お人形さんの抱きごごち。
イマモチャ・・・イマ、生産されているオモチャの中でも、とくに店主ウケのいいものを、イマオモチャと呼んでいる。
おもにデザイナーズトイというジャンルもの。
デザイナーたちは店主よりも若い世代である。
子供のころからアートに深い興味を持ち、TVの怪獣やアニメで育ち、フィギュアで遊びながら、それらをごく自然にファイン・アートとして見なすようになった。
で、創作意欲旺盛な彼らが最初にアートフォーム(芸術様式)として意識したのが、彫刻や絵画ではない、トイだったのだ。
たとえば店長イチ押しのデザイナー、ゲーリー・ベースマンは、トイを「手ごろな値段で買える小さな芸術作品」と語る。
大理石やブロンズなどの伝統的な素材を使った作品に対して、デザイナーズトイはプラスチックやビニール製の彫刻といえる。
マス・アピールの強いポップ・アートといいかえることができるだろう。
店主は、それらのトイの中でも、kidrobotキッドロボットから限定販売されるダニー・シリーズに目がない。
オンライン販売開始直後に売り切れてしまう50個限定なんてのがあったりして、仕入れもままならない。
時差の関係で夜中に起き出し注文画面に行くが、ショップのサーバーはショートするわ、なかなかつながらないわで、2、3時間、パソコンのまえに縛られたあげくにダメなんてこともある。
こうして売られたもの($200)が翌日にはebayに出品され、3倍($600)もの値で落札されたりするから驚く。
デザイナーズトイに群がり、お小遣い稼ぎをしている人たちが大勢いるのだ。
そういう意味では店主も似たりよったりか。
留之助商店はデザイナーズトイのアートギャラリーでもあり、流通販売は創作の一部だと考えている。
画商と同じく、正しく民主的な行為と信じ、その時々の適正価格で販売していく計画なのである。
↑ちょっとお話が固くなってしまったが、ダニーとの馴れそめについてひとこと。
去年(2005年)遊びによったサンタモニカのキッドロボットで、はじめて8インチのダニーを手にして、その感触、抱きごこちにウットリきてしまったのだ。
小さな女の子がクマのぬいぐるみを手放せなくなる気持ちが、分かったような気がした。
店主、51才の春のことだった。
お人形さんの抱きごごち。_a0077842_101899.jpg
ダニーの正しい抱き方は上の写真を参照のこと。右手の親指と人さし指で右耳をはさみ、手のひらでやさしく後頭部を包む。左手は親指を上に、股間から小さな臀部をやさしく握る。なごみの形状・・・手のひらから全身に平和が伝播していくのを感じないではいられない。あなたもおひとつどうぞ。


# by tomenosuke_2006 | 2006-07-11 10:33 | kidrobot 新製品情報
商標登録。
お店を開業するまえから何を心配しているかって、そりゃぁ、もう、メジャーになったときのことである。
気楽に使っている「留之助商店」とか、いまはまだ未公開の「取扱商品を総称する造語」を、じつはすでにだれかが特許庁に商標登録してたりすると、他人の権利を侵害することにもなり、場合によっては使用差し止めや損害賠償を請求される。
それよりもいちばんヤなのは、当店のユニークな、めくるめく、興味本位といってしまえばただそれだけの、ただし分かる人には絶対分かる特有の味(スペシャルテイスト)が広く世界に知れわたり、当店の名前を騙(かた)って真似をしようとするヤカラがあらわれることなのだ。
ちなみに留之助=トメノスケとは、明治19年(1878)に生まれ、店長1才の昭和29年(1954)に没した祖父の名である。
じつに厳格で、文学を愛し、高山市がまだ大野郡高山町だったころに最年少町会議員となり、その後も市会議員を何期かつとめた。
趣味は謡(うたい=謡曲)。
しかし生まれつきの音痴で、得意の芸事を披露するたびに、まわりで爆笑が巻き起こるそのわけを知らぬまま、この世を去った。
1ダースほど子宝に恵まれるが、我が子を抱いたり、あやすようなことは一度もなかった。
精力旺盛なれど家庭的ではなかった?
最初に抱いた赤ん坊が生まれたての店長こと、このワタクシだったとか。
祖父も年をかさねて、晩年は丸くなったのだろう。
赤ん坊の店長の口の中を見て、「わりゃ、赤ん坊のくせに、舌べろが生えちょるぞ」と、マジで驚いたらしい。
舌も歯のように生えると思っていたのか。
頭が悪かった?
ともあれ、反抗期をむかえた少年時代の店長は、いまごろじいさんが生きてれば、お前みたいな奴はとっくに勘当されていると、よくいわれたものである。
そういう祖父の名を店名としたことに、とくに深い意味はない。
語呂のよさ、レトロな響き、商品イメージとのギャップが面白くて。
かいつまんでいえば、そんなところだろう。
商標登録はネットで日本国際商標特許事務所の富樫さんにお願いすることにした。
商標登録出願時の費用(つまり特許庁に審査を依頼する費用)が、特許印紙代21,000円+手数料52,500=73,500円×2件で、147,000円。
ジャパンネット銀行に残高あったかな。
これはあしたにでも送金しなくては。
さらに後日、商標登録時の費用(商標登録代)が、特許印紙代66,000円+手数料38,000=104,000円×2件で、208,000円もいる。
オモチャの仕入れに充てれたら、楽しく買い物ができそうなんだけれど。
商標登録。_a0077842_2134174.jpg

# by tomenosuke_2006 | 2006-07-10 21:39 | 留之助商店計画
狸の気持ち。
ネフローゼ症候群がもとで引き起こされる浮腫みというやっかいな症状。
はじめのころは、朝、まぶたが腫れたり、動き出せば引く程度に足が膨らんだくらいだった。
が、ついに履ける靴がなくなり、浮腫みは足元からふくらはぎ、ももから腹回りに拡大移動するようになって、ここ県立岐阜病院へ来た。
浮腫みを引き起こす体液は重力にしたがい、からだのあちこちに移動する。
入院の翌朝(7月1日)、疲れ切って寝込んだせいか、枕から頭を落とし、右頬を下にしたままの状態で目覚めるとロン・チャーニーも及ばない生のモンスター顔。
ついGR DIGITALで自分撮りしてしまった(非公開)。
浮腫みは血液中のアルブミンというタンパク質が尿に漏れ出るのが原因だ。
そのアルブミン濃度が低下するとコレステロールが増え、感染症にかかりやすくなったりで、ひとつもいいことはない。
とにかく悪化させては、明るい未来は来ないのだ。
そういうネフローゼの状態を知るのにも、浮腫み具合は目安になる。
とりわけパルス療法が効くと腎臓の動きが活発になり、オシッコの量が増えて、浮腫みのもとの余計な水が排出される、らしい。
効き方は個人差があり、早ければ療法開始4日目ぐらいからジャンジャン(2リットル以上)出て、すっきり浮腫みが消えて、体重も減る。
ちょっと遅れて1週間後ぐらいに効果が出る人や、結局、出ない人も。
自分の場合はというと、先週の金曜日、腎生検の朝、つまりパルス療法が終わって2日目の朝に2リットル達成し、もとの足を取り戻して喜んだのもつかの間、旺盛な尿意は一瞬にして途絶え、徐々に浮腫みがぶり返してきた。
ただ、最近はベッドであぐらをかいでノートブックに向かってばかりいるものだから、体液は重力にしたがい・・・狸の気持ち。_a0077842_5372799.jpg
狸の置物には八相縁起というのがあって、たとえば大きな笠は「悪事災難を避けるため」。
で、股間のあれは金袋といい、水ではなくて、「たっぷりお金が詰まってる」んだってさ。
さぞかし歩きにくいだろうと、実体験から同情してみたけれど、あれがサイフか貯金箱なんだと知ったら、うらやましくもあり。
タマにタマってタマりません。
オチのつもりで考えたこのセリフも、自分と狸では、まったく意味がちがうんだと、いまさらながらに知りました。

右の信楽焼の狸は留之助商店の取扱商品ではございません。


# by tomenosuke_2006 | 2006-07-09 19:13 | ネフローゼ症候群
在庫チェック。
高山市本町通りに見つけた留之助商店用空き店舗。
高山市が推進する商店街活性化のための補助金申請に店長君が取り組んでいる。
(その進行具合もいずれリポートするつもり)
同時に少しでも早くお店が開店できるよう、留守の店主に代わり、店長君が計画を立ててくれた。

在庫チェック。_a0077842_1820374.jpg

オモチャ屋とはまったく関係のない我が社の社長室(左)やら自宅のありさまです。

1.下呂市の倉庫の出入り口や通路をふさいでいるオモチャをクルマで運ぶ。ステーションワゴンで最低5往復。
2.日本通運名古屋支店の美術品課さんにお願いして、等身大のロボットやモンスター、デリケートなプロップや割れやすいネオンサインなどを、2トンの美術品専用車で運んでもらう。4名のスタッフが付き、1回が20万円。2回で済ませたい。
3.大物をお店のだいたいの位置に据えたら、ショーケースを設置。商品の本格的な搬入とディスプレー作業に備える。
在庫チェック。_a0077842_1817275.jpg

倉庫の状態。店主も何がどこにあるのか分かりません。

店長君いわく、
「品物が多すぎて、どこに何があるのやら、在庫チェックができません」
「お店の広さからいっても、いまある在庫の2、3割しかディスプレーできないのでは・・・危機的在庫過多状態・・・これからはもっと商いに徹して、売れそうな商品中心に仕入れてください」
いい忘れましたが、留之助商店では店主と店長の担当が明確に色分けされています。
ぼく、買う(仕入れる)人。
君、売る(稼ぐ)人。
よろしく。
# by tomenosuke_2006 | 2006-07-08 18:36 | 留之助商店計画
前後いたしましたが、
自己紹介がまだでした。
ここをご覧いただければ、ある程度のところはご推察いただけるかと。
もとLA在住映画ジャーナリスト(1980年〜)で、いっときデザイン評論家(1986年〜)を兼業したことも。
前後いたしましたが、_a0077842_1743638.jpg帰国後はイベントプロデューサー(1990年〜)やったり、SFXプロデューサー(1994年〜)になったり、クールトイズ(1995〜)っていうオモチャ雑誌では編集のスーパーバイザーやらせてもらいました。
いまも下呂市と高山市で弁当屋のあるじ(1986年〜)続投中です。
こどものころからず〜っと、大きくなったらオモチャ屋さんになりたいと思いつづけ、気がつけば53才。
機は熟しすぎて、腐る寸前?
このままでは夢多きこどものころの自分を裏切るような気がして、末広がりの平成18年8月8日に、世界のどこにもない、個人的趣味が満載の楽しすぎるオモチャ屋を飛騨高山に開店しようと準備を進めてまいりました、が。
さて、お店の行方は?
店主のコンディションは?
どうなることやら・・・です。
# by tomenosuke_2006 | 2006-07-08 16:59 | TV・映画・ビデオ