お見舞いと饒舌。
むかし、1980年。
LA生活をはじめたとき、一日も早く英会話をマスターしたい一念で、あることをこころに決めた。
・・・日本語を話さない生活をする。
ダウンタウンには日本の商業施設が集中するリトルトーキョーがあり、街のいたるところで日本人が営む日本食レストラン、マーケット、ガスステーションや自動車修理工場、旅行代理店や保険会社、診療所や弁護士事務所など、いろいろ何でも見かける。
つまりアメリカに住んでも、日本語だけで生活しようと思えば難なくできてしまうのがLAなのだ。
英語を学びたいと思う人には、治安も含めて危険な場所というしかない。
口がホームシックを訴え、たまに日本食を食べには出たけれど、あとは極力、日本人との接触をさけ、片言の英語でやり抜いた。
おかげで、とんでもない中古車を買わされたり、修理代をぼったくられたりで、課外授業にもけっこうレッスン料を払ったものだ。
とにかく、そんな生活を続けて半年ほどたった年の暮れ、東京時代の友人が遊びに来た。
積もる話は山とある。
LAXに迎えに出てから、当時ハマッていたPioneer Fried Chickenでカリカリの鳥の唐揚げを食べ、夜のチャイニーズシアターで最後のショーを観るまで、とにかくしゃべり続けた。
恥ずかしいくらいに。
そう、日本語を話すことに飢えていたのだった。
個室にこもり、病院のスタッフとは必要最小限の言葉しか交わさず、あとはキーボード相手にひとりごとの日々。
半月ちょっとしかたっていないというのに、きょうの午後、お見舞いによってくれた友人カップル相手に、まるでLAに住みはじめたころの調子でしゃべりまくった。
おもに007のこと、たわいない。
その話し中に看護師さんが入浴の順番が回って来たと告げに顔を出し、なんか救われた感じがした。
私よりも、お見舞いに来た友人が?
病室に誰かをたずね、具合やら経過について会話したのち、かならず沈黙タイムに突入し、だからといってさっさと帰るのは薄情な気がする。
そんな経験をしたことがあるような。
そういう時、もし医師が回診で病室をおとずれたり、看護師が“男子入浴中”の札を持ってあらわれたら、それこそ千載一遇のチャンスではないか。
もちろん友人はチャンスをものにした。
ジェームス・ボンドがロシアより愛をこめてでギミックいっぱいのアタッシュケースを使ったのがきっかけで、オヤジたちの間でアタッシュケース・ブームが巻き起こったという話、まだなんだけどなぁ。
あしたの朝は週のはじめの尿と血液検査があり、3日間の日程でパルス療法の点滴がはじまる。
1回目がダメても、2回目で効く人が少なくないという話を信じて、おやすみなさい。
お見舞いと饒舌。_a0077842_7432355.jpg

by tomenosuke_2006 | 2006-07-17 23:56 | ネフローゼ症候群
<< スパイモチャ/その2/アタッシ... ホームページのトップだけ、でき... >>