段は、ヤフオクを利用したスピナーとブラスターの一挙競売というのはどうだろう。
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じつは我らが店長、モデルメーカーとしても凄腕で、壊れたプロップを復元したり、ガレキを見事に完成させて、しじゅう店主を喜ばせてくれているのだよ。
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by tomenosuke_2006 | 2006-07-06 18:36 | プロップ
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