ダニーのルーツはキティちゃん。
たびたび話題にしているお人形さんのDunnyダニーだが、その生い立ちにつてはまだ触れていなかった。
産声を上げたのは2004年のNY。
映画やアニメ・プロダクションで働いていたポール・パドニッツが立ち上げたアーバントイのアンテナショップ、kidrobotキッドロボットがその生家である。
キッドロボットのコンセプトは「ファインアートの限定量産」。
アーティストがデザインした1000、500、300、100、もしくはそれ以下の個数による限定版トイシリーズをはじめ、他のメーカーの個性的なデザイナーズ・トイをセレクトして、NY、SF、LAのショップの他、ネットでも販売している。
ダニーは、そのパドニッツと友人のアーティスト、トリスタン・イートンの手によって創造された。
とくに研究されたのが世界中にファンを持つハローキティだった。
彼らの言葉をかりれば、キティは「完璧なまでに美しい無表情さ」を有している。
そこでダニーには顔を描かないことが決められた。
硬質ビニール製の無地のボディは可能性を秘めたワイルドなキャンバスとなり、さまざまなアーティストに顔や体を自由に描かせて人気を集め、シリーズは一挙に発展したのだ。
そのダニーには3インチ(約7.5cm)と8インチ(約20cm)と20インチ(約51cm)の3つのサイズがある。
無地の素体をそれぞれ別のアーティストが表面処理するという点、あるいは3つのサイズが用意されていることなどから、日本のMEDICOM TOYメディコムのBE@RBRICKベアブリック・シリーズを連想しないではいられない。
こちらは小さい方から100%、400%、1000%と呼ばれ、ダニーより古いだけあってコンプリート不可能なほどの種類を誇り、世界中に熱狂的なコレクターを有する。
ダニーは、キティに無表情と丸みを帯びた外見を求め、ベアブリックに「玩具みたいな芸術みたいなオブジェモチャ」の未来を見いだしたのだろう。
留之助商店では、ダニーはもちろん、日本のベアブリックや、これもよく似たコンセプトの香港Toy2RのQeeキューイなど、世界のオブジェモチャをラインナップする予定である。
ちなみに本ブログのタイトルに使っている絵のうち、手前の4つのキャラがキューイのDKNYシリーズで、左からダニーにも参加しているティム・ビスカップ、デイビッド・ホーヴァス、フランク・コジック、ゲーリー・ベースマンの作品。
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# by tomenosuke_2006 | 2006-07-17 10:58 | イマモチャ
持つべきものは友、スタン・ウィンストンのあれから。
a0077842_1950478.jpg1.ターミネーター(1984)のエンドスケルトン。
2.エイリアン2(1986)のクィーンのコンセプトマケット。
3.同じくエイリアン2のウォーリアーの全身レリーフ。
4.プレデター2(1990)のフルボディ。
5.忘れていたけれど、パンプキンヘッド(1988)のフルボディもあった。
エンスケのレア度については、すでに語ったが、スタン・ウィンストンから借り出した他の創り物も半端ではなかった。
まずクィーンは、映画のために作られたさまざまなバージョンのクィーンたち、すなわち特大フルスケール版やミニチュア撮影用のロッドパペット版の原点のようなもの。
粘土彫刻をモールド(型)にとり、必要最小限のプルを作ると、デテールアップと着色を施して、大型版やパペット版へと展開するための基本彫刻(コンセプトマケット)として使う。
予定では、大切に保管されていたそのモールドから特別にイベント(ハリウッド映画村/1991)用のプルを作ってもらうはずだったが、海を渡って来たのはエイリアン2製作時(1985)に作られ、以来スタンの工房の応接室に飾られていた正真正銘のコンセプトマケットにほかならい。
黒とダークブルーを何層にも塗り重ね、色合いは深くよどみ、恐ろしくも底なしの艶を放つ逸品である。
ウォーリアも、同じ時期にボディスーツ(着ぐるみ)用のオリジナルパーツを使ってレリーフ化された特製。
映画製作中の工房の壁高くにはり付けられ、スタッフたちを見下ろしていた歴史の品でもある。
こちらも予定では同じものを再製作してもらうはずだったが、5年分のホコリをかぶったまま工房から東京へ産直された。
プレデターは実際に映画撮影用に作られ、大きなダメージを受けることなく生き延びたスタントスーツのパーツをいくつか組み合わせ、自立するように改造されたもの。
ポーズをとらせ、中に鉄の骨組みを入れて、隙間にポリフォーム(スポンジの一種)が流し込まれていた。
輸送のことなど何も考えないで作られたため、左手の剣は内側の骨組みに直付け溶接されて取外しがきかない。
そのため身長2メートル40センチの高さと相まって、取り回しはきわめて悪い。
取り回しの悪さからいったら、右に出るものがいないのが全長3メートルのパンプキンヘッドである。
これはスタンの記念すべき初映画監督作に登場したタイトルロールのメインキャラ。
あまり興味がなかったのだが、持ってけ、持ってけと彼がいうから展示することにした。
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そんなスタンは、1991年の夏、夫人を伴って東京会場を訪れていた。
作品提供の条件として、ファーストクラス利用の夫人同伴日本旅行というお楽しみがあったのだ。
イベントの主催者からは別途で費用を預かっていたから、徹底的に接待した。
グルメと温泉の旅の1週間だった。
新宿のセンチュリーハイアット東京を基地に、途中、下呂温泉から飛騨高山へと足を運んだ。
下呂温泉一の高級旅館水明館の夜がスタンを昇天させたと、店主は思っている。
下呂を一望する最上階の特別室で、きれいどころの芸者をあげて、最高の料理と最高の地酒による純和風のおもてなし。
スタンからは、工房を殺風景なままにしておくわけにはいかないから、あのあと、東京へ送ったと同じ物(エンスケだけはT2のもの)を急いで作ったと聞かされていた。
で、よ〜く考えてみた。
イベントが終り、作品を返却したら、ダブついてしまうじゃないか。
何かひとつぐらい記念にもらえないだろうか。
芸者から野球拳の手ほどきを受ける上機嫌のスタンに、何気に切り出してみた。
すると彼は、こう答えたのだ。
「ひとつといわず、ぜんぶ君に預けるよ」
夫人のサンディが笑顔で証人になると約束してくれた。
アルコールに弱い店主だが、その夜ばかりは飲み助のスタンに負けないくらい飲んで、飲んで、飲み明かしたのだった。
# by tomenosuke_2006 | 2006-07-16 21:24 | プロップ
ささやかな夢、大きなシッコ・・・もとい、嫉妬。
パルス療法やステロイドの錠剤プレドニンが効くと腎機能が活発になり、尿に“漏れ”出ていたタンパクが減りはじめる。
減ると血清のアルブミン濃度が上がり、上がると血液のバランスが保たれ、血そのものに張りが出て、血中の水分が毛細血管から“漏れ”出なくなる。
なると同時に体内に“漏れ”出ていた水が吸収され、一度、血にかえり尿となり、浮腫みは消えていく。
これを「漏れの三変化」という、かどうかは知らないけれど、治療がうまくいけばウザイ浮腫みは、やがてオシッコとなり、小便器を経由して忘却の彼方へと消えて行くのだ。
ゆえに快方に向かっているかどうかを確かめる目安として、浮腫みの状態、もしくはオシッコの量がとりざたされる。
主治医の小田先生や担当医の新之介先生からは、ふたこと目には、オシッコの量について質問される。
看護師さんとの朝のあいさつも、もっぱら、オシッコ出てますかぁ、である。
ここにいると、オシッコは人生である。
排尿時は男子トイレの小便器に向かって立つが、大事なオシッコは便器にはぶちゃけない。
計量カップのようなプラスチックの容器に丁重に注いだのち、2リットルの畜尿ビンに移しかえる。
そのビンはトイレにしつらえられた棚に置かれ、朝、前日分が捨てられてカラになり、また畜尿の1日がはじまる仕組み。
患者として決められた日課といえば、これくらい。
なんと単純で、簡単過ぎる日々の連続だぁ。
トイレの棚には、もちろん他の患者の畜尿ビンもならんでいて、変化に乏しいこんな毎日だから、他人のオシッコを見て一喜一憂する人になってしまった。
同じネフローゼ症候群の患者なのか、あるいは別の病気で畜尿しているのか知らないけれど、なみなみと溢れんばかりに注がれた重そうな2リットルビンを目の当たりにしたりすると、心の奥底から羨ましく思うのだ。
大きなシッコに嫉妬する最近の私なのでした。
# by tomenosuke_2006 | 2006-07-15 23:44 | ネフローゼ症候群
スパイモチャ/その1/マテルもの
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1960年代といえば、少年には、とっても複雑な時代だった。
TVなら0011ナポレオン・ソロ、映画なら007、細身のスーツがかっこいいスーパー・スパイの活躍に胸躍らせた。
少年は、なぜスパイものが流行っているのか考えもしなかったけれど、じつは当時のアメリカとソビエト(米ソ)は互いを仮想敵国と想定し、勢力拡大と軍備拡張を競い合っていた。
核兵器開発と宇宙開発は大国間の競争を象徴する最たるものだった。
当然のことながら本物のスパイが暗躍し、時代の空気に敏感なショービジネス界がそれを娯楽のネタにした。
少年はそんな世界の緊張など知らないから、スパイに憧れ、彼らが使うピストルとか秘密兵器のオモチャが欲しくてたまらなかった。
60年代中ごろ、007の新作第5弾007は2度死ぬが日本ロケされることになり、スパイ・ブームは絶好調に達した。
少年も有頂天だった。
白いビキニの浜美枝が少年に思春期の到来を告げた。
けれど一方で不穏な社会の変化が気になりはじめてもいた。
たとえば月に1度は行く床屋の待合室で目にするグラフ雑誌。
たびたびベトナム戦争を特集し、正視にたえない報道写真が表紙を飾るようになっていた。
新聞やTVも連日、戦争を伝えた。
無残な死をとらえたドキュメンタリーは、けれど少年には強烈過ぎて、無関心を装うこと、スパイTVや映画にますます傾注することで、夢の中へ逃げていったのだった。

そんな複雑な時代は、スパイモチャの時代だったのである。
まず、アメリカの最大手玩具メーカーマテルが、映画やTVやコミックネタではなく、オリジナルのスパイモチャ・シリーズ、エージェントゼロ=Agent ZEROで先陣を切った。
材質はおもにプラスチック。
ムービーカメラがマシンガンに変身するムービーショットガン(左上の写真)や、小型カメラがピストルに変身するスナップショットガン(右上の写真)。
トランジスタラジオやポケットナイフがボタン1発でライフルやピストルに変わった。
いずれも火薬で発火音を楽しむ、いわゆるキャップガン。
このうち、ポケットナイフ(商品名はポケットショットナイフ)だけ、ゴム製の刃以外は金属製で、他とは異なる重さと感触だった。
エージェントゼロ発売まえからマテルはキャップガンで有名だった。
ファンナー50=Fanner50という名のコルトピースメーカー・タイプ(西部劇風)のキャップガンをヒットさせていたのだ。
そのファンナー50の銃身を切り詰め、握りのエッジを丸くまとめて出したのが、現代リボルバーのスナブノーズ=Snub Noseだった。
これは一時期、エージェントゼロのシリーズに加えられたり、70年代はじめには新聞連載のコミック“ディック・トレーシー”とタイアップ、専用ホルスター付きで再販された。
ファンナー50やスナッブノーズはマテルの専売特許シューティングシェルを使うキャップガンだ。
スプリングが仕掛けられた薬莢にプラスチックの弾丸を差し込み、さらに薬莢の裏に丸い紙火薬を貼って撃つと、発火音とともに弾丸が放物線を描いて飛んでいく。
1960年代はじめ、東京の小さな会社が、このマテルのスナッブノーズを黒く染めたカスタムガンを販売していたが、じつはその会社こそ、日本で最初のモデルガン・メーカーとして旗揚げし、のちに“007は2度死ぬ”の日本ロケにハイエンドなステージガンを提供することになるMGCだったのである。
つづく。
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スナッブノーズ。左がシューティングシェルのセット大小で、完品は銃本体よりも入手困難だ。



エージェントゼロだよ。
# by tomenosuke_2006 | 2006-07-15 21:13 | ムカシモチャ
Gary Baseman
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玩具みたいな芸術みたいなオブジェモチャ専門店「留之助商店」の取扱品目に、ロウブロウアートというジャンルを設けてみた・・・ただいまホームページ鋭意準備中!
ハイテク(先端技術)の対極にロウテクがあるように、ハイブロウ(知的で高級)に対峙させてロウブロウと呼び、気軽に芸術を楽しんでもらうつもりでいる。
デザイナーズトイとの違いは、前者が立体であるのに対し、こっちは平面。
人形とポスターの違いのようなもで、同じアーティストがふたつのフィールドを往き来する。
ベアブリックのデザインなどで日本にもファンの多いフランク・コジックをはじめ、ティム・ビスカップとその奥さんのセオナ・ホン、店主一押しのゲイリー・ベースマンたちによる限定版が、ごっちゃり用意されている。
で、きょうはそのゲーリー・ベースマンの紹介を。
ロサンゼルスに住む彼は、New Yorker、Time、Rolling Stone、GQといったアメリカの代表的なメジャー雑誌で活躍するイラストレーターとして、まず有名になった。
CMでコラボした企業にはNIKE、Mercedes-Benz、Capitol Recordなどのビッグネームが名を連ねてもいる。
もちろんオモチャの世界でも活躍し、世に出す限定版トイは片っ端から売れて、発売の翌日にはebayなどのオークションサイトでプレミア価格で落札されたりする。
超売れっ子にもかかわらずサービス精神旺盛で、メディアの取材やサイン会を積極的にこなし、ファンを大切にする気さくな人物でもある。
彼のサイトのネットショップ(残念ながら現在休止中)で何度か買い物するうちに、店長はゲーリーをますます好きになってしまった。
Gary Baseman Studiosとう名で送られてくるメールは、日を追うごとにフレンドリーになり、アートワークやフィギュアの写真が添付されるようになって、あるとき質問してみると、ゲーリーその人がメールを打っていたのだ。
つまり通販の事務ごとまで、彼自らこなしていたわけ。
どうりで送料を聞いても、レスポンスがいまいちだったわけだ。
確かにフィギュアとポスターと本をまとめた国際郵便の送料なんて、即答できるものではない。
もしや彼はその荷物を持って郵便局へ行き、料金を確かめていたりして。
イラストレーターやトイデザイナーとして成功しただけでなく、3年連続でエミー賞に輝いたTVアニメTeacher's Petのエグゼクティブ・プロデューサーが、である。
Tobyトビー(左上の写真の無数のヌイグルミまたは右上の絵の少女の膝上のキャラ)やDumbLuckダムラックなど、 奇妙なキャラクターの生みの親。a0077842_20424437.jpg
DunnyダニーやQeeキューイでもゲーリー節を発揮している。
あの体中にプリントされたダークでドープなシミには、幾重にも折り重なった物語のレイヤーが潜んでいるような、見つめるほどに引き込まれるカワイク残酷な魅力。
当店では、すでに絶版となって久しいゲーリーのフィギュアを含む圧倒的なコレクションを披露する。
乞うご期待!
# by tomenosuke_2006 | 2006-07-14 21:03 | ロウブロウアート
もう一回、やります。
午後、ノートブックでゴールドフィンガーのDVDを観ていたら、詳しくはショーン・コネリー・ボンドがワラの山に投げ飛ばしたプッシー・ガロアを羽交い締めにして、むりやり彼女の唇を奪おうとしているとき、主治医の小田先生が研修医の若い子たちを何人も従え、回診にいらした。
けさの尿と血液検査の結果、先週はじめのパルス療法後に低下したタンパク尿が、またちょっと増え、それに反比例して血清のアルブミンというタンパク質が下がる典型的なネフローゼ状態だと知らされた。
落胆する私を励ますように担当の研修医、新之介先生が、それでも入院時と比べれば改善してるからと言葉を添える。
結果は、連休あとの来週火曜日から3日間、もう一度、パルス療法をうけることに。
摂取している水分以上にオシッコが出て、ゆっくりだけれど浮腫みは引きつつあるし、体重も入院時からくらべて2キロは減った。
2度目のパルス療法で、何がなんでもスッキリしたい。
プッシーといっしょに着地したパラシュートの中で、ボンドが味わった以上のスッキリ感。
今度こそ映画のエンディングのようなカタルシスを期待したいと思うのだった。
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# by tomenosuke_2006 | 2006-07-13 23:55 | ネフローゼ症候群
エンドスケルトンとオリジナルの意味。
まえから欲しいと思っていた絶版品を見つけ、喜々として値段をたずねると、「プライスついてませんかぁ? なら、それ、非売品なんですぅ」なんてバイトの女店員にいわれたりして、ムッときたこと、ないですか。
店主は、何度もある。
売り物じゃねぇなら、店にならべんじゃねーよ。
博物館でもあるまいし、オモチャ屋やホビーショップを名乗る以上、商人(あきんど)に徹したらどうなんだ。
少なくとも留之助商店はプロの商人を目指す。
だから非売品はない。
ショーケースだろうが、使用中の電話だろうが、店から移動できるモノすべてにプライスが付く(店長候補君だけは当分非売品)。
最初のターミネーター(1984)で作られた現存する唯一のフルボディ・エンドスケルトンも、店に飾る以上は、売り物である。
これをプレゼントしてくれたSFXアーティストで、何度もアカデミー賞をとったスタン・ウィンストンには申しわけないけれど、墓場へ持っていくわけにもいかないし。
だいいちスタンが約束を守らなかったから、店主がオリジナルを所有するハメになったのだ。

もうあれから15年。
1991年に東京と大阪で開催された映画のイベント“ハリウッド映画村”の監修役として、若き日の店主はロサンゼルスと東京を行ったり来たりしていた。
ハリウッド映画の過去・現在・未来を、実際に映画で使われたセット・小道具・衣装・記録写真や映像などで展覧する期間限定のイベント。
オープニングを2カ月後のGWにひかえ、最初の開催地、東京では会場作りが予定どおりに進み、展示物の大半は太平洋を渡る船にあった。
すべては順調だった。
旧知の仲のスタン・ウィンストンには、早い時期から協力をとりつけていた。
展示用にエイリアン2の「クィーンのコンセプトマケット」と「ウォーリアーの全身レリーフ」、プレデター2の「フルボディ」とT2の「エンドスケルトン」を、オリジナル・モールド(鋳型)から作ってもらうため、彼の提示した製作原価(材料費と人件費)を支払い、契約書も交わしていた。
そのスタンがチョンボをしていようとは・・・。

オリジナル・モールドから抜く創作物は通称プルといい、映画で実際に使う以外は、めったやたらに作られない。
プルとはオリジナルと同じ意味だが、実際に映画の撮影で使われたものを、とくにオリジナル・プロップと呼んで区別する場合も。
最近、サイドショーが商品化しているハイエンドなフルスケールモノなどは、プルをさらに型取りした量産用のモールドから作られるいわゆるレプリカ。
しかしレプリカでは偽物や模造品のように聞こえることから、プロップ・レプリカと呼ぶ人もいる。

イベントで展示したあとは、すべての作品を返却する約束のため、スタンの提示した製作原価は格安だった。
が、運送会社の担当者が引き取り予定日の1週間前に、作品の下見のため彼の工房を訪ねると、ひとつも完成していないことがわかり、慌てて店主のもとに電話をしてきた。
帰国の準備をしていた店主は、もっと慌てた。
スピルバーグから恐竜映画のオファーがきて、突然忙しくなったとスタン。
ジュラシック・パークといって、いままでにないスケールとリアリズムの歴史的な恐竜映画になるから期待してくれとも。
知ったことか!
バッカモン!!
そう、心で叫び、彼の工房へ急行した。
東京会場の展示コーナーに穴を開けるわけにはいかないし、店主の信用にも関わる。
もはや解決策はひとつしかない。
彼が広い工房のあちこちに展示しているオリジナル・プロップを何としてでも借り出すのだ。
そう、彼の工房は、打ち合わせや仕事のオファで訪れる映画人たちをアッといわせようと、自作の怪物クリーチャーのオリジナルが、ドラマチックに展示してあることで有名な場所だった。
モールドが破棄されたために、二度と再び作ることのできない宝であり記念品だと自慢していたターミネーター1作目の、現存する唯一のエンドスケルトンも、この際、T2の代わりに船に乗ってもらおう。
懇願したり、泣きついたりで、最後は店主が勝った。
当たり前である。
契約書だってあったのだ。
そうやって日本に来たスタン・ウィンストンの代表作たちだったが、なぜ生まれ故郷に帰ることなく店主のものになってしまったのか、それにはもひとつ長い話を披露しなくてはならない。
ま、そのうちに。
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T1はT2より、いい顔してる。両者のもっとも顕著な相違は、向こうずねのデザインにある。T2のエンスケを商品化している国内外のフィギュア・メーカーのうち、バリアントを出しているメーカーはなかなか賢い。じつはT1の商品化権がクリアできないため、T2のバリアントを名乗ってT1をこっそり作っているのだ。知ってましかた? 写真は下呂市の倉庫で出番を待つオリジナルのT1である。いまのところ価格未定。


# by tomenosuke_2006 | 2006-07-13 22:39 | プロップ
東5F。
エレベーターを出てすぐ正面中央にある“東5F・ナースステーション”をはさんで、右に6人部屋が、左に個室がつづく。
ナースステーションのうしろにはリネン室、男子トイレ、汚物処理室、女子トイレ、浴室、洗面洗濯室が整然とレイアウトされ、リネン室以外は6人部屋側からも個室側からもアクセスできるようになっている。
建物は古いが、機能的。
男子トイレに洋式(車椅子用)がひとつしかないのをのぞけば、入院生活に不便は感じない。
私の部屋は通路のいちばん奥にあるバストイレ付き特別室の手前、洗面洗濯室の斜め向かいにある。
したがってエレベーターを降りて自室へ行くには、ほとんどの個室のまえを通り抜けねばならず、中にはドアが開け放たれた部屋もあり、いやがおうにも室内の様子が目に飛び込んでくる。
東5Fには腎臓内科以外に、耳鼻科、神経内科、放射線科のさまざまな病状の患者が入院生活を送り、全部で61床のベッドに空きはない。
ある個室は、つめかけた家族が老人の横たわるベッドを取り囲み、騒然とした雰囲気に包まれていたが、いまは落ち着きを取り戻した。
ブルーのチューブをつけた別の老人は、身じろぎひとつせず、いつも顔を窓に向けて横たわっている。
果たしてその人は空を見ているのか、それとも目を閉じているのか、私には分からない。
ベッドのかたわらに吊るされた大きな点滴の袋越しに見える夏の空は、黄色い薬液の色と重なって、異様に重苦しい。
ベッドを取り払い、マットレスを2枚、ならべて敷いた部屋もある。
そこには老夫婦がいるのだが、どちらが病人で、どちらが付添なのか、いまだに分からない。
朝、きまって「痛い、痛い」と悲痛な声を上げる人。
からんだ痰(たん)を吐き出そうと、しじゅう洗面所で咳き込む人。
消灯後の暗くなった通路でしか見かけない車椅子の男性。
その人は他界した父と同じ糖尿病の合併症で壊疽(えそ)を患ったのだろう。
左足が膝下からない。

病院で過ごしていると、いままでとは異なる速度でゆっくりと心が働くようになる。
なぜそんなに先を急がねばならなかったのか。
慌てすぎて見落とした事柄、失ったものがあったことに気付かされる。

痩せ衰えた老婦人を車椅子に乗せ、時間はありあまるほどあるからと、毎日、院内を散歩する紳士。
細い腕で夫を支え、便座に腰掛けさせたあと、すみませんといって男子トイレを離れていったその妻は、あきらかに私と同世代だ。
孤独を垣間見、一方で絆の尊さを知る。
ネフローゼ症候群を治すために来た私だったが、退院するころは、少しは心も改善されているかもしれない。
パルス療法の効果はいまだ劇的にはあらわれず、2度目の療法を施すかどうか、明日の尿と血液検査のあと、決められる。
# by tomenosuke_2006 | 2006-07-12 23:22 | ネフローゼ症候群
商標登録出願完了。
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留之助商店の商標登録の出願手続が完了しました。
もったいぶってヒミツにしていた「取扱商品を総称する造語」ですが、「オブジェモチャ」といいます。
なんか、そんな感じ、しませんか。
# by tomenosuke_2006 | 2006-07-12 13:44 | 留之助商店計画
こんなもの見つけたばっかりに。
店長が小学5年生(およそ43年前)のころのマイブームといえば、第1次アニメブームを背景に続々と発売されたロボット・プラモを集めることだった。
中でもビッグサンダーボーイの迫力は忘れられず、結局は小学生の自分には完成できなかった悔しさから、いまもそのルーツとなったアメリカ版“ロボット・コマンド”を探し出し、完品にレストアするのを楽しんでいる。
ま、ロボット・コマンドの物語は別の機会にゆずるとして、去年あたりから、ロボット小学生を卒業し、モデルガン中学生なったあのころを追体験しているというお話。
きっけは実家の納戸で見つけた紙袋。
中から当時のモデルガン・カタログがざくざく出てきて、夢よふたたび状態に陥ってしまったのだ。
思えば1960年代半ばのモデルガン自主規制時代。
バレルにインサートは入っていたけれど、亜鉛ダイキャストのボディは黒光りして、握れば冷たく、本物はきっとこうだろうと思わせるリアリズムの虜になっていた。
中学生には過ぎた趣味?
せっせと貯めた小遣やお年玉をにぎりしめ、高山線に3時間ゆられて、名古屋のオガワ屋というお店に何度も通った。
オガワ屋では、おもにMGCモノを買った。
帰りは中日シネラマでパリは燃えているかを観たりした。
代金を入れ、二重三重に封をした現金書留と引替えに届けられる通販が、また楽しかった。
MGCが新製品の予告をすると、その発売前にすかさず商品化した上野の中田商店には、お世話になった。
コルトガバメントは味も素っ気もないタダの鉄の塊のような失敗作だったけれど、ルガーP08はトリガーの位置こそ実物とは異なるものの、トグルがガシャンガシャン上下する激しい指アクションで、そりゃぁシビレた。
思えば、実家の2階の子供部屋は、下呂の少年文化の発進基地だった。
しじゅう、部屋は遊びに来た男の子でいっぱいだった。
出張の多いオモチャ好きの父のおかげもあって、弟はGIジョーとミニカー、兄の店主はマテルのエージェントゼロ=Agent Zeroやスナッブノーズ=Snub Noseのあと、モデルガンに到達していた(ヴィンテージ・アメトイはToyNfo.comで検索できます)。
店主のことはおのずとみんなの知るところとなり、真面目なガリ勉野郎や生徒会の役員たちから、モデルガンを集めているというだけで非難を浴びた。
折しも本物そっくりのモデルガンが犯罪に悪用されたりして、物議をかもしはじめたころ。
そして高校3年生のとき(1971年)、とうとうおとずれたモデルガンの暗黒時代、いわゆる昭和46年規制発令!a0077842_2155886.jpg
銃刀法が改正されて、それまでの黒鉄モデルガンの所持が禁止されることになり、なんとオマワリ(敬称略)が黄色のペンキ持参で当家を訪ねて来たのだった。
以来、新しい金メッキのモデルガンを買う気は失せ、黄色の思い出は散逸して、いまに至っていたのだが、納戸にカタログを見つけたばっかりに。
Yahoo!オークションのここらあたりからボチボチ入っていき、遊んでいるうちに、いまではよき理解者にも恵まれ、楽しく意見交換したりしている。
売買は法的に厳禁だから、留之助商店の取扱商品とはいかないけれど、だからこそ店主唯一の、商売抜きでくつろげる密かな愉しみとなっている。
そんなとこです、四国の自称「お百姓さん」。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
# by tomenosuke_2006 | 2006-07-11 21:30 | ムカシモチャ