ブレランをめぐる暴言 1/3 「スコット監督の恋人」

はじめに映画ブレードランナーに関する記述は、4分の1世紀以上まえに店主がLA界隈で見たり聞いたりした話のおぼろげな記憶に基づいている。店主はブレランについて書かれた研究書や論文を推考したり、公開後もたびたび改編された完全版やディレクターズ・カット版を精査するような熱心なマニアではない。店主にとってブレランはそれがつくられた時、幸運にもその近くにいたという理由から、心情的にずっと共生する映画だった。ブレランをめぐる暴言と題するこの文章は、そんな映画についての回想と、商品化に関する最新の話題を併記した雑文に過ぎない。

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↑ 日本版スターログ1981年10月号より転載。映画ジャーナリスト時代の若き日の店主が寄稿した撮影現場レポートで、この記事が日本で最初にブレランを紹介した文章となった。


去年の秋、映画のマーチャンダイジングの仕事をしている知人から、長いあいだ闇の中にあったブレードランナーのライセンスが近くクリアになりそうだが、売れ筋はブラスターとスピナーぐらいだろうかと相談を持ちかけられた。
大量生産品にあまり興味のない店主としては、反対に意地の悪い質問を浴びせたものだった。
何が売れるかではなく、きちんと製品化する自信はおありかと。
ファンの知性を過小評価しては困る。
安易な態度は彼ら(我々)の気持ちを踏みにじるのに等しく、とりわけブレランほど世界中に研究熱心なファンを有する映画はないと力説せねばならなかった。
この映画の細部にいたる作り込みの深さは尋常ではない。
神秘的ですらある。
謎の迷宮は果てしなく続くようにも思われ、詳細を知りたいとの欲求がファンの結束を固くしている。
たとえばすべてが白日の下に晒されているSWとは次元が異なるのである。
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↑ 売れ行きが奮わなかったERTL社のダイキャスト・ミニカーのセット。その後、在庫整理のために単体ブリスター版が発売された。


映像とサウンドトラック以外の主なライセンスは映画出資者で組織されたThe Blade Runner Partnershipが管理していたが、映画公開後まもなく解散した。
玩具の商品化権がダイキャスト・ミニカーのERTL社ぐらいにしか売れず(SWのようなわけにはいかなかった)、加えてその売れ行きが奮わなかったこと、またBLADE RUNNER SKETCHBOOKなど関連書籍の翻訳権の引き合いが期待したほどなかったことなどが解散の最たる理由だった。
その後、4分の1世紀ものあいだほとんど放置されてきたようなブレランのライセンスなのだ。
稀に見る濃厚な世界観ゆえに魅力的なプロップデザインも数知れず、ガレージメーカーたちがそこに創作の可能性を見出したとしても不思議ではなかった。
優れた作品がアンダーグラウンドで芽を吹き、控え目ながら地上で開花することになった。
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↑ かつてゼネプロから正規品のポリススピナーのソフビキットが発売された。ディスプレー・モデルとしてだけでなく、タムテックとのコンパチも楽しめた。


ブレランはカメラが回り出すまでに何度も不運に見舞われた映画だった。
製作直前にアラン・E・ナースという作家が同名のSF小説を発表していることが判明し、多額のタイトル使用料が支払われることになった。
その問題が解決すると、今度は映画の独立プロ系製作会社フィルムウェイズが当初の製作費2200万ドルを徐々に削減しはじめ、ついには企画そのものを放棄してしまったのだ。
それが1979年12月、映画にはタイミングの問題がある。
スタッフやキャスト、スタジオのスケジュールなどがすべて考慮されて、ブレランは1982年6月の公開に向けて企画されていた。
プロデューサーはマイケル・チミノのディア・ハンターでアカデミー賞を獲ったマイケル・ディーリー。
13もの映画会社に協力を求めたが反応はかんばしくなかった。
1979年12月といえばハリウッドは天国の門の前評判で大作映画のリスクに対して神経質になっていた時期。
チミノのディア・ハンターをプロデュースした人物が、こともあろうにチミノの新作で意外なしっぺ返しを食う、そんな皮肉に見舞われたのだった。
1980年の1年間は出資者探しに費やされ、1981年3月、やっと独立プロダクション、タンデムとラッド・カムパニーの援助を取り付けることに成功した。
さらに香港の富豪、ラン・ラン・ショウの資金も投入されることになった。
その結果、これら出資者の複雑な力関係やライセンス・ビジネスに対する見解の相違により、いったん解散したThe Blade Runner Partnershipのような組織を再編することはほとんど不可能になってしまったのだった。
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↑ フューチャーカー/MEDICOM。1:18 scale、ファンメイドになるデカールを貼り付けクリアコート。バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2で使われた元スピナーを製品化する権利を取得、フューチャーカーという商品名で発売してブレラン・ファンを唸らせた。


ちょうどそのころだったと記憶する、ヴィデオドロームの準備に追われるSFXメイクアップ・アーティスト、リック・ベイカーの工房で店主はリドリー・スコットに対面した。
あのエイリアンの監督は店主がこれまで見たこともないような絶世の美女を伴っていた。
リックの言葉をかりれば、彼女はスコット監督の恋人だった。
同じ時期、遊星からの物体Xのクリーチャー部門を指揮していたロブ・ボーティンからスコット監督が美女とふたりで訪ねてきたと聞かされた。
リックとロブが語るスコット監督の訪問理由は、いずれも仔細な点にまで完璧を期そうとする当代切ってのヴィジュアル・スタイルストの有り様を裏付けるものだった。
本来なら、その程度の用事はプロデューサー補の仕事なのだ。
リックとロブのブレランへの参加は実現しなかったが、この出来事だけでも今度の映画がエイリアン以上に緻密な映像の集積になるに違いないと確信させられたのだった。
スコット監督からどのようなオファが2人にあったかは後述するとして、それより翌年、つまり1982年の春、ブレランの試写を観て店主はスコット監督の恋人の正体を知ることになる。
あのときの美女、一瞬目が合い、どぎまぎしてついうつむいてしまった店主の見た女性は、スネーク・ダンサーのゾーラを演じた女優ジョアンナ・キャシディその人だったのである。
つづく。



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↑ ダイキャスト製スピナー/コメットミニチュア。1:24 scale、完成品、限定100個。現在発売されているもっとも精巧なダイキャストモデル。


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↑ ポリス・スピナー/MIM。1:16 scale。メーカーは1/16サイズと発表しているがフィギュアのサイズから判断すると1/12に近い。現時点で最大級の大型スピナー・キット。自作シール、デカール、追加パーツ等を使った榎本店長による力作。


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↑ ポリス・スピナー/ファンメイド。手のひらサイズのフルスクラッチ・スピナー、詳細は不明。


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↑ ソフビ・ポリス・スピナー/ゼネラル・プロダクツ。1:24 scale。メーカーは1/24と発表しているが1/18に近いサイズ。これも榎本店長による苦心の作。


by tomenosuke_2006 | 2007-02-28 20:15 | TV・映画・ビデオ
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