スパイモチャ/その1/マテルもの
スパイモチャ/その1/マテルもの_a0077842_14484337.jpg
1960年代といえば、少年には、とっても複雑な時代だった。
TVなら0011ナポレオン・ソロ、映画なら007、細身のスーツがかっこいいスーパー・スパイの活躍に胸躍らせた。
少年は、なぜスパイものが流行っているのか考えもしなかったけれど、じつは当時のアメリカとソビエト(米ソ)は互いを仮想敵国と想定し、勢力拡大と軍備拡張を競い合っていた。
核兵器開発と宇宙開発は大国間の競争を象徴する最たるものだった。
当然のことながら本物のスパイが暗躍し、時代の空気に敏感なショービジネス界がそれを娯楽のネタにした。
少年はそんな世界の緊張など知らないから、スパイに憧れ、彼らが使うピストルとか秘密兵器のオモチャが欲しくてたまらなかった。
60年代中ごろ、007の新作第5弾007は2度死ぬが日本ロケされることになり、スパイ・ブームは絶好調に達した。
少年も有頂天だった。
白いビキニの浜美枝が少年に思春期の到来を告げた。
けれど一方で不穏な社会の変化が気になりはじめてもいた。
たとえば月に1度は行く床屋の待合室で目にするグラフ雑誌。
たびたびベトナム戦争を特集し、正視にたえない報道写真が表紙を飾るようになっていた。
新聞やTVも連日、戦争を伝えた。
無残な死をとらえたドキュメンタリーは、けれど少年には強烈過ぎて、無関心を装うこと、スパイTVや映画にますます傾注することで、夢の中へ逃げていったのだった。

そんな複雑な時代は、スパイモチャの時代だったのである。
まず、アメリカの最大手玩具メーカーマテルが、映画やTVやコミックネタではなく、オリジナルのスパイモチャ・シリーズ、エージェントゼロ=Agent ZEROで先陣を切った。
材質はおもにプラスチック。
ムービーカメラがマシンガンに変身するムービーショットガン(左上の写真)や、小型カメラがピストルに変身するスナップショットガン(右上の写真)。
トランジスタラジオやポケットナイフがボタン1発でライフルやピストルに変わった。
いずれも火薬で発火音を楽しむ、いわゆるキャップガン。
このうち、ポケットナイフ(商品名はポケットショットナイフ)だけ、ゴム製の刃以外は金属製で、他とは異なる重さと感触だった。
エージェントゼロ発売まえからマテルはキャップガンで有名だった。
ファンナー50=Fanner50という名のコルトピースメーカー・タイプ(西部劇風)のキャップガンをヒットさせていたのだ。
そのファンナー50の銃身を切り詰め、握りのエッジを丸くまとめて出したのが、現代リボルバーのスナブノーズ=Snub Noseだった。
これは一時期、エージェントゼロのシリーズに加えられたり、70年代はじめには新聞連載のコミック“ディック・トレーシー”とタイアップ、専用ホルスター付きで再販された。
ファンナー50やスナッブノーズはマテルの専売特許シューティングシェルを使うキャップガンだ。
スプリングが仕掛けられた薬莢にプラスチックの弾丸を差し込み、さらに薬莢の裏に丸い紙火薬を貼って撃つと、発火音とともに弾丸が放物線を描いて飛んでいく。
1960年代はじめ、東京の小さな会社が、このマテルのスナッブノーズを黒く染めたカスタムガンを販売していたが、じつはその会社こそ、日本で最初のモデルガン・メーカーとして旗揚げし、のちに“007は2度死ぬ”の日本ロケにハイエンドなステージガンを提供することになるMGCだったのである。
つづく。
スパイモチャ/その1/マテルもの_a0077842_211494.jpg

スナッブノーズ。左がシューティングシェルのセット大小で、完品は銃本体よりも入手困難だ。



エージェントゼロだよ。
# by tomenosuke_2006 | 2006-07-15 21:13 | ムカシモチャ
Gary Baseman
Gary Baseman_a0077842_17145564.jpg
玩具みたいな芸術みたいなオブジェモチャ専門店「留之助商店」の取扱品目に、ロウブロウアートというジャンルを設けてみた・・・ただいまホームページ鋭意準備中!
ハイテク(先端技術)の対極にロウテクがあるように、ハイブロウ(知的で高級)に対峙させてロウブロウと呼び、気軽に芸術を楽しんでもらうつもりでいる。
デザイナーズトイとの違いは、前者が立体であるのに対し、こっちは平面。
人形とポスターの違いのようなもで、同じアーティストがふたつのフィールドを往き来する。
ベアブリックのデザインなどで日本にもファンの多いフランク・コジックをはじめ、ティム・ビスカップとその奥さんのセオナ・ホン、店主一押しのゲイリー・ベースマンたちによる限定版が、ごっちゃり用意されている。
で、きょうはそのゲーリー・ベースマンの紹介を。
ロサンゼルスに住む彼は、New Yorker、Time、Rolling Stone、GQといったアメリカの代表的なメジャー雑誌で活躍するイラストレーターとして、まず有名になった。
CMでコラボした企業にはNIKE、Mercedes-Benz、Capitol Recordなどのビッグネームが名を連ねてもいる。
もちろんオモチャの世界でも活躍し、世に出す限定版トイは片っ端から売れて、発売の翌日にはebayなどのオークションサイトでプレミア価格で落札されたりする。
超売れっ子にもかかわらずサービス精神旺盛で、メディアの取材やサイン会を積極的にこなし、ファンを大切にする気さくな人物でもある。
彼のサイトのネットショップ(残念ながら現在休止中)で何度か買い物するうちに、店長はゲーリーをますます好きになってしまった。
Gary Baseman Studiosとう名で送られてくるメールは、日を追うごとにフレンドリーになり、アートワークやフィギュアの写真が添付されるようになって、あるとき質問してみると、ゲーリーその人がメールを打っていたのだ。
つまり通販の事務ごとまで、彼自らこなしていたわけ。
どうりで送料を聞いても、レスポンスがいまいちだったわけだ。
確かにフィギュアとポスターと本をまとめた国際郵便の送料なんて、即答できるものではない。
もしや彼はその荷物を持って郵便局へ行き、料金を確かめていたりして。
イラストレーターやトイデザイナーとして成功しただけでなく、3年連続でエミー賞に輝いたTVアニメTeacher's Petのエグゼクティブ・プロデューサーが、である。
Tobyトビー(左上の写真の無数のヌイグルミまたは右上の絵の少女の膝上のキャラ)やDumbLuckダムラックなど、 奇妙なキャラクターの生みの親。Gary Baseman_a0077842_20424437.jpg
DunnyダニーやQeeキューイでもゲーリー節を発揮している。
あの体中にプリントされたダークでドープなシミには、幾重にも折り重なった物語のレイヤーが潜んでいるような、見つめるほどに引き込まれるカワイク残酷な魅力。
当店では、すでに絶版となって久しいゲーリーのフィギュアを含む圧倒的なコレクションを披露する。
乞うご期待!
# by tomenosuke_2006 | 2006-07-14 21:03 | ロウブロウアート
もう一回、やります。
午後、ノートブックでゴールドフィンガーのDVDを観ていたら、詳しくはショーン・コネリー・ボンドがワラの山に投げ飛ばしたプッシー・ガロアを羽交い締めにして、むりやり彼女の唇を奪おうとしているとき、主治医の小田先生が研修医の若い子たちを何人も従え、回診にいらした。
けさの尿と血液検査の結果、先週はじめのパルス療法後に低下したタンパク尿が、またちょっと増え、それに反比例して血清のアルブミンというタンパク質が下がる典型的なネフローゼ状態だと知らされた。
落胆する私を励ますように担当の研修医、新之介先生が、それでも入院時と比べれば改善してるからと言葉を添える。
結果は、連休あとの来週火曜日から3日間、もう一度、パルス療法をうけることに。
摂取している水分以上にオシッコが出て、ゆっくりだけれど浮腫みは引きつつあるし、体重も入院時からくらべて2キロは減った。
2度目のパルス療法で、何がなんでもスッキリしたい。
プッシーといっしょに着地したパラシュートの中で、ボンドが味わった以上のスッキリ感。
今度こそ映画のエンディングのようなカタルシスを期待したいと思うのだった。
もう一回、やります。_a0077842_8214964.jpg

# by tomenosuke_2006 | 2006-07-13 23:55 | ネフローゼ症候群
エンドスケルトンとオリジナルの意味。
まえから欲しいと思っていた絶版品を見つけ、喜々として値段をたずねると、「プライスついてませんかぁ? なら、それ、非売品なんですぅ」なんてバイトの女店員にいわれたりして、ムッときたこと、ないですか。
店主は、何度もある。
売り物じゃねぇなら、店にならべんじゃねーよ。
博物館でもあるまいし、オモチャ屋やホビーショップを名乗る以上、商人(あきんど)に徹したらどうなんだ。
少なくとも留之助商店はプロの商人を目指す。
だから非売品はない。
ショーケースだろうが、使用中の電話だろうが、店から移動できるモノすべてにプライスが付く(店長候補君だけは当分非売品)。
最初のターミネーター(1984)で作られた現存する唯一のフルボディ・エンドスケルトンも、店に飾る以上は、売り物である。
これをプレゼントしてくれたSFXアーティストで、何度もアカデミー賞をとったスタン・ウィンストンには申しわけないけれど、墓場へ持っていくわけにもいかないし。
だいいちスタンが約束を守らなかったから、店主がオリジナルを所有するハメになったのだ。

もうあれから15年。
1991年に東京と大阪で開催された映画のイベント“ハリウッド映画村”の監修役として、若き日の店主はロサンゼルスと東京を行ったり来たりしていた。
ハリウッド映画の過去・現在・未来を、実際に映画で使われたセット・小道具・衣装・記録写真や映像などで展覧する期間限定のイベント。
オープニングを2カ月後のGWにひかえ、最初の開催地、東京では会場作りが予定どおりに進み、展示物の大半は太平洋を渡る船にあった。
すべては順調だった。
旧知の仲のスタン・ウィンストンには、早い時期から協力をとりつけていた。
展示用にエイリアン2の「クィーンのコンセプトマケット」と「ウォーリアーの全身レリーフ」、プレデター2の「フルボディ」とT2の「エンドスケルトン」を、オリジナル・モールド(鋳型)から作ってもらうため、彼の提示した製作原価(材料費と人件費)を支払い、契約書も交わしていた。
そのスタンがチョンボをしていようとは・・・。

オリジナル・モールドから抜く創作物は通称プルといい、映画で実際に使う以外は、めったやたらに作られない。
プルとはオリジナルと同じ意味だが、実際に映画の撮影で使われたものを、とくにオリジナル・プロップと呼んで区別する場合も。
最近、サイドショーが商品化しているハイエンドなフルスケールモノなどは、プルをさらに型取りした量産用のモールドから作られるいわゆるレプリカ。
しかしレプリカでは偽物や模造品のように聞こえることから、プロップ・レプリカと呼ぶ人もいる。

イベントで展示したあとは、すべての作品を返却する約束のため、スタンの提示した製作原価は格安だった。
が、運送会社の担当者が引き取り予定日の1週間前に、作品の下見のため彼の工房を訪ねると、ひとつも完成していないことがわかり、慌てて店主のもとに電話をしてきた。
帰国の準備をしていた店主は、もっと慌てた。
スピルバーグから恐竜映画のオファーがきて、突然忙しくなったとスタン。
ジュラシック・パークといって、いままでにないスケールとリアリズムの歴史的な恐竜映画になるから期待してくれとも。
知ったことか!
バッカモン!!
そう、心で叫び、彼の工房へ急行した。
東京会場の展示コーナーに穴を開けるわけにはいかないし、店主の信用にも関わる。
もはや解決策はひとつしかない。
彼が広い工房のあちこちに展示しているオリジナル・プロップを何としてでも借り出すのだ。
そう、彼の工房は、打ち合わせや仕事のオファで訪れる映画人たちをアッといわせようと、自作の怪物クリーチャーのオリジナルが、ドラマチックに展示してあることで有名な場所だった。
モールドが破棄されたために、二度と再び作ることのできない宝であり記念品だと自慢していたターミネーター1作目の、現存する唯一のエンドスケルトンも、この際、T2の代わりに船に乗ってもらおう。
懇願したり、泣きついたりで、最後は店主が勝った。
当たり前である。
契約書だってあったのだ。
そうやって日本に来たスタン・ウィンストンの代表作たちだったが、なぜ生まれ故郷に帰ることなく店主のものになってしまったのか、それにはもひとつ長い話を披露しなくてはならない。
ま、そのうちに。
エンドスケルトンとオリジナルの意味。_a0077842_2284774.jpg
T1はT2より、いい顔してる。両者のもっとも顕著な相違は、向こうずねのデザインにある。T2のエンスケを商品化している国内外のフィギュア・メーカーのうち、バリアントを出しているメーカーはなかなか賢い。じつはT1の商品化権がクリアできないため、T2のバリアントを名乗ってT1をこっそり作っているのだ。知ってましかた? 写真は下呂市の倉庫で出番を待つオリジナルのT1である。いまのところ価格未定。


# by tomenosuke_2006 | 2006-07-13 22:39 | プロップ
東5F。
エレベーターを出てすぐ正面中央にある“東5F・ナースステーション”をはさんで、右に6人部屋が、左に個室がつづく。
ナースステーションのうしろにはリネン室、男子トイレ、汚物処理室、女子トイレ、浴室、洗面洗濯室が整然とレイアウトされ、リネン室以外は6人部屋側からも個室側からもアクセスできるようになっている。
建物は古いが、機能的。
男子トイレに洋式(車椅子用)がひとつしかないのをのぞけば、入院生活に不便は感じない。
私の部屋は通路のいちばん奥にあるバストイレ付き特別室の手前、洗面洗濯室の斜め向かいにある。
したがってエレベーターを降りて自室へ行くには、ほとんどの個室のまえを通り抜けねばならず、中にはドアが開け放たれた部屋もあり、いやがおうにも室内の様子が目に飛び込んでくる。
東5Fには腎臓内科以外に、耳鼻科、神経内科、放射線科のさまざまな病状の患者が入院生活を送り、全部で61床のベッドに空きはない。
ある個室は、つめかけた家族が老人の横たわるベッドを取り囲み、騒然とした雰囲気に包まれていたが、いまは落ち着きを取り戻した。
ブルーのチューブをつけた別の老人は、身じろぎひとつせず、いつも顔を窓に向けて横たわっている。
果たしてその人は空を見ているのか、それとも目を閉じているのか、私には分からない。
ベッドのかたわらに吊るされた大きな点滴の袋越しに見える夏の空は、黄色い薬液の色と重なって、異様に重苦しい。
ベッドを取り払い、マットレスを2枚、ならべて敷いた部屋もある。
そこには老夫婦がいるのだが、どちらが病人で、どちらが付添なのか、いまだに分からない。
朝、きまって「痛い、痛い」と悲痛な声を上げる人。
からんだ痰(たん)を吐き出そうと、しじゅう洗面所で咳き込む人。
消灯後の暗くなった通路でしか見かけない車椅子の男性。
その人は他界した父と同じ糖尿病の合併症で壊疽(えそ)を患ったのだろう。
左足が膝下からない。

病院で過ごしていると、いままでとは異なる速度でゆっくりと心が働くようになる。
なぜそんなに先を急がねばならなかったのか。
慌てすぎて見落とした事柄、失ったものがあったことに気付かされる。

痩せ衰えた老婦人を車椅子に乗せ、時間はありあまるほどあるからと、毎日、院内を散歩する紳士。
細い腕で夫を支え、便座に腰掛けさせたあと、すみませんといって男子トイレを離れていったその妻は、あきらかに私と同世代だ。
孤独を垣間見、一方で絆の尊さを知る。
ネフローゼ症候群を治すために来た私だったが、退院するころは、少しは心も改善されているかもしれない。
パルス療法の効果はいまだ劇的にはあらわれず、2度目の療法を施すかどうか、明日の尿と血液検査のあと、決められる。
# by tomenosuke_2006 | 2006-07-12 23:22 | ネフローゼ症候群