ゴリラズ Gorillaz
店主53才が記憶をたどりながら60年代の話をするのはフツーだろうけれど、ヴァーチャル・バンドゴリラズ Gorillazについて、あるいはその名前を出すだけで、なんか、ブッてるおじさんのように思われそうで気がひける。
とにかく店主は初代iPodからの敬虔なるユーザーだから、2005年5月、アップルのサイトでiPodの新しいCMをみるのは自然の成り行きだった。
で、バックに流れるいい感じの音がゴリラズで、それがイギリスのバンド、ブラーのデーモン・アルバーンとアニメ作家ジェイミー・ヒューレットが仕掛けたヴァーチャル・バンドのものだと知るまでに、それほど時間はかからなかった。
むしろキッドロボットから売り出されていたゴリラズという名のフィギュア4点セットの全貌を、iPodのCMきっかけで知ったのだった。
そのゴリラズの通算3作目と4作目の新作フィギュアが相次いでリリースされる。
もちろん留之助商店でも本家キッドロボットと同日発売の予定。
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値段は2D(ボーカル・イギリス人24歳)、ヌードル(ギター・大阪出身の日本人10歳)、マードック・ニカルス(ベース兼リーダー・イギリス人32歳)、ラッセル・ホブス(ドラムス・NY出身のアメリカ人27歳)の4キャラ・セットで、通算3作目のCMYKエディションが14,400円、4作目のWHITEエディション(上の写真)が17,400円となる。
前2作で使われたモールドは破棄され、新作は新しいデザイン(彫刻)と新しいモールドで作られる。
限定数は前2作同様、各キャラ2000個ずつで、いっきにソールドアウトになりそうな気配である。
ちなみに当店では1作目のBLACK(下の写真左)と2作目のREDエディション(写真右)を、それぞれ1セットずつ在庫している。
世界のどこを探しても、もはや見つけることがほとんど不可能なコレクションである。
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# by tomenosuke_2006 | 2006-10-13 10:19 | Kidrobot 新製品情報
1960年代アメリカのオッキモチャのこと・その3
●ロボット・コマンド(Robot Command)1961年〜1969年
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ロボット・コマンドの当時ものカラーTV-CMをみて驚いた。
薄紫のボディにスケルトンの頭をしてるじゃないか。
長年、ロボコマ追いかけてきたけれど、こんなの見たことない。
とにかくムショーに欲しい。
絶対、手に入れてやる。
そう思ったのは去年10月のこと。
さっそくアメリカのコレクターに当たってみた。
アメリカにはロボコマ・ファンで構成されるソサエティのようなものが存在する。
壊れたロボコマから使えるパーツを採り出し、リスト販売している人とか、解説書や保証書をオリジナルの紙質にまでこだわり復刻してる人。
中にはロボコマのもっともデリケートで壊れやすい部分、目の玉の回転を制御する細いゴムヒモを専門に売る人もいる。
値段は10ドル。
オリジナルより耐久性にすぐれ、長過ぎず、短過ぎず、絶妙なサイズに調整したものを届けてくれる。
とにかくロボコマがらみで知り合ったアメリカ人全員に、薄紫バージョンを余分に持ってたら譲ってほしいと、手当たり次第にメールした。
と、半日もたたないうちに2人からレスが。
あのTV-CMは1970年に放送されたもので、薄紫のロボコマは試作品だと。
新製品として売り出される予定が結局は商品化されず、ロボコマそのものも1969年のクリスマスをもってアイディアルのカタログから姿を消した。
つまり生産が打ち切られたというのだ。
ホッ、なければないで、むしろうれしい・・・レアだという理由でとんでもない金額を要求されたらどうしようかと、じつは気が気でなかった店主の気持ち、分かる人には分かりますよねぇ。
ロボコマはやっぱりベネトン風、赤と青と黄色の原色コンビネーションにかぎるのだ。
9年間、作り続けられたロボコマは、初年度の1961年版だけ、右胸の"ROBOT COMMAND"のロゴラベルが黒ベタ白ヌキ文字で作られ、あとは赤ベタ白ヌキ文字に変更された。1960年代アメリカのオッキモチャのこと・その3_a0077842_9144154.jpg
という理由で初年度版がインナー(緩衝材)付きオリジナルパッケージに入り、ロケットミサイル2本、ミサイルボール8個、解説書と保証書が付属し、さらに販売店向け修理マニュアル(左の写真)でもオマケに付いたなら、もはや恐ろしい値段になってしまう。
ちなみに修理マニュアルはロボコマ生誕40周年を記念して、2001年にソサエティのメンバーが復刻版を100部だけ限定出版したが、いまではそれだけで150ドルの値がついている。
以上はいまのアメリカでのロボコマ事情だが、かつて1960年代中ごろ、日本へもロボコマの波が押し寄せていたのだった。
第一次アニメブームに乗ってアトムや鉄人28号や8マンや、ときにはロボットキャラではない“のらくろ”や伊賀の影丸まで、もはや手当たり次第にロボットプラモ化していたイマイが、アメリカで大ヒット中のロボコマの権利を手に入れ、日本向けに改名して、その縮小版(日本の住宅事情を考慮した?)を2種類発売したのである。
まず大きい方がビッグサンダー。
本家のおよそ2/3のサイズで、本家と同じアクションを、マイクロフォンのギミックなしのふつうのリモコンで操作する。
小学5年生だったか、6年だったか、店主もビッグサンダーの組立てに挑戦したが、難しすぎて完成できなかった。
もちろんロボコマの存在をまったく知らない当時の店主だったが、他のイマイのロボットプラモにはない毛色のちがい・・・今風にいえばアメリカン・ポップな香りを感じとっていた、ような気がする。
ビッグサンダーは動かなくても特別で、子供部屋のいちばん目立つ場所に飾ったのだった。
もうひとつ、ビッグサンダーのさらに縮小廉価版としてベビーサンダーが作られた。
モーターで走り、ミサイルの発射は手動、両腕の付け根の黄色いパーツは省略されて赤と青のツートンカラーとなり、見るからに貧弱な子だった。

●キング・ザー(King Zor)1962年〜1964年
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ロボコマと同じアイディアルから発売されたキング・ザーは、口語体で発音すれば、キンザーである。
キンザーはキャスティングされた緑色のプラスチックのからだに、黄緑色のセルロイド製手足を持つロボット恐竜。
アメリカ征服を企てるマッドサイエンティストが発明した、らしい。
攻撃用の銃と吸盤付きのダーツが8本付属して、当時の値段はロボコマの14ドル97セントよりわずかに安い12ドル63セントだった。
が、現在では生産数がはるかに少なかったことと、セルロイドの手足が壊れやすく、簡単には完品を見つけられないという理由で、程度のいいキンザーにはロボコマ以上のプレミアがつく。
当店の販売価格もハンパじゃなく、ここで口にするのもチョットネーである(興味のある方は直接お店までご連絡を)。
箱付き完品と、箱なし完品と、付属品なしのキンザーのみとでは、現在のアメリカでの取り引き価格にそれぞれ500ドル以上の差がつく。
つまりパッケージだけで500ドルするということ。
笑ってやってください、店主はその劣化した段ボール箱のみに600ドル、送料50ドル、日本円でしめて78000円も払いましたとさ。

グレート・ガルーとビッグ・ルー
# by tomenosuke_2006 | 2006-10-12 09:46 | ムカシモチャ
コーヒーブレイク。
「多難でおかしなオモチャ屋さん開業への道」というサブタイトルのこのブログ、9月末にどうにか開業に漕ぎ着けたってこともあり、友人のひとりが「多難でおかしなオモチャ屋さん“成功”への道」に変えたらとアドバイスしてくれた。
けれど、ま、このままいくことにします。
成功なんていう言葉は肩の荷が重すぎるし、細く、長く、オモチャ屋の店主が続けられたら、それで十分。
初心を忘れないという意味も込めて、“開業”のままにしておきます。

それにしてもオモチャ屋きっかけではじめたブログを、仕事そっちのけで楽しんでる。
もはや本業(飛騨地区でいちばん忙しいお弁当屋がキャッチフレーズです)を放ったらかし、じつはオモチャ屋の店番も店長君にあずけて、暇さえあればブログしているかシーズンVの24、観てるか。
ブログという表現メディアが、かつて文章書いたり、本を編纂し、いまも創作意欲だけは衰えずにいる私にとっては、この上なくラクチンな場所なのだ。
締め切りがない。
文字数に決めがない。
カテゴリは雑誌にたとえれば複数の連載を受け持つような感じ。
好きなことを、好きなとき、好きなだけ書ける。
さらに都合がいいのは、アップロードしたあとでも書き直しがきくということ。
出版に関係していたころ、いつも締め切り間際まで改稿を繰り返したものだった。
映画の情報(技術的な事柄を含む)を扱っていたし、読者には手強いマニアが大勢いたから、何度も読み返し、間違いはないか、誤解をまねくような言い回しをしてないか、点検に次ぐ点検が当たり前になっていた。
それでもあとの祭りなんてこと、後悔することもしばしばだった。
ひきかえブログは、こっそり訂正できるし、実際、しじゅう手を加えている。
精神の解放区・・・なんて大袈裟なものではないけれど、ここではだれも私を取り押さえることはできない。
俺が法律なのだ!?
たったひとつ、1回のブログにアップロードできる画像が500KBまでという制約をのぞいては。

そんな自由なブログだから、1960年代アメリカのオッキモチャ関連で言いそびれたというか、話がどんどん横道にそれそうだったので遠慮してたこと、ここで書いておきます。
というのは“スター・ウォーズ”のジョージ・ルーカスがそれよりもまえの1973年に発表した映画アメリカン・グラフィティの時代と時代観について、少々。
コーヒーブレイク。_a0077842_12164830.jpg
映画の冒頭だったかどこかで、こんなセンテンスが出てきた。
Where were you in '62 ? = 君は1962年、どこにいた?
ビル・ヘイリーとコメッツのロック・アラウンド・ザ・ロックにはじまり、ぜんぶで41曲のロックンロールが途切れなく繰り出されるその映画は、ファッションといい、クルマといい、カリフォルニアの風景といい、どれをとっても憧れのフィフティーズそのもの。
本当は60年代に入ってからのお話だったということを、忘れてしまいそうになる。
けれど50年代の文化風俗というものは、なにも1960年1月1日をもって衣替えとなり、クローゼットの奥に片づけられてしまったわけではない。
当然、新たなディケード(10年間)を迎えても、カーラジオからはきのうと同じヒット曲が流れ、ドライブインではチェリーコークがよく売れて、ソックホップ・パーティにナンパにシグナルレースが繰り返されていた。
むしろ華やかで活気に満ち、夢に溢れて、未来に何のかげりも感じないでいたフィフティーズの終焉は、ケネディ大統領の死の前後、ベトナム戦争が他人事でなくなった1963年ごろにおとずれたとみるのが正しいだろう。
1962年の卒業シーズン、カリフォルニアの小さな街で繰り広げられる若者たちの一夜の馬鹿騒ぎには、だから意味があったのだった。

そういう点からも60年代アメリカのオッキモチャの中でも、ロボット・コマンドを除くグレート・ガルー、キング・ザー、ビッグ・ルーたちは、むしろフィフティーズの精神によって生を授けられ、ゆえに短命で終わった不運の子だった。
アメリカン・グラフィティの主人公たちに弟がいれば、きっと買ってもらっていたにちがいないオッキモチャ。
もしいま実物を手にする幸運にめぐり合えたなら、アメリカン・グラフィティのDVD流すか、CD聴きながら、愛でてやってほしいと思う。

えっとー、留之助商店ではその幸運、売ってまーす。


# by tomenosuke_2006 | 2006-10-10 22:00 | TV・映画・ビデオ
1960年代アメリカのオッキモチャのこと・その2
ロボット・コマンドは見るからに未来的なロボット戦車風だったが、一見、アラジンの魔法のランプから出てきたようなグレート・ガルーもまた、SFキャラとして少年たちの前に登場した。
SF映画の巨大モンスターが従順なしもべに生まれ変わり、思いのままにコントロールできるようになった、というのがキャッチフレーズ。
TV-CMはグレート・ガルーが街を破壊するシーンで幕を開け、かわいい兄妹が遊ぶ子供部屋へとカットバック、そのしもべぶりを披露する。
得意技は上半身を前に折って物をつかみ上げたり、両手で物をつかみ、運ぶこと。
実用化された最初の家庭用執事型ロボットといえる、かも。
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翌年、1962年のクリスマスにはロボット・コマンドのアイディアルが追い討ちをかけるように全長68センチのロボット恐竜、キング・ザーを投入してきた。
前作ロボット・コマンドが少年の命令のもと、各種兵器を繰り出し戦うという戦友型だったのに対し、新作キング・ザーは敵対型。
背中から打ち出されるミサイルボールの攻撃をかわしながら、専用の銃で尻尾の先の赤い標的を狙い撃つ。
みごと当たれば方向を変えて退散するという、ゲーム性が色濃く反映された製品だった。
ロボット・コマンドとキング・ザーの猛攻を浴びたグレート・ガルーのマルクスは翌1963年、これでもかの大物、高さ96センチ(ロボット・コマンドのおよそ2倍の背丈)のビッグ・ルーを発表した。
キャッチフレーズは、月から来たお友だち。
複雑なメカは一切搭載されず、電池は目玉の豆球を点滅させるのみ。
手動でタマやロケットを飛ばしたり、マジックハンドと同じ仕組みの右腕を操り物をつかみ取る。
トーキングボックス内蔵で、背中のクランクを回すと自己紹介するところが、唯一、すぐれていた点といえるだろう。
が、あまり売れなかった。
ビッグ・ルーをねだる子供が、ことのほか少なかったのだ。
ニヤニヤした顔の実物を見れば、分かる気がしないでもない。

4大オッキモチャが出そろった1963年のクリスマス。
街のオモチャ屋やデパートの売り場は、いままで以上に充実して、活気に満ちあふれるはずだった。
1960年代アメリカのオッキモチャのこと・その2_a0077842_1158264.jpgが、そんなわけにはいかない暗くて重い空気がアメリカをおおい、多感な少年たちはこれまでとはちがう時の訪れを意識したのだった。
クリスマスをひかえて街が華やぎはじめた1963年11月22日、テキサス州ダラスで大統領就任2年目の若くてパワフルで正義感旺盛なあのケネディが、凶弾に倒れたのである。
アメリカはこの日を境にベトナムへの軍事介入をさらに強硬に推し進めるようになり、アナーキーな時代へと突入していった。
もはやそういう時代にファンタジーは不要となった。
従順なグレート・ガルー、敵というにはチャーミングなキング・ザー、月から来た友人ビッグ・ルーは、まもなく市場から消えていった。
ケネディが大統領として人生を送ったと同じ時期にオッキモチャは生まれ、短い生涯を閉じることになったのである、奇しくも。
一方、兵器として十分役目を果たすロボット・コマンドだけは1960年代の終りまで作り続けられ、戦車や軍艦などの即物的で夢の乏しい新たなオッキモチャといっしょに売られたのだった。
つづく。

年をとると、いろんなことをつい時系列で考えてしまうようになり、たかがオモチャの話が固くなってしまいました、失礼。
次回、最終回は4大オッキモチャの、もっと商品に即したネタを紹介するつもりでいますので、よろしく。
とかいいながら、さらに古風といわれるかもしれませんが、本ブログで話題にした映画タイトルなど書き添えて、1960年代の年表を作ってみました。
よかったら見てください。
店主の少年時代は、こういう時代だったんだぁと、あらためて納得。
(グレーの文字は世界の出来事、茶色は日本、緑は映画TV、赤はオッキモチャです)

1960年代年表
# by tomenosuke_2006 | 2006-10-09 12:26 | ムカシモチャ
1960年代アメリカのオッキモチャのこと・その1
以前、ムカシモチャのカテゴリでスパイモチャについて3回ほど続けて書いたことがあったけれど、その結び“スパイモチャ/その3/ナポソロもの”で「スパイモチャからオッキモチャへ、店主の玩具道は果てしなく続く」みたいなこと言って、そのまんまにしていたことを思い出した。
で、続きを。
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留之助商店には“ならでは”の品物がいろいろあるけれど、たとえば1960年代アメリアの4大オッキモチャをつねに在庫している店など、うち以外、日本のどこを探してもないはずだ・・・なんて大見得切っても、そもそも4大オッキモチャなんていう概念は、いまのところ岐阜県高山市本町3丁目44番地でしか通用しないと思われる。
1960年代当時、つまり店主が少年時代の海の向こうのオッキモチャは、単に大きいとうだけでなく、あらぬ造形で、存在感が並ではないところがよかった。
ベアブリックの1000%(高さ約70センチ)や20インチ・ダニー(高さ約50センチ)も、彼らの個性のまえではひれ伏すしかないのだ。
当店にはわずかにブリキ製のビンテージトイもあるけれど、ブリキノモチャは店主的にはすでに終わったと見なしている。
プレスよりはキャスティングにつきる。
高度で柔軟な表現力を有した化(バケ)学素材のプラスチックやソフビでできたキャスティング(鋳造)製品の方が店主の好みだし、そういう点からも60年代オッキモチャこそは、当時の新素材“プラスチック”によるかつてない色彩と形状と質感を得て、オモチャの新時代を体現したのだ。
デザイナーズトイの原点、オブジェモチャのご先祖さまなのである、絶対的に。
その大きさからいっても、彼らは単なるオモチャにとどまらず、ペットか家族の一員として迎えられるよう企画された。
たとえばマテルやヒューブレーのトイガン握って西部劇ごっこするのではなく、いっしょに暮らすオモチャ。
男の子が抱きかかえても、連れ歩いてもおかしくない、だけでなく、ひときわ目立って注目を集めるに十分なサイズ。
そういうオッキモチャが1960年代はじめに4種類、誕生したのだ。
それがロボット・コマンド、グレート・ガルー、キング・ザー、ビッグ・ルーだった。
(ロボット・コマンドは当店ホームページのトップに、グレート・ガルーは当ブログ右下のネームカードに、キング・ザーは同じく当ブログ右上のロゴに引用してます。それくらい好きってこと?)
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TV-CMから。左よりロボット・コマンド、キング・ザー、ビッグ・ルー。

最大手のマテルが女の子用にバービーを、男の子用にシューティングシェルのトイガン(ムカシモチャのカテゴリで紹介)を大ヒットさせていた1960年代はじめ、アイディアルとマルクスという二番手を競うライバル・オモチャメーカー2社が、男の子向けに投入してきたのがオッキモチャだった。
アイディアルからは高さ46センチのロボット・コマンドが、マルクスからは57センチのグレート・ガルーが、まず1961年のクリスマス・シーズンにデビューした。
1961年といえば、ジョン・F・ケネディが第35代アメリカ合衆国大統領に就任し、近年で最も偉大な大統領就任演説を披瀝した年でもある。
「祖国があなたに何をしてくれるのか尋ねるのではなく、あなたが祖国に何ができるか自問してほしい」
オットット、きどうしゅうせい、軌道修正。

ロボット・コマンドは、君の命令どおり動く。
さぁ、マイクロフォン・リモコンに語りかけよ。
前進、右旋回、左旋回!
ミサイルボール発射、ロケット発射!
目玉がつねに渦巻き回転しているのは、敵を見逃さないため。
後退のメカニズムは搭載されていない。
なぜならロボット・コマンドは決して敵に後ろ姿を見せないのだ。
(TV-CMのナレーションから抜粋)

マイクロフォン・リモコンに向かって語りかけるというのは、厳密にはマイク(のカタチをしているだけ)に向かって息を吹きかけ、マイク内部の薄い金属板を動かして、電気回路の開閉を操作することにほかならない。
マイクロフォン・リモコンとロボットは、ロボット内蔵の駆動用モーター直結の電線と、さらに1本、カメラのレリーズのようなワイヤーでつながれ、そのワイヤーのプッシュ&プル操作でロボットに組み込まれたメカニズムのギヤを切り替え、すべてのアクションを制御する。
実態はスーパーロウテク、けど思い通りに動かすには慣れとコツを要した。
値段の14ドル97セントは、当時の家庭用21型テレビが150〜200ドルしたことを思えば、けっして安いとはいえないが、爆発的に売れた。
平和なアメリカのいたるところで、ロボット・コマンドの操作を競い合う少年たちがいた。
中には、将来、ベトナムの戦地へ駆り出されるとも知らず、マイクロフォン・リモコンに向かって「ミサイル発射!」と声を張り上げていたあどけない少年も。
そういう時代だったのだ。
つづく。
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A Boy and his Robot Command/1962年の写真


# by tomenosuke_2006 | 2006-10-09 00:29 | ムカシモチャ