とくにワタクシゴトですので・・・。
恒例のネフローゼ症候群の経過報告です。
オモチャ好きでこのブログをのぞいていただいてるお客さまには私事で大変失礼かと存じます。
恐れ入りますが、無視してください。
飛ばしてください。

本日10月5日は月に1度の診察日。
いつものように尿と血液検査のあと、小田先生の診察を受ける。
が、ちょっとヘマしてしまった。
じつは腎臓内科の外来窓口で診察券と予約券を出すと、まず、検査室へ持参するための書類などを入れたビニール袋を渡される。
それを持って廊下に描かれた黄色の線の先にある検査室窓口へ。
そこでビニール袋の中身がチェックされ、しかるべき血液検査室を指示されて、壁際に長椅子がならぶ廊下でしばらく待つ。
検査室は2室。
それぞれの部屋で3人の検査技師が、3人の患者を手際よくさばく。
それでも廊下の5つある長椅子は自分の番を待つ人でびっしり埋まり、次々に入れ替わり、立ってる人、車椅子の人も加えれば、血液検査を待つ人の数はつねに20人を下らない。
いつもながらここ県立岐阜病院へ来るたびに、世のヤマイビトの多さに驚かされてしまう。
血液検査のあと、男子便所に移動して紙コップに中間尿(出た直後でもなければ、出終わる直前でもない、その中間のおいしいところ)を入れ、所定の場所に置いたら、例のビニール袋を持って、さっきの腎臓内科の待合室へ戻ることになる。
戻って待つこと1時間半。
予約時間をとっくに過ぎたというのに、まだ名前が呼ばれないのだ。
いくら混んでるからって、これは何かの間違いだろうと業を煮やして窓口まで出向き、まだ呼ばれないんだけれどもと遠慮気味に尋ねてみる。
と、その持ってるビニール袋をいただかないことには、と教えられ、チョイ赤面。
きょうがはじめてじゃあるまいし、けれど、なかなか病院の仕組みが身に付かないのは年のせい?
いや、ずっと健康で、病院の世話になることなど何十年もなかったから!

尿タンパク= +2(健康体は±0)
血中タンパク= 5.6(健康体は6.5〜8.0)
血中アルブミン= 2.8(健康体は3.9〜4.9)
尿タンパクは横ばいだが、血中の方は若干数値もよくなった。
同じくアルブミンも。
夏まえ、入院直前の最悪の時期の検査値(血中タンパク=3.4、アルブミン=1.4)と較べれば相当よくなっている。
薬が効いているというわけだ。
ネフローゼ症候群の中でも膜せい腎症と診断された私は、薬で寛快(かんかい=完全に治るという意味で、小田先生からはじめて聞いた言葉)するタイプでもなければ、薬が効かないまま悪化し、ついには人工透析を強いられるタイプでもない。
その中間。
食生活に気を遣い、尿や血液の数値をチェックしながら、徐々に薬を減らしていくのが唯一の治療法なのだ。
全面的に薬を絶つことはできないらしい。
朝食後5mg×4錠だったステロイド剤のプレドニン錠が1錠減った。
毎食後1錠だった尿タンパクを減少させる効果のある腎臓病薬コメリアンコーワがなくなった。
かわりに免疫抑制剤プレディニン錠を朝夕食後1錠ずつ飲むことになった。
このプレディニン2錠はプレドニン1錠とコメリアンコーワ3錠のかわりのようなもの?
トータルで2錠減ったことを、とりあえず喜ぶことにしよう。
ほかにも血圧を下げるプログレス錠を朝食後に1錠、コレステロールを下げるリバロ錠を夕食後に1錠、胃の粘膜を修復するセルベックスカプセルを毎食後に1錠を入院時から飲み続けている。
2錠減ったとはいえ、いまだに1日合計10錠もの薬を飲まなければならないというわけ。
口にしたくない言葉だけれど、薬漬けってことです。

それよりも気になってしかたないのは、最近、顔が丸くなったような。
はじめは浮腫みかと思ったけれど、腎臓の調子はいいわけだし、とうとう来たかと小田先生に聞くと、そうですね、そろそろ症状が出るころでしょう。
ステロイドを長期にわたって大量に服用していると起きる副作用・・・かんべんしてのムーンフェースが始まっちゃったのだ。
どこまで膨らむんだろう。
ここらで止まれば、いい感じなんだけど。
見分けがつかなくなったら、どうしよう。
そのときはジィちゃんの名前の留之助に改名することにします。
# by tomenosuke_2006 | 2006-10-05 23:57 | ネフローゼ症候群
ホームページ、更新しました。
トップページ→デザイナーズトイ→ミスター・ビスカップとたどってみてください。
ティム・ビスカップ作のフィギュアなど、21点がご覧いただけます。
ただし、16のYETI QEE(300個限定)と17のYETI GLOW QEE(100個限定)は今月末の入荷になりそう。
いまのところ、価格等のお問い合わせやご注文は、お店までメールか電話でご連絡いただくしかございません、すみません。
ホームページ、更新しました。_a0077842_2027053.jpg

# by tomenosuke_2006 | 2006-10-04 20:34 | 留之助商店計画
ヒストリー・オブ・バイオレンス
ヒストリー・オブ・バイオレンス_a0077842_1121678.jpg昨夜観たDVDのこと、つい書きたくなったので、とりあえず自己紹介のカテゴリに入れることにします。

何気に借りてきたDVDを観始めたら、なんと監督がデイヴィッド・クローネンバーグときた。
おととい10月2日、レドラム・ダニーを紹介したついでにTV版シャイニングの監督ミック・ギャリスのことに触れたけれど、そのときクローネンバーグの名を出した。
そしたら借りたDVDヒストリー・オブ・バイオレンスが、偶然クローネンバーグの新作だったと。

いまでは単なる中年の映画好きでしかない店主は、とくべつ映画情報をチェックするわけでもなく、家内から日経MJで仕入れた映画やDVDのランキングを上の空で聞く程度。
高3の娘が映画好きで、たまに彼女からオススメの映画を教わることも。
たとえば、有頂天ホテル。
観たい映画は、なんとなく面白そうという理由で選ぶことが多く、むかし入れ込んだ監督を追いかけるパワーなんて年取るごとに薄らいで、いまでは皆無にひとしい。
だからこそ、予備知識ゼロのままジャケットの解説文もまともに読まないで借りたDVDが、最近ブログで名を出したクローネンバーグ作で、しかも久しぶりにジックリ面白かったりしたものだから、黙ってはいられなくなった次第。

といってここで映画紹介のまねごとしたり、評論する気はない。
ま、観てちょーだい、凄いから。
“スゴイ”じゃなくって、漢字の“凄い”がぴったりの映画なのである。
ひっそりとした佇まいながら強烈であり、不愉快と浄化、憎悪と愛が表面張力のごとく緊張し合う。
1976年の“They Came From Within=人喰い生物の島”をはじめて観た時の衝撃から30年。
途中、クローネンバーグ作品が店主のたしなみとは別の味付けで料理されるようになり、裸のランチからこっち、あまり気にとめなくなっていたが、まさに“ヒストリー”は“人喰い”の監督が正しく、美しく、年を重ねた結果の映画だと感心させられた。

絵がないのもさびしいような気がしたので、左に1980年代に講談社から出版された店主のヒストリー・オブ・SF映画(フィルム・ファンタスティック)の表紙を並べてみた。
イラストレーターの杉山真さんにお願いして描いてもらったバタ臭い表紙絵は店主のお気に入りで、たとえば70年代後半に作られた“人喰い”はハン・ソロの表紙本に収録されていると、即答できるところなどは、やっぱり著者ならではというか、エクス(元)マニアの面目躍如である。

そのクローネンバーグとは超能力合戦映画“スキャナーズ”完成直後の1980年、はじめてミックの紹介で会い、それからも“ビデオドローム”がはじまるまで、彼がLAに来たとき(当時はカナダのトロント在住)何度かミックに誘われてランチしたりした。
そんなある日、クローネンバーグから「今度の映画で君の名前を使っていいか」とたずねられ、「ドーゾ、ドーゾ、ユーアーウェルカム」と答えたものだ。
で、待ちに待った“ビデオドローム”の試写の日。
ハハーン、ウ?
店主のファーストネームのシンジを名乗るキャラは確かに出てきたが、なんと日本人のつまらないポルノビデオのセールスマンじゃん。
情けないやら、でも、うれしいやら。
その“ビデオドローム”は、どの本に入っているかというと、もちろん答えられます。
いちばん下の狼男アメリカン。

おっと、現実的な話をひとつ最後に。
クローネンバーグ関連といえば、メディコムから発売された裸のランチのバグライター1個、留之助商店で在庫してます。
去年の1月、香港に住むお友だち、野中りえちゃんの案内で行ったオモチャ屋で見つけ、日本へ逆輸入したヤツ。
香港情報満載のりえちゃんのBLOG版香港中国熱烈歓迎唯我独尊に、店主の買い物風景紹介されてます。
ガレキのミニチュア・バグライターの完成モデルもあります。
よかったらどーぞ。
ショーバイ、ショーバイ。
# by tomenosuke_2006 | 2006-10-04 15:04 | TV・映画・ビデオ
M.O.D. ダニー。Nさんのコメントへのレスをかねて。
Nさん、とうとうダニーを養子にされましたか。
ひとりぽっちはさびしいですから、またひとり別のお洋服着た子を、さらにちがう顔の子をと、どんどん兄弟、増やしてやってくださいね。
ところでベースマン父さんの赤いダニーは通称M.O.D. と呼ばれ、去年2005年の秋、このシリーズではいちばん多い3000個限定でリリースされたものです。
その少しまえの夏、SDCC限定版の黒バージョンが300個だけ会場で売られました。
ちなみに当店には、そのコミコン会場で行われたベースマン父さんのサイン会で入手したサイン入り黒M.O.D.の在庫もございます、念のため・・・。
ついでですからM.O.D.の意味などについてご紹介させていただきます。
M.O.D.とはManifestation of Desireのイニシャル。
“願望の現われ”とか“願望の出現”とでも訳せばいいでしょう。
ベースマン作品の特徴に“表裏一体”というのがありまして、つまり表面的な愛くるしさと、内なる欲望やセックスへの願望を同時に表現するというもの。
にいぜきさんのおっしゃるエッチな感じこそ、M.O.D. ダニーのダークサイド。
ベースマン作品の、いちばん“らしい”ところなんです。
一粒で二度おいしいM.O.D. ダニー・・・店主のツボにピタッときてます。
もひとつついでに、ベースマン作のWHITE BEAR QEE(写真右)も紹介しておきますね。
ますますエッチ?
ダークサイドが下腹部に顕著にあらわれております。
M.O.D. ダニー。Nさんのコメントへのレスをかねて。_a0077842_9305033.jpg

# by tomenosuke_2006 | 2006-10-04 09:39 | kidrobot 新製品情報
レディ・キロワット
留之助商店のショーウィンドーの中で1日中、けなげに発光しているネオンサイン、レディ・キロワット君について、電話やメールでお問い合わせいただきました。
「ありゃ、なんだ?」っていうのから、「おいくら?」まで、いろいろ数件。
この場を借りてお答えします。
レディ・キロワット_a0077842_10212875.jpg
日本ではジッポーライター・ファンのあいだでけっこうポピュラーなのが、このレディ・キロワット。
彼の顔をプリントしたライターなどが、レディキロなどと呼ばれたりしているみたいです。
レディとは女性のLADYではなくて、赤みがかったという意味のREDDY。
生まれは1925年。
アラバマ電力会社に勤めるアシュトン・B・コリンズ氏が仕事帰りに物凄い落雷を目撃、まるでその光が人の手足のように見えたところからレディ・キロワットを発想しました。
イナズマのからだに、ゴムの手袋とブーツ、電球の鼻と電気コンセントの耳。
翌年の1926年にフィラデルフィア電力が最初のライセンス契約会社となり、数年のうちには全米の200社をこえる電気施設会社がそれに加わり、愛嬌たっぷりのレディ・キロワットを看板やノベルティなどにあしらい、電気の普及につとめました。
そう、1920年代のこのころというのは、アメリカの一般家庭に直流電気のコンセントが普及し始めた時期で、ラジオやさまざまな電化製品の第一次ブーム。
レディ・キロワットといえば、モダンな電化生活を象徴するアメリカの代表的キャラクターだったのです。
1930年代にはコミックヒーローとなり、1940年代にはReddy-Made Magicという電気の歴史をたどる映画で主役をつとめ、1950年代にはその続編ともいうべきMighty Atomが作られました(何でも知りたい店主ですが、この種の映画を観る機会にはまだめぐり合ってません)。
余談ですが、1950年代には革命政権のカストロ首相によって、レディ・キロワットのキューバでの使用が禁止されたことがあったとか。
あまりにも敵国アメリカ的だという理由だったそうです。
で、当店のレディ・キロワット君は1940〜50年代製。
お客さんが訪れる電力会社のオフィスやショールーム用に手作りされたものです。
高さはちょうど大人の身長ぐらいで、表面はホウロウ仕上げ。
メタルワークも素晴らしく、むかしはアメリカにもこんなに細かい職人仕事をこなす人がいたんだなと感心してしまいます。
お値段の方は3,150,000円、消費税込み、配送料別となっております。
レディ・キロワット_a0077842_11253327.jpg
店主大好きのゲーリー・ベースマンがレディ・キロワットを引用(右上)した作品を発表しています。
好みがどこか共通しているようで、うれしいような。
原画は高すぎて、機会もなくて、いまのところ手に入ってませんが、2年前に出た50部限定のポスターはしっかり確保してます。
いずれお店に出す予定です。
# by tomenosuke_2006 | 2006-10-03 11:18 | ムカシモチャ