ゲイリー・パンターのジンボ。
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フィクション、見せかけ、紛い物が横行し、キッチュとかポップという言葉でうまく言いくるめられる場所、ロサンゼルス。
街そのものがまるで映画のオープンセットのようなハリウッド。
気候は一年を通じ穏やかで、真夏でも湿気がないから高温の割に過ごしやすい。
曖昧な季節感にあぐらをかき、年中Tシャツとジーンズで済ましてしまうカリフォルニアンの何と多いことか。
LAに長く住んでその気楽さにどっぷり浸ると、同じアメリカだというのになぜかNYに気後れするようになる。
店主はいつの間にかけじめのない大都会に住む田舎者になっていたのだ。
ある映画の取材ではじめて訪れた1983年11月のNYで、そう思った。
1985年の同じく11月、2度目のNYでも同様の気分を味わった。
LAではあり得ない晩秋の冷えた空気のせいか、密集した街に途切れなくこだまする騒音に圧倒されたのか、クルマも人でさえ競争しているかのように先を急ぐ慌ただしさに息苦しくなってしまった。
LAのペースでいると踏み潰されるのではないかと畏れすら感じた。
それが4度目だったのか、あるいは5度目なのか、1990年9月のNYで、はじめてそこを好きだと思った。
慣れたからというんじゃない、理由はただひとつゲイリー・パンターに会ったから。
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店主よりも3つ年上の画家でありアニメーターでありデザイナー。
当時、タイム、ニューヨーカー、ローリングストーン、スピンの各誌にイラストを提供し、彼が担当した子供向けTV番組ピーウィー・ハーマン・プレイハウスのセットデザインではエミー賞にノミネートされていた(のちに3度エミー賞を受賞する)。
そのゲイリーに東京で開かれる映画のイベント会場をデザインしてもらいたくて、ブルックリンの彼のスタジオを訪ね、想像以上に楽しい時間を過ごせたからなのだ。
構えないでNYと付き合えるようになった。

スケッチブックの片隅の小さなイタズラ書きのような作風。
一見荒っぽそうで、じつは時間をかけて仕上げられる絵。
軽さ、気兼ねのなさを装い、押し並べてていねい、どの作品にも工夫や愛情の跡が見える。
カウンターカルチャーの精神は好きだけれど、自分はもっと単純なリベラルな画家だと思っていると、穏やかな口調。
そんなゲイリーが気安く請け負い描いてくれたイベント会場のデザイン画の中でも、いちばんの大作が冒頭の絵、題して『ハリウッド・ムービー・ヴィレッジ』。
で、すぐ上の写真は、いまから17年まえに店主が撮ったゲイリーその人である。
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いまでは“パンクコミックの父”とか“ロウブロウアートの先駆者”と称えられ尊敬を集めるゲイリー。
彼の創作したJIMBO(ジンボ)は、もっとも有名なパンクコミック・キャラクターのひとりだ。
ネアンデルタール人の知性を持つ現代人という設定で、強烈な勘違いと取り返しのつかない失敗を繰り返す。
じつはシンプソンズに多大な影響を与えたともいわれている。
まだデザイナーズトイとかアート・トイという言葉が生まれるまえの1995年、ゲイリーはNYで120個だけジンボのヌイグルミ(右上)を発表した。
縦50センチほどのシルクスクリーン仕上げ、それ自体がアートのビニールバッグ入りで、もしかしたら世界最初のオブジェモチャかもしれない。
いまではコレクターの間で“幻のジンボ”と呼ばれ、ゲイリーの原画なみの高額でたまにアートギャラリーに並ぶ。
そのジンボのソフビ化が進行中だと知ったのが2ヶ月まえで、通常のオブジェモチャ・ルートにはのらないから、店主、仕入れるためにけっこう苦心した。
ここずっと、ゲイリーのサイトを覗き近況をうかがうだけだったけれど、新しいジンボを機にご無沙汰していた彼との17年間の穴埋めをしようと秘かに思っている。
生産数はたったの750個、12月上旬、留之助商店には6個が入荷する。
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by tomenosuke_2006 | 2007-11-02 23:59 | ロウブロウアート
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