1960年代アメリカのオッキモチャのこと・その2
ロボット・コマンドは見るからに未来的なロボット戦車風だったが、一見、アラジンの魔法のランプから出てきたようなグレート・ガルーもまた、SFキャラとして少年たちの前に登場した。
SF映画の巨大モンスターが従順なしもべに生まれ変わり、思いのままにコントロールできるようになった、というのがキャッチフレーズ。
TV-CMはグレート・ガルーが街を破壊するシーンで幕を開け、かわいい兄妹が遊ぶ子供部屋へとカットバック、そのしもべぶりを披露する。
得意技は上半身を前に折って物をつかみ上げたり、両手で物をつかみ、運ぶこと。
実用化された最初の家庭用執事型ロボットといえる、かも。
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翌年、1962年のクリスマスにはロボット・コマンドのアイディアルが追い討ちをかけるように全長68センチのロボット恐竜、キング・ザーを投入してきた。
前作ロボット・コマンドが少年の命令のもと、各種兵器を繰り出し戦うという戦友型だったのに対し、新作キング・ザーは敵対型。
背中から打ち出されるミサイルボールの攻撃をかわしながら、専用の銃で尻尾の先の赤い標的を狙い撃つ。
みごと当たれば方向を変えて退散するという、ゲーム性が色濃く反映された製品だった。
ロボット・コマンドとキング・ザーの猛攻を浴びたグレート・ガルーのマルクスは翌1963年、これでもかの大物、高さ96センチ(ロボット・コマンドのおよそ2倍の背丈)のビッグ・ルーを発表した。
キャッチフレーズは、月から来たお友だち。
複雑なメカは一切搭載されず、電池は目玉の豆球を点滅させるのみ。
手動でタマやロケットを飛ばしたり、マジックハンドと同じ仕組みの右腕を操り物をつかみ取る。
トーキングボックス内蔵で、背中のクランクを回すと自己紹介するところが、唯一、すぐれていた点といえるだろう。
が、あまり売れなかった。
ビッグ・ルーをねだる子供が、ことのほか少なかったのだ。
ニヤニヤした顔の実物を見れば、分かる気がしないでもない。

4大オッキモチャが出そろった1963年のクリスマス。
街のオモチャ屋やデパートの売り場は、いままで以上に充実して、活気に満ちあふれるはずだった。
1960年代アメリカのオッキモチャのこと・その2_a0077842_1158264.jpgが、そんなわけにはいかない暗くて重い空気がアメリカをおおい、多感な少年たちはこれまでとはちがう時の訪れを意識したのだった。
クリスマスをひかえて街が華やぎはじめた1963年11月22日、テキサス州ダラスで大統領就任2年目の若くてパワフルで正義感旺盛なあのケネディが、凶弾に倒れたのである。
アメリカはこの日を境にベトナムへの軍事介入をさらに強硬に推し進めるようになり、アナーキーな時代へと突入していった。
もはやそういう時代にファンタジーは不要となった。
従順なグレート・ガルー、敵というにはチャーミングなキング・ザー、月から来た友人ビッグ・ルーは、まもなく市場から消えていった。
ケネディが大統領として人生を送ったと同じ時期にオッキモチャは生まれ、短い生涯を閉じることになったのである、奇しくも。
一方、兵器として十分役目を果たすロボット・コマンドだけは1960年代の終りまで作り続けられ、戦車や軍艦などの即物的で夢の乏しい新たなオッキモチャといっしょに売られたのだった。
つづく。

年をとると、いろんなことをつい時系列で考えてしまうようになり、たかがオモチャの話が固くなってしまいました、失礼。
次回、最終回は4大オッキモチャの、もっと商品に即したネタを紹介するつもりでいますので、よろしく。
とかいいながら、さらに古風といわれるかもしれませんが、本ブログで話題にした映画タイトルなど書き添えて、1960年代の年表を作ってみました。
よかったら見てください。
店主の少年時代は、こういう時代だったんだぁと、あらためて納得。
(グレーの文字は世界の出来事、茶色は日本、緑は映画TV、赤はオッキモチャです)

1960年代年表
# by tomenosuke_2006 | 2006-10-09 12:26 | ムカシモチャ
1960年代アメリカのオッキモチャのこと・その1
以前、ムカシモチャのカテゴリでスパイモチャについて3回ほど続けて書いたことがあったけれど、その結び“スパイモチャ/その3/ナポソロもの”で「スパイモチャからオッキモチャへ、店主の玩具道は果てしなく続く」みたいなこと言って、そのまんまにしていたことを思い出した。
で、続きを。
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留之助商店には“ならでは”の品物がいろいろあるけれど、たとえば1960年代アメリアの4大オッキモチャをつねに在庫している店など、うち以外、日本のどこを探してもないはずだ・・・なんて大見得切っても、そもそも4大オッキモチャなんていう概念は、いまのところ岐阜県高山市本町3丁目44番地でしか通用しないと思われる。
1960年代当時、つまり店主が少年時代の海の向こうのオッキモチャは、単に大きいとうだけでなく、あらぬ造形で、存在感が並ではないところがよかった。
ベアブリックの1000%(高さ約70センチ)や20インチ・ダニー(高さ約50センチ)も、彼らの個性のまえではひれ伏すしかないのだ。
当店にはわずかにブリキ製のビンテージトイもあるけれど、ブリキノモチャは店主的にはすでに終わったと見なしている。
プレスよりはキャスティングにつきる。
高度で柔軟な表現力を有した化(バケ)学素材のプラスチックやソフビでできたキャスティング(鋳造)製品の方が店主の好みだし、そういう点からも60年代オッキモチャこそは、当時の新素材“プラスチック”によるかつてない色彩と形状と質感を得て、オモチャの新時代を体現したのだ。
デザイナーズトイの原点、オブジェモチャのご先祖さまなのである、絶対的に。
その大きさからいっても、彼らは単なるオモチャにとどまらず、ペットか家族の一員として迎えられるよう企画された。
たとえばマテルやヒューブレーのトイガン握って西部劇ごっこするのではなく、いっしょに暮らすオモチャ。
男の子が抱きかかえても、連れ歩いてもおかしくない、だけでなく、ひときわ目立って注目を集めるに十分なサイズ。
そういうオッキモチャが1960年代はじめに4種類、誕生したのだ。
それがロボット・コマンド、グレート・ガルー、キング・ザー、ビッグ・ルーだった。
(ロボット・コマンドは当店ホームページのトップに、グレート・ガルーは当ブログ右下のネームカードに、キング・ザーは同じく当ブログ右上のロゴに引用してます。それくらい好きってこと?)
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TV-CMから。左よりロボット・コマンド、キング・ザー、ビッグ・ルー。

最大手のマテルが女の子用にバービーを、男の子用にシューティングシェルのトイガン(ムカシモチャのカテゴリで紹介)を大ヒットさせていた1960年代はじめ、アイディアルとマルクスという二番手を競うライバル・オモチャメーカー2社が、男の子向けに投入してきたのがオッキモチャだった。
アイディアルからは高さ46センチのロボット・コマンドが、マルクスからは57センチのグレート・ガルーが、まず1961年のクリスマス・シーズンにデビューした。
1961年といえば、ジョン・F・ケネディが第35代アメリカ合衆国大統領に就任し、近年で最も偉大な大統領就任演説を披瀝した年でもある。
「祖国があなたに何をしてくれるのか尋ねるのではなく、あなたが祖国に何ができるか自問してほしい」
オットット、きどうしゅうせい、軌道修正。

ロボット・コマンドは、君の命令どおり動く。
さぁ、マイクロフォン・リモコンに語りかけよ。
前進、右旋回、左旋回!
ミサイルボール発射、ロケット発射!
目玉がつねに渦巻き回転しているのは、敵を見逃さないため。
後退のメカニズムは搭載されていない。
なぜならロボット・コマンドは決して敵に後ろ姿を見せないのだ。
(TV-CMのナレーションから抜粋)

マイクロフォン・リモコンに向かって語りかけるというのは、厳密にはマイク(のカタチをしているだけ)に向かって息を吹きかけ、マイク内部の薄い金属板を動かして、電気回路の開閉を操作することにほかならない。
マイクロフォン・リモコンとロボットは、ロボット内蔵の駆動用モーター直結の電線と、さらに1本、カメラのレリーズのようなワイヤーでつながれ、そのワイヤーのプッシュ&プル操作でロボットに組み込まれたメカニズムのギヤを切り替え、すべてのアクションを制御する。
実態はスーパーロウテク、けど思い通りに動かすには慣れとコツを要した。
値段の14ドル97セントは、当時の家庭用21型テレビが150〜200ドルしたことを思えば、けっして安いとはいえないが、爆発的に売れた。
平和なアメリカのいたるところで、ロボット・コマンドの操作を競い合う少年たちがいた。
中には、将来、ベトナムの戦地へ駆り出されるとも知らず、マイクロフォン・リモコンに向かって「ミサイル発射!」と声を張り上げていたあどけない少年も。
そういう時代だったのだ。
つづく。
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A Boy and his Robot Command/1962年の写真


# by tomenosuke_2006 | 2006-10-09 00:29 | ムカシモチャ
キッドロボットの新作、ウェスタンもの。
初公開時はもちろん、リバイバルのときも映画館に足しげく通い、その後もビデオやDVDを買い込んで、いやっていうほど繰り返し観てきたマイ・フェヴァリット・ムービー。
昨夜、寝るまえにつけたWOWOWで偶然やってたもんだから、つい最後まで付き合ってしまった。
DVD持ってるんだから、その気になればいつでも観られるというのに、たまたまTVでやってたのを観てしまう。
あなたも、そんな経験ありませんか?
隅から隅まで知っているのに、渋いヒーローたちはロバート・ライアンだけを残して全員撃ち殺される結末まで詳細に分かっているのに、何度観ても、その度に感銘を受ける。
これはもう映画に恋している証拠だ。
フェヴァリット(favourite = 大好きな)というよりはビラヴィッド(beloved = 最愛の)の方が限りなく正しい。
そんな映画が昨夜の『ワイルドバンチ』(下の画像・店主高校1年生の1969年公開)なのだった。
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バイオレンス映画の巨匠サム・ペキンパー監督作品。
西部劇の最高傑作とか最後の西部劇といわれているけれど、店主にとってはまさしく生涯の恋人の如き映画である。
『ワイルドバンチ』は当時乱作されていたマカロニ(イタリア製)ウェスタンを蹴散らす本家アメリカの最終兵器だった。
高1の店主にとっては、それよりもまえに公開され、マカロニ・ウェスタン・ブームの火付け役となったセルジオ・レオーネ監督&エンリオ・モリコーネ音楽&クリント・イーストウッド主演による『荒野の用心棒』(1964年)と『夕陽のガンマン』(1965年)と『続・夕陽のガンマン』(1966年)の、もっとも重要なマカロニ3部作を初公開時に見逃し、サントラ聴いて我慢するばかりだったから、ますます『ワイルドバンチ』を偏愛したのかもしれない。
そんな3作品のうち、リバイバルだったかTVだったのか、はっきり覚えていないのだけれど、最初に観たのが『続・夕陽のガンマン』である。
原題『The Good, The Bad and The Ugly』(善い奴、悪い奴、汚ない奴)のとおり、3人のガンマンの物語。
善い奴(とはあまり思えない)がイーストウッド、悪い奴がリー・ヴァン・クリーフ、汚ない奴がイーライ・ウォラックという絶妙の三角関係で、銃を頼りに大金を奪い合う見せ場たっぷりのアクション大作。
映像といっしょにモリコーネの名曲を聴くのはその時が初めてで、シビレすぎて痙攣を起こしそうになってしまった。
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もうじきキッドロボットから届く荷物の中にシリーズ10作目のボット君3点セット(各800個限定)がある。
じつはこの新作、ウェスタンのコスチュームを身にまとい、その名もThe Good, The Bad and The Ugly、つまり今年公開40周年を迎える『続・夕陽のガンマン』に捧げられたフィギュアなのだ。
デザイナーはおなじみのホアック・ジー。
凝ったアクセサリーでキッドロボット君を飾り立て、アクの強い3キャラを描いている。
というよりは、西部劇ごっこを楽しむかわいい少年たちのようでもあり。
日本ではまだまだ無名のこのシリーズ、今作で一気にポピュラーになってくれることを祈りたい。
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# by tomenosuke_2006 | 2006-10-07 10:28 | Kidrobot 新製品情報
とくにワタクシゴトですので・・・。
恒例のネフローゼ症候群の経過報告です。
オモチャ好きでこのブログをのぞいていただいてるお客さまには私事で大変失礼かと存じます。
恐れ入りますが、無視してください。
飛ばしてください。

本日10月5日は月に1度の診察日。
いつものように尿と血液検査のあと、小田先生の診察を受ける。
が、ちょっとヘマしてしまった。
じつは腎臓内科の外来窓口で診察券と予約券を出すと、まず、検査室へ持参するための書類などを入れたビニール袋を渡される。
それを持って廊下に描かれた黄色の線の先にある検査室窓口へ。
そこでビニール袋の中身がチェックされ、しかるべき血液検査室を指示されて、壁際に長椅子がならぶ廊下でしばらく待つ。
検査室は2室。
それぞれの部屋で3人の検査技師が、3人の患者を手際よくさばく。
それでも廊下の5つある長椅子は自分の番を待つ人でびっしり埋まり、次々に入れ替わり、立ってる人、車椅子の人も加えれば、血液検査を待つ人の数はつねに20人を下らない。
いつもながらここ県立岐阜病院へ来るたびに、世のヤマイビトの多さに驚かされてしまう。
血液検査のあと、男子便所に移動して紙コップに中間尿(出た直後でもなければ、出終わる直前でもない、その中間のおいしいところ)を入れ、所定の場所に置いたら、例のビニール袋を持って、さっきの腎臓内科の待合室へ戻ることになる。
戻って待つこと1時間半。
予約時間をとっくに過ぎたというのに、まだ名前が呼ばれないのだ。
いくら混んでるからって、これは何かの間違いだろうと業を煮やして窓口まで出向き、まだ呼ばれないんだけれどもと遠慮気味に尋ねてみる。
と、その持ってるビニール袋をいただかないことには、と教えられ、チョイ赤面。
きょうがはじめてじゃあるまいし、けれど、なかなか病院の仕組みが身に付かないのは年のせい?
いや、ずっと健康で、病院の世話になることなど何十年もなかったから!

尿タンパク= +2(健康体は±0)
血中タンパク= 5.6(健康体は6.5〜8.0)
血中アルブミン= 2.8(健康体は3.9〜4.9)
尿タンパクは横ばいだが、血中の方は若干数値もよくなった。
同じくアルブミンも。
夏まえ、入院直前の最悪の時期の検査値(血中タンパク=3.4、アルブミン=1.4)と較べれば相当よくなっている。
薬が効いているというわけだ。
ネフローゼ症候群の中でも膜せい腎症と診断された私は、薬で寛快(かんかい=完全に治るという意味で、小田先生からはじめて聞いた言葉)するタイプでもなければ、薬が効かないまま悪化し、ついには人工透析を強いられるタイプでもない。
その中間。
食生活に気を遣い、尿や血液の数値をチェックしながら、徐々に薬を減らしていくのが唯一の治療法なのだ。
全面的に薬を絶つことはできないらしい。
朝食後5mg×4錠だったステロイド剤のプレドニン錠が1錠減った。
毎食後1錠だった尿タンパクを減少させる効果のある腎臓病薬コメリアンコーワがなくなった。
かわりに免疫抑制剤プレディニン錠を朝夕食後1錠ずつ飲むことになった。
このプレディニン2錠はプレドニン1錠とコメリアンコーワ3錠のかわりのようなもの?
トータルで2錠減ったことを、とりあえず喜ぶことにしよう。
ほかにも血圧を下げるプログレス錠を朝食後に1錠、コレステロールを下げるリバロ錠を夕食後に1錠、胃の粘膜を修復するセルベックスカプセルを毎食後に1錠を入院時から飲み続けている。
2錠減ったとはいえ、いまだに1日合計10錠もの薬を飲まなければならないというわけ。
口にしたくない言葉だけれど、薬漬けってことです。

それよりも気になってしかたないのは、最近、顔が丸くなったような。
はじめは浮腫みかと思ったけれど、腎臓の調子はいいわけだし、とうとう来たかと小田先生に聞くと、そうですね、そろそろ症状が出るころでしょう。
ステロイドを長期にわたって大量に服用していると起きる副作用・・・かんべんしてのムーンフェースが始まっちゃったのだ。
どこまで膨らむんだろう。
ここらで止まれば、いい感じなんだけど。
見分けがつかなくなったら、どうしよう。
そのときはジィちゃんの名前の留之助に改名することにします。
# by tomenosuke_2006 | 2006-10-05 23:57 | ネフローゼ症候群
ホームページ、更新しました。
トップページ→デザイナーズトイ→ミスター・ビスカップとたどってみてください。
ティム・ビスカップ作のフィギュアなど、21点がご覧いただけます。
ただし、16のYETI QEE(300個限定)と17のYETI GLOW QEE(100個限定)は今月末の入荷になりそう。
いまのところ、価格等のお問い合わせやご注文は、お店までメールか電話でご連絡いただくしかございません、すみません。
ホームページ、更新しました。_a0077842_2027053.jpg

# by tomenosuke_2006 | 2006-10-04 20:34 | 留之助商店計画