ネオン集め その1 きっかけ
回想。
1980年、ハリウッド。
数ブロック先にハリウッド・フリーウェイのエントランスが見えるあたり、番地でいえば5800ハリウッド・ブールバード。
マンズチャイニーズ・シアターで始まる映画街の東の端に、PIX(映画の略称)という小さな二番館があった。
白いモルタルでできた1930年代の平屋建て。
ロードショー館から落ちてきた比較的新しい映画が、ここPIXでは1本分の値段で3本楽しめた。
PIXへ出かけるなら照明の灯る夕暮れからときめていた。
昼間の殺風景な外観とは打って変わり、建物全体が宝石の如くきらめき浮かび上がって、入り口のドアをくぐるとき、まるで夢の中へ入っていくような気分にひたれるからだ。
建物の正面中央にそびえる尖頭は孔雀の羽を1枚、大きく拡大して縦に置いたよう。
羽には上から順にP・I・Xの文字と、ピンクやブルーの直線や曲線の幾重もの筋。
尖頭の下に突き出たひさしにも様々な線が縦横に走り、カラフルに波打つ噴水を思わせる。
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この写真は店主がLA在住中の1980年代、
友人のカメラマン都竹晃君がエッセイのカット用に撮影してくれたものです。


すべては昼間、白くて細い線にしか見えない無数のガラス管。
陽が西の海に沈み始めるころ、110ボルトの電流が通されて色づき、発光するのだ。
通称ネオン。
文献による1899年にイギリスで発明され、商業的使用が始まったのは1920年代に入ってからだとか。
アメリカでは1930年代にものすごい勢いで普及した。
とりわけ映画館やデパート、レストランやナイトクラブなどの商業施設が意匠を凝らしたネオンサインを積極的に採り入れ、道行く人たちにアピールしたのだ。
点滅を制御するカムとかドラムと呼ばれる機械を内蔵して、中にはアニメーションのような複雑な動きを見せるものもあった。
1930年代が不況の時代だったということと、ネオンの普及はけっして無関係ではない。
映画でいえば派手なミュージカルや歴史劇が流行ったように、家庭用品でいえば色付きのガラス器や陶磁器がもてはやされたように、カラフルに点滅するネオンは不況の憂いを吹き飛ばしてくれる幻想そのものだった。
一見、シンプルで味気ない低予算の建物も、ひと筋の色付きネオンでトリミングされるだけで、まったく別の豊かな表情に変わる。
たとえばPIX。
夜になるとモルタルの白い壁面さえ、赤や青や緑や黄色のネオンの光を浴びて発色し、その鮮やかさは好景気の1920年代に大金を投じて造られたマンズチャイニーズ・シアターと互角に渡り合える華麗さだった。

ハリウッドにかぎらず、ここ20年ほどの再開発ブームで古い建物は次々に取り壊され、ネオンもまた瓦礫とともに打ち捨てられていった。
PIXはといえば、ご多分にもれず店主がLAを離れた年の1985年に閉館となり、89年に旅行で戻ったときにはブールバードから消えていた。
きっとそのさびしさからだったと思う、かつてアメリカのメインストリートで人々をなごませながら、いまでは忘れられ、打ち捨てられそうになっているネオンを救うことに明け暮れた時期があった。
お店に飾るわけにもいかない大型のネオンサイン・コレクション。
荷物を運び出してゆとりのできた下呂市の倉庫を、近く、ネオン専用のショールームにでもしようかと考えているのだけれど。
とりあえずはこのあと、ネオン集めの栄光と挫折など、気のおもむくまま(不定期)にしたためてみたいと思っている。
つづく。
by tomenosuke_2006 | 2006-11-02 17:09 | ムカシモチャ
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