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ブレランのに〜ぜき、立ち上がる。
ブレランファンならもうご存知ですよね。
に〜ぜきさんが、ご自身のブログにブレードランナー・ファイナルカットの劇場公開をワーナーにお願いするコーナーを設けました。

http://ameblo.jp/allbr/day-20070907.html

署名運動のようなものです。
まだご存知ない方、映画好き、オブジェモチャ・ファンのみなさん、ご協力をお願いします。
せっかくの映画、劇場の大きなスクリーンといい音で楽しんでみたいと思いますよね。
by tomenosuke_2006 | 2007-09-09 00:40 | TV・映画・ビデオ
ケビンが紹介してくれたもうひとりのケビンのこと。
話は9月4日の記事で触れた映画『モンスター・イン・ザ・クローゼット/暗闇の悪魔』が製作された1985年にさかのぼる。
例の下アゴがデレッと垂れ下がった男色モンスターの着ぐるみを作るケビン・ブレナンの仕事場を訪ねたときのことだ。
正確を記するなら、そこはケビンの大先輩であり、モンスターの内装メカニズム=アニマトロニクスをデザインしたダグ・ベズウィックの自宅ガレージだった。
ダグとは、長年リック・ベイカーを影で支えてきた天才マシーニスト。
寡黙で、人前に出たがらず、コツコツと仕事をするタイプの人。
リックがアカデミー賞を受賞した『狼男アメリカン』(1981)や『グレイストーク』(1983)の作り物に内装されていたほとんどのメカはダグの手作りだし、スタン・ウィンストンに依頼されジェームス・キャメロンのスケッチを元に『ターミネーター』(1984)のエンドスケルトンのコンセプト・マケット兼アニメーション・モデルを作ったのも彼だった。
留之助商店に飾ってある現存する唯一のフルスケール・T1は、そもそもダグのエンスケの拡大版だったのである。
モンスター・イン・ザ・クローゼットはそんなダグとケビンが請け負った仕事で、ダグのガレージではモンスターを演じるスタントマンの全身を型どりする作業が進行中だった。
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むかし撮ったこんな写真が出てきた。
拡大して見てください。黒い上着がケビン、白のTシャツがダグ。


ケビンが身長2メートル以上はある痩身のスタントマンを紹介してくれた。
「ぼくと同じファーストネームのケビン・ピーター・ホール」
面と向かうと、ちょうど店主の目線は彼のヘソのあたり。
とにかく眼前に立ちはだかる電信柱人間といったところ。
「本業はダンサーなんだけど、身長がありすぎてね、なかなかダンスの仕事にありつけず、かわりに映画やイベントでいろんなヌイグルミを着てるんだ」と、もうひとりのケビン。
ひと目でゲイとわかる物腰柔らかな人物だった。
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ケビン・ピーター・ホールを型どりして作ったライフキャストの上に、
粘土を盛ってモンスターを彫刻するケビン(左)と、
それを見守るパートナーのダグ(右)。
モノクロ写真はモンスターの口の中から出てくるもう一匹のモンスターの彫刻。
エイリアンのリップオフだけれど、デザインは素晴らしい。

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モンスターの着ぐるみが完成して、スタントマンのケビンが試着。
左上の長髪の男子がスペシャル・メークアップ・アーティストのケビン。
身長は185センチぐらいだったから、モンスターのデカさも想像できる。
モンスターの口の中にもうひとりのケビンの笑顔が覗く。


その後も何度か仕事場や撮影現場でケビン・ピーター・ホールと会ったけれど、脚本家兼監督のボブ・ダーリン立ち会いのもと、着ぐるみのアクション・チェックをした日のことは忘れられない。
そこにはいつものやさしげなスタントマンの姿はなく、モンスターに変身した迫力満点の大男がいた。
彼はモンスターという化けの皮の中でのみ男に返るのか、男を演じるのを楽しんでいるのか、エイリアンと闘わせてみたいと思わせる荒々しくどう猛な身振り手振りには圧倒された。
けれど、「このモンスターはね、男好きな一風変わったキャラクターなんだから、もう少しそこらへんを意識して演じてもらわないと困る」と注文をつける監督の言葉に、つい吹き出しそうになってしまったのだった。
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その後、店主が帰国して間もなく、ケビン・ピーター・ホールの活躍をケビン・ブレナンのクリスマスカードで知らされた。
『プレデター』(1987年/上)ではそのタイトルロールを、同じ年に公開された『ハリーとヘンダーソン一家』でもハリーという名のビッグフットを演じ、ともに映画は大ヒット。
しかもプレデターは続編が、ハリーはTVシリーズ化されて、押しも押されもしないハリウッド一のモンスター俳優になったのだ。
ちょうど『プレデター2』(1991年)が公開された年、ハリウッドで数年ぶりにケビン・ブレナンと会い、悲報に接した。
あの長身の彼がつい最近、エイズでこの世を去ったという。
放送中のTVシリーズのハリーはしばらく代役で撮影されたけれど、中途で製作が打ち切られたとも。
製作陣も共演者たちでさえ、ケビンが演じたハリーそのものがこの世を去ったような虚脱感に見舞われ、撮影を続行することができなくなってしまったからだった。
もはやケビンは単なる着ぐるみ役者ではなかったのだ。

留之助商店の奥には『プレデター2』でケビン・ピーター・ホールが着用した着ぐるみを展示用に改造したあのモンスターが仁王立ちしている。
店主はその恐ろしげな怪物を見上げるたび、それとはまったく正反対の彼のやさしい笑顔をはっきりと思い出すのだった。

プレデター2の雄姿も見てください。
by tomenosuke_2006 | 2007-09-08 23:52 | TV・映画・ビデオ
緊急入荷・ブレラン The Final Cut プロモプリント!
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ポスターやスチルなどムービーマテリアルの販売で有名なTOY HAWKSから、8X10サイズのプリント8枚セットが極少数入荷した。
ものはイワクつき。
7月30日の記事で紹介したブレードランナーの新DVD“ The Final Cut”のプロモーション用に作られながら、結局は使われなかった8X10なのだ。
ようはSDCC 2007でのサイン会用の色紙みたいなもの。
じゃ、なぜ使われなかったかというと諸説紛々、TOY HAWKSの説明を箇条書きすると。
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1.最終的に会場で配布されたポスターの印刷が、じつは諸般の事情で遅れていたため、万一納期が間に合わなかったときのために用意されたレイザープリントによる代替品という説。
確かに印刷が荒れて見えるものもある。
2.サイン会に参加予定だったジェームズ・ホンが、配布用ポスターに自分の演じた目玉屋のチューがいないことにヘソを曲げたため、急きょ個別版が作られたという説。
結局ジェームズ・ホンはサイン会には顔を出さずじまい、別のブースでサイン入りTシャツなどを売っていたとか。
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デザインからするとロビーカード風。
でもそれぞれに俳優の名前とキャラクター名が印刷されてるあたりはサイン用色紙。
不思議なのは目玉屋チューのプリントが2種類ある点。
スピナーの絵だけが異色だけれど、シド・ミードのサイン用だったんでしょう。
そういえばサイン会に出席予定だったエドワード・ジェームス・オルモスとダリル・ハンナのプリントもセットに含まれている。
とにかく信用あるTOY HAWKSが卸してくれたこのプロモプリント、今夜、新入荷情報にアップしたり、ヤフオクにも出品することにしたよ。

あとの3点のプロモプリント画像はこちら。
by tomenosuke_2006 | 2007-09-06 16:09 | TV・映画・ビデオ
ダニー・イン・ザ・サウナ。
9月になったというのに、きょうの飛騨地方の暑さといったらハンパじゃなかったね。
1週間ぶりに下呂温泉の別荘に寄り、仕事場のドアを開けると、なんと中はサウナのよう。
夏のあいだ、ドライ設定で連続運転させてたはずのエアコンが止まってたんだよ。
建物の中も外も、ちゃんと世話してくれる人がいるから、いつも掃除したてのキレイさなんだけれど、空調のオン・オフはなんとなく店主の役割。
きっとスイッチ入れ忘れて高山へ帰ったんだろうね、だからまるっと1週間、このまえ寄ったときからずっと中は異常気象だったと。
仕事場の大半はいまでは大事なワンオフ・オブジェモチャのストックルームと化し、見ればひとり、20インチのダニーがなんかヘン。
ただでさえ首のない寸詰まりの体形なのに、胴体が顔にのめり込んだみたいで、あるいは下アゴが胴体にデレッと垂れ下がったようで、とにかくモンスター・イン・ザ・クローゼット/暗闇の悪魔のしまりのない怪物を思い出してしまった。
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じつは20年まえに公開されたこのショーモナイ映画とは、さらにさかのぼること2年まえからの付き合いだった。
スペシャル・メークアップ・アーティストのリック・ベイカーに長年師事し、当時、店主のアパートのすぐ近くに住んでいたからよけいに親しくなったケビン・ブレナンの、これは独立記念作で、何度か仕事場や撮影現場に遊びに寄ったりしたのだよ。
アゴが外れたんじゃないかと思わせるしまりのない風貌には意味があり、押し入れモンスターは男色モンスター、美味しそうな男を見るとデレッデレッとなっちゃう、その心の機微を下アゴに表現したのである?
それより、ダニー・イン・ザ・サウナだった。
NYのYoyamartの専属アーティストで、2004年に開催された最初のダニーのリリース・パーティではトリスタン・イートンやダレクとともにワンオフ20インチ・ダニーを発表したJD Boujnah(JD・ボージャナ)の、そのときの、そのものズバリが、日ごろの暑さでフニャフニャになっっちゃって、つまり押し入れモンスター状態、一瞬、焦った。
というわけで今夜は下呂市にとどまり、へこんだダニーの首の付け根の矯正治療をしたのでした。

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矯正治療中のボージャナ・ダニー。
こんなふうにS管で頭を吊り下げ、へこんだソフビの首の付け根を戻しました。

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ボージャナがパッケージをデザインしたチョコレート。
ほかにもゲイリー・ベースマンやティム・ビスカップのチョコなどYoyamartで販売中。


by tomenosuke_2006 | 2007-09-04 23:43 | TV・映画・ビデオ
古き友より冊子小包。
損得抜きで、単に「大好き」という理由からひとつの事柄に拘(こだわ)り、他の娯楽費や遊興費や、あるときは食費さえ切り詰めて大好きに関するモノや情報を収集し、独自の見地(独断と偏見ともいう)で追求・研究・分析したり、ウンチクする。
じつに個人的な拘りにも関わらず、あまりに度を過ぎたその様子にシンパを呼び、いつの間にかカルトな存在へと変貌する“超”オタクな人々。
そんな人たちとの交流を、いまはなきオモチャ雑誌COOL TOYSに連載したっけ。
たとえばつい最近、7月8日の記事で紹介したブレランのに〜ぜきさんがそのひとりなら、奈良の開業医の松岡秀治さんもカルトな友人のひとり、件の連載に登場したのだった。
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↑はCOOL TOYS 1999年3月31日発売号のページです。


かつてゴールデンタイムに幅を利かせていた海外TVドラマが、新作・傑作の如何を問わず深夜枠へと追いやられることになった1970年代、つまり松岡さんの少年から青春時代の番組は言うに及ばず、誰も聞いたことのないようなマイナーな最新作まで、恐ろしいことに、とにかくぜんぶ知りつくしている。
で、その膨大な知識をBJ PRESSという自費出版同人誌にまとめだしたのが1996年で、以来15冊、コンスタントに号を重ねてきたけれど、2002年ごろから音沙汰なし。
が、つい最近、奈良から突然の冊子小包が届き、中からBJ PRESSの最新17号が顔を出したのだ。
知ってます? アメリカのTVドラマ『スリープウォーカー』や『狼女の香り』って。
つまり相変わらずマイナーな作品に注がれる偏愛は健在で、半端な知識では言い表せない様々な考察は松岡さん“奈良では”、心底圧倒されたのだった。
こういう勉強熱心な人だもの、きっと優秀なドクターなんでしょうね。
ところで松岡さんは何科がご専門でしたっけ、いまでも『ER』のロス先生のおつもりなんですか?、それとも『ロスト』のジャック?
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BJ PRESSは最新号とバックナンバーの一部が購入可能。
問い合わせ先は、KFE00345@nifty.ne.jp


by tomenosuke_2006 | 2007-07-16 23:45 | TV・映画・ビデオ
ブレランのに〜ぜきさんのブログ。
ブレードランナーがなかったら、私の人生は
もっと無味乾燥で、味気なくて、退屈だったことでしょう。
今年は25周年。
25周年DVDだの、ファイナルカットだのゾクゾクする話題が
いっぱいです。
ではでは、四半世紀をブレランに捧げてきたオッサンの
ナンギな日常をつづるブログ、今日から始めます。
どうぞご贔屓に。
Have a better one!

ということで“ブレランのに〜ぜき”さんのブログALL THAT BLADE RUNNERがはじまったね、すっごく楽しみにしてるから、みなさんも遊びによってくださいね。
思えば、東北地方にブレランのとっても濃いマニアで関連グッズのコレクターしている男子が約1名、秘かに棲息していることを聞きつけて、当時、店主がちょっと関係していた(いまじゃ幻の)オモチャ雑誌COOL TOYSに引っ張り出したのが1998年、かれこれ10年になるんだね。
そのとき“ブレランのニーゼキ”と命名、最近になって“ブレランのに〜ぜき”を名乗るようになったみたい、とにかくずっと公私ともにいいお付き合いさせてもらってる。
店主との共通のキーワードは“ブレラン”と、最近では“病弱”も加わって、ますますシンパシーを感じる間柄なのだ。
に〜ぜきさん、楽しいお話ついでに、ブレランのお宝も拝ませてちょうだいね。
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↑は、に〜ぜきさんに頼んでスピナーをウンチクしてもらった
COOL TOYS 1999年1月30日発売号のページです。


by tomenosuke_2006 | 2007-07-08 17:54 | TV・映画・ビデオ
パリ、カルティエ、デイヴィッド・リンチ。
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5月7日から1週間、セントレアからパリ経由でフェレンツェとミラノをまわる予定を切り詰めて、最後の2泊をパリで過ごすことにした。
カルティエ現代美術財団デイヴィッド・リンチの作品展The air is on Fireが開催中だと知ったからだ。
財団のサイトでその展示のおおよそは理解できるだろう、ぜひご覧いただきたい。
店主としては1983年以来、映画というフィルター越しでしかデイヴィッドを垣間見ることができなくなり、いまでは遠い存在の人となってしまったが、なぜかそこ、カルティエのガラス張りの美術館には20数年の空白を埋めてくれる“時間のようなもの”が展示されている気がしてならない。
パリへ出かけて、LA時代の古い友と心の再会を果たしたいと思う。

下のベタ焼きはデイヴィッドの出世作エレファントマンが公開された直後の1980年秋に店主が撮影したもの。
場所はフランシス・コッポラ所有のゾエトロープ・スタジオにあったデイヴィッドの仕事場。
彼はコッポラのプロデュースでSFミュージカル『Rony the Rocket』の準備を進めていた。
残念ながら肝心のコッポラが『ワン・フロム・ザ・ハート』の失敗で破産したためデイヴィッドの企画も流れ、しばらく会う機会を逸してしまったが、翌年、彼から電話があり『砂の惑星』の脚本を書き始めたと教えられた。
いずれ折りを見て、デイヴィッド・リンチと店主のあいだに起きたささやかな事件について語ってみたいと思う。
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by tomenosuke_2006 | 2007-04-27 23:21 | TV・映画・ビデオ
ブレランをめぐる暴言 2/3 「クォーター・センチュリー」
2007-02-28の記事のつづき。
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↑ 日本版スターログ1981年10月号より、ボーヤ時代の店主が寄稿した取材記事を転載。映画の時代設定を2020年と書いたり主演女優の名前を間違えていたり、一部誤表記あり。大目にみていただければ幸いである。


図面さえあれば製品化は簡単らしいですが、金型代を考えると3000個が採算ベース。
この種の銃はしかし実銃ファンにウケるとは限らず、販売は自信がないと言ってました。
思ったより難しいものなんですね。
映画のマーチャンダイジングの仕事をしている知人からブレランの相談を受けておよそ半年、途中何度か情報交換してきたが、その彼がモデルガンメーカーのM社と打ち合わせをした直後、こんな電話をくれたのだった。
ブレランをめぐり徐々に熱くなっていく、ライセンス関係に詳しく行動力もある彼に、いつしか好感を抱くようになっていた。
彼の話によると、錯綜するブレラン問題にイタリア人弁護士が介入し、1年まえから地上げ屋よろしく動いているらしい。
利権が複雑に入り組んだ地所を、絡んだヒモを解きほぐすがごとく地道に立ち退き交渉しながら買収していく、そういう都市開発の専門業者を地上げ屋というが、錯綜の極みにあるブレランのライセンスをクリアするには地上げ屋に通じる手腕が求められるのだった。
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↑ トイズシンジケートの12 inchフィギュアを使ったカスタム・アンドロイドハンター。アメリカのカスタムフィギュア・スペシャリストabc-express限定。新造型のヘッドに交換され、リアルなベルトと腕時計が追加されている。


「アンドロイドの女ダンサーと大蛇・・・君だったら彼女にどんなダンスを踊らせてみたい?」
リドリー・スコット監督がスネーク・ダンサーのゾーラ役ジョアンナ・キャシディをともなって現れたのは遊星からの物体Xへの参加が決まり、エイリアン以上にビザールなモンスター創りに熱中するロブ・ボーティンのワークショップだった。
やってみたいけれどいまの状況ではとても無理だと前置きして、ロブらしいダンスシーンを提案した。
ひとりでつまらなさそうに踊るダンサーの腹の肉が突然割れて中から大蛇が出現し、彼女のからだにまとわりつくと、まるで愛(ファック)し合うように激しいダンスを披露する。
ロブによるとスコット監督はこのアイディアをいたく気に入ったとか。
いつかいっしょに映画を撮ろうと言い残し、ロブのショップをあとにした。
いうまでもなくふたりは3年後、ユニコーンが印象的なレジェンド光と闇の伝説(1985年公開)でタッグを組むことになる。
一方リック・ベイカーはスコット監督の申し出をにべもなく断っていた。
ジャンクのアンドロイドがいくつも蠢動する朽ちたミュージアムのような(セバスチャンの)アパート。
そのシーンに出来合いのゴリラスーツを着て出てくれないかと頼まれたのである。
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↑ カスタム・アンドロイドハンターのアップ。腕時計が映画に忠実なのかどうかは未確認。研究家の意見をお聞かせ願いたい。


当時、1981年といえば店主がアメリカのインダストリアル・デザインやアール・デコに興味を持ち、LAに散在する古い建築やアンティック・ショップ巡りをはじめた時期でもあった。
中でもメルローズ・アベニューのOff The Wall(オフザウォール)はとりわけユニークなコレクションでお気に入りの場所になっていた。
そこでオーナーのデニス・ボーゼスに紹介されたのがSF映画のプロップを製作レンタルする会社Modern Props(モダーンプロップス)の代表ジョン・ザブルキーで、ブレランのセットデコレーターを兼任していた。
ブレランは未来が舞台の映画にも関わらず、50年前のアール・デコを引用するスタイリッシュな作品だ。
そう語りながら、銀色のラメ入り生地でレストアされたばかりの、じつにアメリカン・デコなオーバースタッフド・イージーチェアをバンに積み込む。
手を貸しながら、その大きな椅子の使い道をたずねると、ザブルキーはひとこと。
ヒーローのアパートメントの真ん中に置く予定だ。
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↑ 当店のブレラン専用ショーケースにならぶ関連フィギュア。左はロイ・バッティのandroid 001、ウィンドーボックス入りがトイズシンジケート製。右はCRMトイズ製デッカードでパッケージには堂々と“無許可”の文字が印刷されている。


自分のまわりでたびたびブレランが話題にのぼり、まだ撮影さえ始まっていないその映画とは見えない糸で結ばれているような気持ちになっていた。
ある時、メルローズ通りの古着屋でスタジオ・クルーが50〜60年代の古着を大量に買ったとか、彼らは撮影が終わると汚れたままの衣裳をまとめて処分しに戻ってくると聞いたが、頭の中で不思議にブレランとリンクした。
翌1982年の夏、その古着屋フリックスはブレランで使われた山ほどの衣裳を売っている店として話題になった。
もちろん店主も出かけて行き、古着ではなく映画用に仕立てられた薄手の綿コートを1着20ドル足らずで何着か手に入れた。
劇中ダウンタウンの雑踏でエキストラたちが着ていたものだった。
そのコートはブレランを指示する日本の友人たちにプレゼントした。
SF作家の川又千秋さんや日本版スターログの編集長がそれをとても気に入り、長いあいだふだん着に使っていたように記憶する。

ブレランとの巡り合わせ、運命のようなものを確信する時が遂に到来した。
件のコートを着たエキストラでごった返す撮影現場に入ることが許され、ほんの数メートル先でハリソン・フォードが銃を撃つアクションカットを目の当たりにできたのだ。
まさかその銃がのちに伝説化するなどとは露ほども知らず。
短い時間だったがスコット監督と言葉を交わすことができた。
ハリソン・フォードとは当時の店主のアパートをお忍びで訪ねてくれた日からおよそ3ヵ月後の再会だった。
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↑ カスタムメイドのロイ・バッティ12 inch.映画クライマックスの出で立ち。


最近、別のルートからブレランのライセンスが一部動いたとの情報があった。
イタリアのアパレル・ブランドDIESELがブレードランナーと名付けたニューラインを次期秋冬ものに投入するとか。
ブラスターを商品化したOFF WORL MFGの主催者は新規の刻印を使った理由のひとつに訴訟の回避を挙げていたが、まさしくそういう時期が到来したのかもしれない。
個人のガレージメーカーなら見逃してくれるのか。
関連商品を量産したり、利益を得てきた会社は窮地に立たされることになるのだろうか。
オフィシャルなブレラン製品をプロデュースすることに懸命な知人はといえば、別の問題を抱え込んでいた。
通常の契約金とは比べようもない額を要求されそうなで、このままでは何もできないというのだ。
ライセンスをクリアするために1年を費やしたイタリア人弁護士としては、半端なビジネスに興味はないということなのか、強硬な気配だとも。
今年2007年6月25日で、ブレランはアメリカ初公開された日からちょうど25周年を迎える。
クォーター・センチュリー(四半世紀)、この節目の年にブレランをめぐる楽しい出来事がひとつでも多く生まれることを期待しないではいられない。
つづく。

当店在庫より、フィギュアいろいろ。
by tomenosuke_2006 | 2007-03-27 21:22 | TV・映画・ビデオ
ブレランをめぐる暴言 1/3 「スコット監督の恋人」

はじめに映画ブレードランナーに関する記述は、4分の1世紀以上まえに店主がLA界隈で見たり聞いたりした話のおぼろげな記憶に基づいている。店主はブレランについて書かれた研究書や論文を推考したり、公開後もたびたび改編された完全版やディレクターズ・カット版を精査するような熱心なマニアではない。店主にとってブレランはそれがつくられた時、幸運にもその近くにいたという理由から、心情的にずっと共生する映画だった。ブレランをめぐる暴言と題するこの文章は、そんな映画についての回想と、商品化に関する最新の話題を併記した雑文に過ぎない。

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↑ 日本版スターログ1981年10月号より転載。映画ジャーナリスト時代の若き日の店主が寄稿した撮影現場レポートで、この記事が日本で最初にブレランを紹介した文章となった。


去年の秋、映画のマーチャンダイジングの仕事をしている知人から、長いあいだ闇の中にあったブレードランナーのライセンスが近くクリアになりそうだが、売れ筋はブラスターとスピナーぐらいだろうかと相談を持ちかけられた。
大量生産品にあまり興味のない店主としては、反対に意地の悪い質問を浴びせたものだった。
何が売れるかではなく、きちんと製品化する自信はおありかと。
ファンの知性を過小評価しては困る。
安易な態度は彼ら(我々)の気持ちを踏みにじるのに等しく、とりわけブレランほど世界中に研究熱心なファンを有する映画はないと力説せねばならなかった。
この映画の細部にいたる作り込みの深さは尋常ではない。
神秘的ですらある。
謎の迷宮は果てしなく続くようにも思われ、詳細を知りたいとの欲求がファンの結束を固くしている。
たとえばすべてが白日の下に晒されているSWとは次元が異なるのである。
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↑ 売れ行きが奮わなかったERTL社のダイキャスト・ミニカーのセット。その後、在庫整理のために単体ブリスター版が発売された。


映像とサウンドトラック以外の主なライセンスは映画出資者で組織されたThe Blade Runner Partnershipが管理していたが、映画公開後まもなく解散した。
玩具の商品化権がダイキャスト・ミニカーのERTL社ぐらいにしか売れず(SWのようなわけにはいかなかった)、加えてその売れ行きが奮わなかったこと、またBLADE RUNNER SKETCHBOOKなど関連書籍の翻訳権の引き合いが期待したほどなかったことなどが解散の最たる理由だった。
その後、4分の1世紀ものあいだほとんど放置されてきたようなブレランのライセンスなのだ。
稀に見る濃厚な世界観ゆえに魅力的なプロップデザインも数知れず、ガレージメーカーたちがそこに創作の可能性を見出したとしても不思議ではなかった。
優れた作品がアンダーグラウンドで芽を吹き、控え目ながら地上で開花することになった。
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↑ かつてゼネプロから正規品のポリススピナーのソフビキットが発売された。ディスプレー・モデルとしてだけでなく、タムテックとのコンパチも楽しめた。


ブレランはカメラが回り出すまでに何度も不運に見舞われた映画だった。
製作直前にアラン・E・ナースという作家が同名のSF小説を発表していることが判明し、多額のタイトル使用料が支払われることになった。
その問題が解決すると、今度は映画の独立プロ系製作会社フィルムウェイズが当初の製作費2200万ドルを徐々に削減しはじめ、ついには企画そのものを放棄してしまったのだ。
それが1979年12月、映画にはタイミングの問題がある。
スタッフやキャスト、スタジオのスケジュールなどがすべて考慮されて、ブレランは1982年6月の公開に向けて企画されていた。
プロデューサーはマイケル・チミノのディア・ハンターでアカデミー賞を獲ったマイケル・ディーリー。
13もの映画会社に協力を求めたが反応はかんばしくなかった。
1979年12月といえばハリウッドは天国の門の前評判で大作映画のリスクに対して神経質になっていた時期。
チミノのディア・ハンターをプロデュースした人物が、こともあろうにチミノの新作で意外なしっぺ返しを食う、そんな皮肉に見舞われたのだった。
1980年の1年間は出資者探しに費やされ、1981年3月、やっと独立プロダクション、タンデムとラッド・カムパニーの援助を取り付けることに成功した。
さらに香港の富豪、ラン・ラン・ショウの資金も投入されることになった。
その結果、これら出資者の複雑な力関係やライセンス・ビジネスに対する見解の相違により、いったん解散したThe Blade Runner Partnershipのような組織を再編することはほとんど不可能になってしまったのだった。
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↑ フューチャーカー/MEDICOM。1:18 scale、ファンメイドになるデカールを貼り付けクリアコート。バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2で使われた元スピナーを製品化する権利を取得、フューチャーカーという商品名で発売してブレラン・ファンを唸らせた。


ちょうどそのころだったと記憶する、ヴィデオドロームの準備に追われるSFXメイクアップ・アーティスト、リック・ベイカーの工房で店主はリドリー・スコットに対面した。
あのエイリアンの監督は店主がこれまで見たこともないような絶世の美女を伴っていた。
リックの言葉をかりれば、彼女はスコット監督の恋人だった。
同じ時期、遊星からの物体Xのクリーチャー部門を指揮していたロブ・ボーティンからスコット監督が美女とふたりで訪ねてきたと聞かされた。
リックとロブが語るスコット監督の訪問理由は、いずれも仔細な点にまで完璧を期そうとする当代切ってのヴィジュアル・スタイルストの有り様を裏付けるものだった。
本来なら、その程度の用事はプロデューサー補の仕事なのだ。
リックとロブのブレランへの参加は実現しなかったが、この出来事だけでも今度の映画がエイリアン以上に緻密な映像の集積になるに違いないと確信させられたのだった。
スコット監督からどのようなオファが2人にあったかは後述するとして、それより翌年、つまり1982年の春、ブレランの試写を観て店主はスコット監督の恋人の正体を知ることになる。
あのときの美女、一瞬目が合い、どぎまぎしてついうつむいてしまった店主の見た女性は、スネーク・ダンサーのゾーラを演じた女優ジョアンナ・キャシディその人だったのである。
つづく。

当店在庫より、その他のスピナー。
by tomenosuke_2006 | 2007-02-28 20:15 | TV・映画・ビデオ
面白いビデオを見つけた。
YouTubeで遊んでいたら、店主的にはじつに面白く為になるビデオを見つけた。
10月2日にコジックのレドラム・ダニーの発売をアナウンスしたとき、ついでにシャイニングの話をした。
そのTVムービー版のミック・ギャリス監督に、まだボウヤだった店主がお世話になったということも。
で、ちょうどそのころ(1981年ごろ)、映画のパブリシストだったミックが司会をつとめたTV向けの懐かしいインタビュー映像をYouTubeで見つけたんで、興味のある方はどうぞ。
じつに豪華な顔ぶれで、10月4日の記事ヒストリー・オブ・バイオレンスで触れたクローネンバーグ監督も出てくる。
みんな、メッチャ若くて、かわいい。
もちろん店主もあのころは・・・
FEAR ON FILM(映画の恐怖)
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インタビューは3部構成。
ところどころに出演者作のホラー映画のハイライトがインサートされて、楽しめる。
YouTubeにはEmbedというコードがあり、それをコピー&ペーストすればモニタ画面がそのまま記事中に配置され、直接再生もできる仕組みなんだけれど、ここエキサイトブログのタイトなセキュリティではその便利なサービスが利用できない、みたいだ。
by tomenosuke_2006 | 2006-12-01 08:26 | TV・映画・ビデオ