復活、US M-3 SUB MACHINEGUNだぁ。
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店主14才、中学3年生のころ、いちおう不良少年ということになってました。
当時住んでいた下呂温泉から高山線で3時間、たまぁーに学校さぼって名古屋まで映画観に行ってたのがバレたからかなぁ。
ふつう、列車の中で校長先生には会いませんって・・・運が悪い。
名古屋には映画のほかにもうひとつ外せない用事があってね、それはMGCの特約店だったオガワ屋へ寄ること。
そこで買ったターゲット・ピストルの単純な発射メカニズムに習って、プラスチックの弾丸の代わりにブローニング380のバレルにぴったりのボールベアリングを探し出し、真鍮の薬莢に火薬をてんこ盛りに入れて、いま思うとけっこう危険な実験に打ち興じていた。
あげくの果てに隣りの家のお勝手の窓ガラスを割っちゃって、ふつうそんなことで警察呼びますかぁ・・・運が悪い。
そういう1960年代のある日、ちょうど40年前、特攻大作戦(1967)を観たあとにMGCのUS M-3サブマシンガンを手に入れるという、14才の小僧っ子にしては上出来な体験をしたのだった。
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自動車のタイヤの軸受けにドロッとした潤滑剤のグリースを塗るときに使う注射器のような道具をグリースガンというが、M-3(エムサン)はそれによく似たカタチをしているところからグリースガンの愛称で呼ばれるようになったと、当時、何かで読んで、ひとつ物知りになったような気がしたものだった。
エムサンは1967年でいちばん激しく面白い映画で大活躍した機関銃である。
機械の整備道具のような外観は、映画の原題“汚れた12人”の手綱を引いてドイツ軍司令部に特攻するタフで飾りっ気のないリー・マーヴィン少佐にぴったり似合っていた。
ロングマガジンを2本、交互にテープで留めて、片方を撃ち尽くすと、サッと上下を入れ替えるってところが、これまたカッコよかった。
名古屋駅前で特攻大作戦を観たあと、オガワ屋で本当なら発売されたばかりのP38ゲシュタポタイプを買うつもりだったけれど、それより1200円も高いエムサンにしたのは映画の影響である。
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エムサンはほとんどのパーツがスチール製で、火薬を使わず、ゼンマイ仕掛けでボルトが前後に動き、バリバリ排莢するという他に類を見ないモデルガンだった。
当時の店主はエムサンを、心地よい金属音と排莢のメカニズムが気軽に楽しめたMGCのスライドアクション銃、ワルサーPPKやP38、のちに出たモーゼルHSC、さらに中田商店のルガーP08などと同じ仲間と見なし、撃ちまくっていた。
火薬がいらないから汚れ知らずっていうところも気に入った。
問題は飛び散った薬莢を探しながら拾い集めること、撃つたびに1個2個と見失い、何度も通販で取り寄せた。
遊び過ぎてゼンマイが切れ、MGCのサービスセンターで修理してもらったこともある。
そんなこんなでおよそ20年ぶりに実家の納戸でエムサンと再会、多少錆びは浮いていたものの、問題なく作動したのには驚かされた。
それからまた10数年、いまからほんの数年前、ひさしぶりにエムサンを手にするとトリガーがプカプカで撃つこと叶わず、そのままにしていたのだけれど、つい最近、死んだエムサンに再び命を授けてくれる救世主が現れたのだった。
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エムサンの開発者タニオ・コバさんの次にこの特殊銃に詳しいと世界が認める栩野幸知(とちのゆきとも)さん。
店主、馴れ馴れしく“とっち〜さん”って呼んでいる、ひとことでいうなら業界の“怪人”である。
どんなふうに怪人かということは、彼のサイトtoch!.netをご覧なさい、心底面白いから。
で、とっち〜さんとのご縁については、後日、改めまして。
by tomenosuke_2006 | 2007-09-16 23:40 | ムカシモチャ
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