1960年代アメリカのオッキモチャのこと・その3
●ロボット・コマンド(Robot Command)1961年〜1969年
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ロボット・コマンドの当時ものカラーTV-CMをみて驚いた。
薄紫のボディにスケルトンの頭をしてるじゃないか。
長年、ロボコマ追いかけてきたけれど、こんなの見たことない。
とにかくムショーに欲しい。
絶対、手に入れてやる。
そう思ったのは去年10月のこと。
さっそくアメリカのコレクターに当たってみた。
アメリカにはロボコマ・ファンで構成されるソサエティのようなものが存在する。
壊れたロボコマから使えるパーツを採り出し、リスト販売している人とか、解説書や保証書をオリジナルの紙質にまでこだわり復刻してる人。
中にはロボコマのもっともデリケートで壊れやすい部分、目の玉の回転を制御する細いゴムヒモを専門に売る人もいる。
値段は10ドル。
オリジナルより耐久性にすぐれ、長過ぎず、短過ぎず、絶妙なサイズに調整したものを届けてくれる。
とにかくロボコマがらみで知り合ったアメリカ人全員に、薄紫バージョンを余分に持ってたら譲ってほしいと、手当たり次第にメールした。
と、半日もたたないうちに2人からレスが。
あのTV-CMは1970年に放送されたもので、薄紫のロボコマは試作品だと。
新製品として売り出される予定が結局は商品化されず、ロボコマそのものも1969年のクリスマスをもってアイディアルのカタログから姿を消した。
つまり生産が打ち切られたというのだ。
ホッ、なければないで、むしろうれしい・・・レアだという理由でとんでもない金額を要求されたらどうしようかと、じつは気が気でなかった店主の気持ち、分かる人には分かりますよねぇ。
ロボコマはやっぱりベネトン風、赤と青と黄色の原色コンビネーションにかぎるのだ。
9年間、作り続けられたロボコマは、初年度の1961年版だけ、右胸の"ROBOT COMMAND"のロゴラベルが黒ベタ白ヌキ文字で作られ、あとは赤ベタ白ヌキ文字に変更された。a0077842_9144154.jpg
という理由で初年度版がインナー(緩衝材)付きオリジナルパッケージに入り、ロケットミサイル2本、ミサイルボール8個、解説書と保証書が付属し、さらに販売店向け修理マニュアル(左の写真)でもオマケに付いたなら、もはや恐ろしい値段になってしまう。
ちなみに修理マニュアルはロボコマ生誕40周年を記念して、2001年にソサエティのメンバーが復刻版を100部だけ限定出版したが、いまではそれだけで150ドルの値がついている。
以上はいまのアメリカでのロボコマ事情だが、かつて1960年代中ごろ、日本へもロボコマの波が押し寄せていたのだった。
第一次アニメブームに乗ってアトムや鉄人28号や8マンや、ときにはロボットキャラではない“のらくろ”や伊賀の影丸まで、もはや手当たり次第にロボットプラモ化していたイマイが、アメリカで大ヒット中のロボコマの権利を手に入れ、日本向けに改名して、その縮小版(日本の住宅事情を考慮した?)を2種類発売したのである。
まず大きい方がビッグサンダー。
本家のおよそ2/3のサイズで、本家と同じアクションを、マイクロフォンのギミックなしのふつうのリモコンで操作する。
小学5年生だったか、6年だったか、店主もビッグサンダーの組立てに挑戦したが、難しすぎて完成できなかった。
もちろんロボコマの存在をまったく知らない当時の店主だったが、他のイマイのロボットプラモにはない毛色のちがい・・・今風にいえばアメリカン・ポップな香りを感じとっていた、ような気がする。
ビッグサンダーは動かなくても特別で、子供部屋のいちばん目立つ場所に飾ったのだった。
もうひとつ、ビッグサンダーのさらに縮小廉価版としてベビーサンダーが作られた。
モーターで走り、ミサイルの発射は手動、両腕の付け根の黄色いパーツは省略されて赤と青のツートンカラーとなり、見るからに貧弱な子だった。

●キング・ザー(King Zor)1962年〜1964年
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ロボコマと同じアイディアルから発売されたキング・ザーは、口語体で発音すれば、キンザーである。
キンザーはキャスティングされた緑色のプラスチックのからだに、黄緑色のセルロイド製手足を持つロボット恐竜。
アメリカ征服を企てるマッドサイエンティストが発明した、らしい。
攻撃用の銃と吸盤付きのダーツが8本付属して、当時の値段はロボコマの14ドル97セントよりわずかに安い12ドル63セントだった。
が、現在では生産数がはるかに少なかったことと、セルロイドの手足が壊れやすく、簡単には完品を見つけられないという理由で、程度のいいキンザーにはロボコマ以上のプレミアがつく。
当店の販売価格もハンパじゃなく、ここで口にするのもチョットネーである(興味のある方は直接お店までご連絡を)。
箱付き完品と、箱なし完品と、付属品なしのキンザーのみとでは、現在のアメリカでの取り引き価格にそれぞれ500ドル以上の差がつく。
つまりパッケージだけで500ドルするということ。
笑ってやってください、店主はその劣化した段ボール箱のみに600ドル、送料50ドル、日本円でしめて78000円も払いましたとさ。

グレート・ガルーとビッグ・ルー
# by tomenosuke_2006 | 2006-10-12 09:46 | ムカシモチャ
コーヒーブレイク。
「多難でおかしなオモチャ屋さん開業への道」というサブタイトルのこのブログ、9月末にどうにか開業に漕ぎ着けたってこともあり、友人のひとりが「多難でおかしなオモチャ屋さん“成功”への道」に変えたらとアドバイスしてくれた。
けれど、ま、このままいくことにします。
成功なんていう言葉は肩の荷が重すぎるし、細く、長く、オモチャ屋の店主が続けられたら、それで十分。
初心を忘れないという意味も込めて、“開業”のままにしておきます。

それにしてもオモチャ屋きっかけではじめたブログを、仕事そっちのけで楽しんでる。
もはや本業(飛騨地区でいちばん忙しいお弁当屋がキャッチフレーズです)を放ったらかし、じつはオモチャ屋の店番も店長君にあずけて、暇さえあればブログしているかシーズンVの24、観てるか。
ブログという表現メディアが、かつて文章書いたり、本を編纂し、いまも創作意欲だけは衰えずにいる私にとっては、この上なくラクチンな場所なのだ。
締め切りがない。
文字数に決めがない。
カテゴリは雑誌にたとえれば複数の連載を受け持つような感じ。
好きなことを、好きなとき、好きなだけ書ける。
さらに都合がいいのは、アップロードしたあとでも書き直しがきくということ。
出版に関係していたころ、いつも締め切り間際まで改稿を繰り返したものだった。
映画の情報(技術的な事柄を含む)を扱っていたし、読者には手強いマニアが大勢いたから、何度も読み返し、間違いはないか、誤解をまねくような言い回しをしてないか、点検に次ぐ点検が当たり前になっていた。
それでもあとの祭りなんてこと、後悔することもしばしばだった。
ひきかえブログは、こっそり訂正できるし、実際、しじゅう手を加えている。
精神の解放区・・・なんて大袈裟なものではないけれど、ここではだれも私を取り押さえることはできない。
俺が法律なのだ!?
たったひとつ、1回のブログにアップロードできる画像が500KBまでという制約をのぞいては。

そんな自由なブログだから、1960年代アメリカのオッキモチャ関連で言いそびれたというか、話がどんどん横道にそれそうだったので遠慮してたこと、ここで書いておきます。
というのは“スター・ウォーズ”のジョージ・ルーカスがそれよりもまえの1973年に発表した映画アメリカン・グラフィティの時代と時代観について、少々。
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映画の冒頭だったかどこかで、こんなセンテンスが出てきた。
Where were you in '62 ? = 君は1962年、どこにいた?
ビル・ヘイリーとコメッツのロック・アラウンド・ザ・ロックにはじまり、ぜんぶで41曲のロックンロールが途切れなく繰り出されるその映画は、ファッションといい、クルマといい、カリフォルニアの風景といい、どれをとっても憧れのフィフティーズそのもの。
本当は60年代に入ってからのお話だったということを、忘れてしまいそうになる。
けれど50年代の文化風俗というものは、なにも1960年1月1日をもって衣替えとなり、クローゼットの奥に片づけられてしまったわけではない。
当然、新たなディケード(10年間)を迎えても、カーラジオからはきのうと同じヒット曲が流れ、ドライブインではチェリーコークがよく売れて、ソックホップ・パーティにナンパにシグナルレースが繰り返されていた。
むしろ華やかで活気に満ち、夢に溢れて、未来に何のかげりも感じないでいたフィフティーズの終焉は、ケネディ大統領の死の前後、ベトナム戦争が他人事でなくなった1963年ごろにおとずれたとみるのが正しいだろう。
1962年の卒業シーズン、カリフォルニアの小さな街で繰り広げられる若者たちの一夜の馬鹿騒ぎには、だから意味があったのだった。

そういう点からも60年代アメリカのオッキモチャの中でも、ロボット・コマンドを除くグレート・ガルー、キング・ザー、ビッグ・ルーたちは、むしろフィフティーズの精神によって生を授けられ、ゆえに短命で終わった不運の子だった。
アメリカン・グラフィティの主人公たちに弟がいれば、きっと買ってもらっていたにちがいないオッキモチャ。
もしいま実物を手にする幸運にめぐり合えたなら、アメリカン・グラフィティのDVD流すか、CD聴きながら、愛でてやってほしいと思う。

えっとー、留之助商店ではその幸運、売ってまーす。


# by tomenosuke_2006 | 2006-10-10 22:00 | TV・映画・ビデオ
1960年代アメリカのオッキモチャのこと・その2
ロボット・コマンドは見るからに未来的なロボット戦車風だったが、一見、アラジンの魔法のランプから出てきたようなグレート・ガルーもまた、SFキャラとして少年たちの前に登場した。
SF映画の巨大モンスターが従順なしもべに生まれ変わり、思いのままにコントロールできるようになった、というのがキャッチフレーズ。
TV-CMはグレート・ガルーが街を破壊するシーンで幕を開け、かわいい兄妹が遊ぶ子供部屋へとカットバック、そのしもべぶりを披露する。
得意技は上半身を前に折って物をつかみ上げたり、両手で物をつかみ、運ぶこと。
実用化された最初の家庭用執事型ロボットといえる、かも。
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翌年、1962年のクリスマスにはロボット・コマンドのアイディアルが追い討ちをかけるように全長68センチのロボット恐竜、キング・ザーを投入してきた。
前作ロボット・コマンドが少年の命令のもと、各種兵器を繰り出し戦うという戦友型だったのに対し、新作キング・ザーは敵対型。
背中から打ち出されるミサイルボールの攻撃をかわしながら、専用の銃で尻尾の先の赤い標的を狙い撃つ。
みごと当たれば方向を変えて退散するという、ゲーム性が色濃く反映された製品だった。
ロボット・コマンドとキング・ザーの猛攻を浴びたグレート・ガルーのマルクスは翌1963年、これでもかの大物、高さ96センチ(ロボット・コマンドのおよそ2倍の背丈)のビッグ・ルーを発表した。
キャッチフレーズは、月から来たお友だち。
複雑なメカは一切搭載されず、電池は目玉の豆球を点滅させるのみ。
手動でタマやロケットを飛ばしたり、マジックハンドと同じ仕組みの右腕を操り物をつかみ取る。
トーキングボックス内蔵で、背中のクランクを回すと自己紹介するところが、唯一、すぐれていた点といえるだろう。
が、あまり売れなかった。
ビッグ・ルーをねだる子供が、ことのほか少なかったのだ。
ニヤニヤした顔の実物を見れば、分かる気がしないでもない。

4大オッキモチャが出そろった1963年のクリスマス。
街のオモチャ屋やデパートの売り場は、いままで以上に充実して、活気に満ちあふれるはずだった。
a0077842_1158264.jpgが、そんなわけにはいかない暗くて重い空気がアメリカをおおい、多感な少年たちはこれまでとはちがう時の訪れを意識したのだった。
クリスマスをひかえて街が華やぎはじめた1963年11月22日、テキサス州ダラスで大統領就任2年目の若くてパワフルで正義感旺盛なあのケネディが、凶弾に倒れたのである。
アメリカはこの日を境にベトナムへの軍事介入をさらに強硬に推し進めるようになり、アナーキーな時代へと突入していった。
もはやそういう時代にファンタジーは不要となった。
従順なグレート・ガルー、敵というにはチャーミングなキング・ザー、月から来た友人ビッグ・ルーは、まもなく市場から消えていった。
ケネディが大統領として人生を送ったと同じ時期にオッキモチャは生まれ、短い生涯を閉じることになったのである、奇しくも。
一方、兵器として十分役目を果たすロボット・コマンドだけは1960年代の終りまで作り続けられ、戦車や軍艦などの即物的で夢の乏しい新たなオッキモチャといっしょに売られたのだった。
つづく。

年をとると、いろんなことをつい時系列で考えてしまうようになり、たかがオモチャの話が固くなってしまいました、失礼。
次回、最終回は4大オッキモチャの、もっと商品に即したネタを紹介するつもりでいますので、よろしく。
とかいいながら、さらに古風といわれるかもしれませんが、本ブログで話題にした映画タイトルなど書き添えて、1960年代の年表を作ってみました。
よかったら見てください。
店主の少年時代は、こういう時代だったんだぁと、あらためて納得。
(グレーの文字は世界の出来事、茶色は日本、緑は映画TV、赤はオッキモチャです)

1960年代年表
# by tomenosuke_2006 | 2006-10-09 12:26 | ムカシモチャ
1960年代アメリカのオッキモチャのこと・その1
以前、ムカシモチャのカテゴリでスパイモチャについて3回ほど続けて書いたことがあったけれど、その結び“スパイモチャ/その3/ナポソロもの”で「スパイモチャからオッキモチャへ、店主の玩具道は果てしなく続く」みたいなこと言って、そのまんまにしていたことを思い出した。
で、続きを。
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留之助商店には“ならでは”の品物がいろいろあるけれど、たとえば1960年代アメリアの4大オッキモチャをつねに在庫している店など、うち以外、日本のどこを探してもないはずだ・・・なんて大見得切っても、そもそも4大オッキモチャなんていう概念は、いまのところ岐阜県高山市本町3丁目44番地でしか通用しないと思われる。
1960年代当時、つまり店主が少年時代の海の向こうのオッキモチャは、単に大きいとうだけでなく、あらぬ造形で、存在感が並ではないところがよかった。
ベアブリックの1000%(高さ約70センチ)や20インチ・ダニー(高さ約50センチ)も、彼らの個性のまえではひれ伏すしかないのだ。
当店にはわずかにブリキ製のビンテージトイもあるけれど、ブリキノモチャは店主的にはすでに終わったと見なしている。
プレスよりはキャスティングにつきる。
高度で柔軟な表現力を有した化(バケ)学素材のプラスチックやソフビでできたキャスティング(鋳造)製品の方が店主の好みだし、そういう点からも60年代オッキモチャこそは、当時の新素材“プラスチック”によるかつてない色彩と形状と質感を得て、オモチャの新時代を体現したのだ。
デザイナーズトイの原点、オブジェモチャのご先祖さまなのである、絶対的に。
その大きさからいっても、彼らは単なるオモチャにとどまらず、ペットか家族の一員として迎えられるよう企画された。
たとえばマテルやヒューブレーのトイガン握って西部劇ごっこするのではなく、いっしょに暮らすオモチャ。
男の子が抱きかかえても、連れ歩いてもおかしくない、だけでなく、ひときわ目立って注目を集めるに十分なサイズ。
そういうオッキモチャが1960年代はじめに4種類、誕生したのだ。
それがロボット・コマンド、グレート・ガルー、キング・ザー、ビッグ・ルーだった。
(ロボット・コマンドは当店ホームページのトップに、グレート・ガルーは当ブログ右下のネームカードに、キング・ザーは同じく当ブログ右上のロゴに引用してます。それくらい好きってこと?)
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TV-CMから。左よりロボット・コマンド、キング・ザー、ビッグ・ルー。

最大手のマテルが女の子用にバービーを、男の子用にシューティングシェルのトイガン(ムカシモチャのカテゴリで紹介)を大ヒットさせていた1960年代はじめ、アイディアルとマルクスという二番手を競うライバル・オモチャメーカー2社が、男の子向けに投入してきたのがオッキモチャだった。
アイディアルからは高さ46センチのロボット・コマンドが、マルクスからは57センチのグレート・ガルーが、まず1961年のクリスマス・シーズンにデビューした。
1961年といえば、ジョン・F・ケネディが第35代アメリカ合衆国大統領に就任し、近年で最も偉大な大統領就任演説を披瀝した年でもある。
「祖国があなたに何をしてくれるのか尋ねるのではなく、あなたが祖国に何ができるか自問してほしい」
オットット、きどうしゅうせい、軌道修正。

ロボット・コマンドは、君の命令どおり動く。
さぁ、マイクロフォン・リモコンに語りかけよ。
前進、右旋回、左旋回!
ミサイルボール発射、ロケット発射!
目玉がつねに渦巻き回転しているのは、敵を見逃さないため。
後退のメカニズムは搭載されていない。
なぜならロボット・コマンドは決して敵に後ろ姿を見せないのだ。
(TV-CMのナレーションから抜粋)

マイクロフォン・リモコンに向かって語りかけるというのは、厳密にはマイク(のカタチをしているだけ)に向かって息を吹きかけ、マイク内部の薄い金属板を動かして、電気回路の開閉を操作することにほかならない。
マイクロフォン・リモコンとロボットは、ロボット内蔵の駆動用モーター直結の電線と、さらに1本、カメラのレリーズのようなワイヤーでつながれ、そのワイヤーのプッシュ&プル操作でロボットに組み込まれたメカニズムのギヤを切り替え、すべてのアクションを制御する。
実態はスーパーロウテク、けど思い通りに動かすには慣れとコツを要した。
値段の14ドル97セントは、当時の家庭用21型テレビが150〜200ドルしたことを思えば、けっして安いとはいえないが、爆発的に売れた。
平和なアメリカのいたるところで、ロボット・コマンドの操作を競い合う少年たちがいた。
中には、将来、ベトナムの戦地へ駆り出されるとも知らず、マイクロフォン・リモコンに向かって「ミサイル発射!」と声を張り上げていたあどけない少年も。
そういう時代だったのだ。
つづく。
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A Boy and his Robot Command/1962年の写真


# by tomenosuke_2006 | 2006-10-09 00:29 | ムカシモチャ
キッドロボットの新作、ウェスタンもの。
初公開時はもちろん、リバイバルのときも映画館に足しげく通い、その後もビデオやDVDを買い、いやっていうほど繰り返し観てきたマイ・フェヴァリット・ムービー。
寝るまえにつけたWOWOWで偶然やってたもんだから、つい最後まで、ぼんやり付き合ってしまった、昨夜のこと。
これって、ヒマだからという理由では絶対ないと思うのだけれど。
あなたも、そんな経験ありませんか?
DVD持ってるんだから、その気になればいつでも観られるというのに、たまたまTVでやってたというだけで、観てしまう。
新作と対面するときのような胸の高鳴りなどいまはなく、どんなに起伏に富み、危険で緊迫した場面が連続しようとも平気、何も期待しない、いつでもトイレに立てる。
電話がかかってきたら、迷うことなくボリュームを下げるか灯を落とすことさえできる。
観なくてもすむけれど、でも、あれば観る。
べつにお腹が空いてるわけでもなければ、どうしてもそれを食べたいというのでもない、そこにあったからムシャムシャしまいまで食べてしまうかっぱえびせんのような感じ、ようするに生理的。
理屈抜きの、むしろ感覚や本能に従い観る映画。
前置きが長くなってしまったけれど、そういうマイ・フェヴァリット・ムービーの1本が昨夜のワイルドバンチ(↓ 店主高校1年生の1969年公開)なのだった。
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バイオレンス映画の巨匠サム・ペキンパー監督作品。
西部劇の最高傑作とか、最後の西部劇といわれているが、店主にとっては、もはや、かっぱえびせんの如き映画である。
ワイルドバンチは当時乱作されていたマカロニ(イタリア製)ウェスタンを蹴散らす本家アメリカの最終兵器だった。
高1の店主にとっては、それよりもまえに公開され、マカロニ・ウェスタン・ブームの火付け役となったセルジオ・レオーネ監督&エンリオ・モリコーネ音楽&クリント・イーストウッド主演による“荒野の用心棒”(1964年)と“夕陽のガンマン”(1965年)と“続・夕陽のガンマン”(1966年)の、もっとも重要なマカロニ3部作を初公開時に見逃し、サントラ聴いて我慢するばかりだったから、ますます“ワイルドバンチ”に取り憑かれたというよりは取り憑いたのかもしれない。
そんな3作品のうち、リバイバルだったかTVだったのか、いまでははっきりしないのだけれど、最初に観たのが“続・夕陽のガンマン”である。
原題The Good, The Bad and The Ugly(善い奴、悪い奴、汚ない奴)のとおり、3人のガンマンの物語。
善い奴(とはあまり思えない)がイーストウッド、悪い奴がリー・ヴァン・クリーフ、汚ない奴がイーライ・ウォラックという絶妙の三角関係で、銃を頼りに大金を奪い合う見せ場たっぷりのアクション大作。
絵付きでモリコーネの音聴くのも、また格別だった。
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もうじきキッドロボットから届く荷物の中に、これがシリーズ10作目のキッドロボット3点セット(各800個限定)がある。
じつはこの新作、ウェスタンのコスチュームに身を包み、その名もThe Good, The Bad and The Ugly・・・“続・夕陽のガンマン”のタイトルをいただいているのだ。
デザイナーはおなじみのホアック・ジー。
映画の3キャラをモデルにしたというよりは、西部劇ごっこを楽しむかわいい少年のよう。
例によって付属のアクセサリー類も手が込んでいて、早くイジってみたい。
日本ではまだまだ無名のこのシリーズだが、当店ではシリーズ3と4(それぞれ1種類ずつ)以外はぜんぶ在庫している、いまのところ。
古いシリーズはレア過ぎて、これから見つけるのは至難の業だ。
あったとしても、プレミアがついてあまりにも高額。
やっぱり限定のオブジェモチャは発売時に買うのがいちばん賢いのだと、ついセールストークになってしまう商売熱心な店主なのでした。
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いまではけっこうなボリュームに成長したキッドロボット・シリーズの紹介、近いうちにさせていただきます。
強硬で、魂に刺さるような本物の映画・・・何度でも繰り返し観たくなるような映画になかなか巡り合えないばっかりに、いつの間にかオブジェモチャ仕入れることが、かっぱえびせんと化したこれまた商売熱心な店主でした。
余談ですが、アメリカではマカロニ・ウェスタンのことをスパゲッティ・ウェスタンっていうの、知ってました?
# by tomenosuke_2006 | 2006-10-07 10:28 | イマモチャ
とくにワタクシゴトですので・・・。
恒例のネフローゼ症候群の経過報告です。
オモチャ好きでこのブログをのぞいていただいてるお客さまには私事で大変失礼かと存じます。
恐れ入りますが、無視してください。
飛ばしてください。

本日10月5日は月に1度の診察日。
いつものように尿と血液検査のあと、小田先生の診察を受ける。
が、ちょっとヘマしてしまった。
じつは腎臓内科の外来窓口で診察券と予約券を出すと、まず、検査室へ持参するための書類などを入れたビニール袋を渡される。
それを持って廊下に描かれた黄色の線の先にある検査室窓口へ。
そこでビニール袋の中身がチェックされ、しかるべき血液検査室を指示されて、壁際に長椅子がならぶ廊下でしばらく待つ。
検査室は2室。
それぞれの部屋で3人の検査技師が、3人の患者を手際よくさばく。
それでも廊下の5つある長椅子は自分の番を待つ人でびっしり埋まり、次々に入れ替わり、立ってる人、車椅子の人も加えれば、血液検査を待つ人の数はつねに20人を下らない。
いつもながらここ県立岐阜病院へ来るたびに、世のヤマイビトの多さに驚かされてしまう。
血液検査のあと、男子便所に移動して紙コップに中間尿(出た直後でもなければ、出終わる直前でもない、その中間のおいしいところ)を入れ、所定の場所に置いたら、例のビニール袋を持って、さっきの腎臓内科の待合室へ戻ることになる。
戻って待つこと1時間半。
予約時間をとっくに過ぎたというのに、まだ名前が呼ばれないのだ。
いくら混んでるからって、これは何かの間違いだろうと業を煮やして窓口まで出向き、まだ呼ばれないんだけれどもと遠慮気味に尋ねてみる。
と、その持ってるビニール袋をいただかないことには、と教えられ、チョイ赤面。
きょうがはじめてじゃあるまいし、けれど、なかなか病院の仕組みが身に付かないのは年のせい?
いや、ずっと健康で、病院の世話になることなど何十年もなかったから!

尿タンパク= +2(健康体は±0)
血中タンパク= 5.6(健康体は6.5〜8.0)
血中アルブミン= 2.8(健康体は3.9〜4.9)
尿タンパクは横ばいだが、血中の方は若干数値もよくなった。
同じくアルブミンも。
夏まえ、入院直前の最悪の時期の検査値(血中タンパク=3.4、アルブミン=1.4)と較べれば相当よくなっている。
薬が効いているというわけだ。
ネフローゼ症候群の中でも膜せい腎症と診断された私は、薬で寛快(かんかい=完全に治るという意味で、小田先生からはじめて聞いた言葉)するタイプでもなければ、薬が効かないまま悪化し、ついには人工透析を強いられるタイプでもない。
その中間。
食生活に気を遣い、尿や血液の数値をチェックしながら、徐々に薬を減らしていくのが唯一の治療法なのだ。
全面的に薬を絶つことはできないらしい。
朝食後5mg×4錠だったステロイド剤のプレドニン錠が1錠減った。
毎食後1錠だった尿タンパクを減少させる効果のある腎臓病薬コメリアンコーワがなくなった。
かわりに免疫抑制剤プレディニン錠を朝夕食後1錠ずつ飲むことになった。
このプレディニン2錠はプレドニン1錠とコメリアンコーワ3錠のかわりのようなもの?
トータルで2錠減ったことを、とりあえず喜ぶことにしよう。
ほかにも血圧を下げるプログレス錠を朝食後に1錠、コレステロールを下げるリバロ錠を夕食後に1錠、胃の粘膜を修復するセルベックスカプセルを毎食後に1錠を入院時から飲み続けている。
2錠減ったとはいえ、いまだに1日合計10錠もの薬を飲まなければならないというわけ。
口にしたくない言葉だけれど、薬漬けってことです。

それよりも気になってしかたないのは、最近、顔が丸くなったような。
はじめは浮腫みかと思ったけれど、腎臓の調子はいいわけだし、とうとう来たかと小田先生に聞くと、そうですね、そろそろ症状が出るころでしょう。
ステロイドを長期にわたって大量に服用していると起きる副作用・・・かんべんしてのムーンフェースが始まっちゃったのだ。
どこまで膨らむんだろう。
ここらで止まれば、いい感じなんだけど。
見分けがつかなくなったら、どうしよう。
そのときはジィちゃんの名前の留之助に改名することにします。
# by tomenosuke_2006 | 2006-10-05 23:57 | ネフローゼ症候群
ホームページ、更新しました。
トップページ→デザイナーズトイ→ミスター・ビスカップとたどってみてください。
ティム・ビスカップ作のフィギュアなど、21点がご覧いただけます。
ただし、16のYETI QEE(300個限定)と17のYETI GLOW QEE(100個限定)は今月末の入荷になりそう。
いまのところ、価格等のお問い合わせやご注文は、お店までメールか電話でご連絡いただくしかございません、すみません。
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# by tomenosuke_2006 | 2006-10-04 20:34 | 留之助商店計画
ヒストリー・オブ・バイオレンス
a0077842_1121678.jpg昨夜観たDVDのこと、つい書きたくなったので、とりあえず自己紹介のカテゴリに入れることにします。

何気に借りてきたDVDを観始めたら、なんと監督がデイヴィッド・クローネンバーグときた。
おととい10月2日、レドラム・ダニーを紹介したついでにTV版シャイニングの監督ミック・ギャリスのことに触れたけれど、そのときクローネンバーグの名を出した。
そしたら借りたDVDヒストリー・オブ・バイオレンスが、偶然クローネンバーグの新作だったと。

いまでは単なる中年の映画好きでしかない店主は、とくべつ映画情報をチェックするわけでもなく、家内から日経MJで仕入れた映画やDVDのランキングを上の空で聞く程度。
高3の娘が映画好きで、たまに彼女からオススメの映画を教わることも。
たとえば、有頂天ホテル。
観たい映画は、なんとなく面白そうという理由で選ぶことが多く、むかし入れ込んだ監督を追いかけるパワーなんて年取るごとに薄らいで、いまでは皆無にひとしい。
だからこそ、予備知識ゼロのままジャケットの解説文もまともに読まないで借りたDVDが、最近ブログで名を出したクローネンバーグ作で、しかも久しぶりにジックリ面白かったりしたものだから、黙ってはいられなくなった次第。

といってここで映画紹介のまねごとしたり、評論する気はない。
ま、観てちょーだい、凄いから。
“スゴイ”じゃなくって、漢字の“凄い”がぴったりの映画なのである。
ひっそりとした佇まいながら強烈であり、不愉快と浄化、憎悪と愛が表面張力のごとく緊張し合う。
1976年の“They Came From Within=人喰い生物の島”をはじめて観た時の衝撃から30年。
途中、クローネンバーグ作品が店主のたしなみとは別の味付けで料理されるようになり、裸のランチからこっち、あまり気にとめなくなっていたが、まさに“ヒストリー”は“人喰い”の監督が正しく、美しく、年を重ねた結果の映画だと感心させられた。

絵がないのもさびしいような気がしたので、左に1980年代に講談社から出版された店主のヒストリー・オブ・SF映画(フィルム・ファンタスティック)の表紙を並べてみた。
イラストレーターの杉山真さんにお願いして描いてもらったバタ臭い表紙絵は店主のお気に入りで、たとえば70年代後半に作られた“人喰い”はハン・ソロの表紙本に収録されていると、即答できるところなどは、やっぱり著者ならではというか、エクス(元)マニアの面目躍如である。

そのクローネンバーグとは超能力合戦映画“スキャナーズ”完成直後の1980年、はじめてミックの紹介で会い、それからも“ビデオドローム”がはじまるまで、彼がLAに来たとき(当時はカナダのトロント在住)何度かミックに誘われてランチしたりした。
そんなある日、クローネンバーグから「今度の映画で君の名前を使っていいか」とたずねられ、「ドーゾ、ドーゾ、ユーアーウェルカム」と答えたものだ。
で、待ちに待った“ビデオドローム”の試写の日。
ハハーン、ウ?
店主のファーストネームのシンジを名乗るキャラは確かに出てきたが、なんと日本人のつまらないポルノビデオのセールスマンじゃん。
情けないやら、でも、うれしいやら。
その“ビデオドローム”は、どの本に入っているかというと、もちろん答えられます。
いちばん下の狼男アメリカン。

おっと、現実的な話をひとつ最後に。
クローネンバーグ関連といえば、メディコムから発売された裸のランチのバグライター1個、留之助商店で在庫してます。
去年の1月、香港に住むお友だち、野中りえちゃんの案内で行ったオモチャ屋で見つけ、日本へ逆輸入したヤツ。
香港情報満載のりえちゃんのBLOG版香港中国熱烈歓迎唯我独尊に、店主の買い物風景紹介されてます。
ガレキのミニチュア・バグライターの完成モデルもあります。
よかったらどーぞ。
ショーバイ、ショーバイ。
# by tomenosuke_2006 | 2006-10-04 15:04 | TV・映画・ビデオ
M.O.D. ダニー。Nさんのコメントへのレスをかねて。
Nさん、とうとうダニーを養子にされましたか。
ひとりぽっちはさびしいですから、またひとり別のお洋服着た子を、さらにちがう顔の子をと、どんどん兄弟、増やしてやってくださいね。
ところでベースマン父さんの赤いダニーは通称M.O.D. と呼ばれ、去年2005年の秋、このシリーズではいちばん多い3000個限定でリリースされたものです。
その少しまえの夏、SDCC限定版の黒バージョンが300個だけ会場で売られました。
ちなみに当店には、そのコミコン会場で行われたベースマン父さんのサイン会で入手したサイン入り黒M.O.D.の在庫もございます、念のため・・・。
ついでですからM.O.D.の意味などについてご紹介させていただきます。
M.O.D.とはManifestation of Desireのイニシャル。
“願望の現われ”とか“願望の出現”とでも訳せばいいでしょう。
ベースマン作品の特徴に“表裏一体”というのがありまして、つまり表面的な愛くるしさと、内なる欲望やセックスへの願望を同時に表現するというもの。
にいぜきさんのおっしゃるエッチな感じこそ、M.O.D. ダニーのダークサイド。
ベースマン作品の、いちばん“らしい”ところなんです。
一粒で二度おいしいM.O.D. ダニー・・・店主のツボにピタッときてます。
もひとつついでに、ベースマン作のWHITE BEAR QEE(写真右)も紹介しておきますね。
ますますエッチ?
ダークサイドが下腹部に顕著にあらわれております。
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# by tomenosuke_2006 | 2006-10-04 09:39 | イマモチャ
レディ・キロワット
留之助商店のショーウィンドーの中で1日中、けなげに発光しているネオンサイン、レディ・キロワット君について、電話やメールでお問い合わせいただきました。
「ありゃ、なんだ?」っていうのから、「おいくら?」まで、いろいろ数件。
この場を借りてお答えします。
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日本ではジッポーライター・ファンのあいだでけっこうポピュラーなのが、このレディ・キロワット。
彼の顔をプリントしたライターなどが、レディキロなどと呼ばれたりしているみたいです。
レディとは女性のLADYではなくて、赤みがかったという意味のREDDY。
生まれは1925年。
アラバマ電力会社に勤めるアシュトン・B・コリンズ氏が仕事帰りに物凄い落雷を目撃、まるでその光が人の手足のように見えたところからレディ・キロワットを発想しました。
イナズマのからだに、ゴムの手袋とブーツ、電球の鼻と電気コンセントの耳。
翌年の1926年にフィラデルフィア電力が最初のライセンス契約会社となり、数年のうちには全米の200社をこえる電気施設会社がそれに加わり、愛嬌たっぷりのレディ・キロワットを看板やノベルティなどにあしらい、電気の普及につとめました。
そう、1920年代のこのころというのは、アメリカの一般家庭に直流電気のコンセントが普及し始めた時期で、ラジオやさまざまな電化製品の第一次ブーム。
レディ・キロワットといえば、モダンな電化生活を象徴するアメリカの代表的キャラクターだったのです。
1930年代にはコミックヒーローとなり、1940年代にはReddy-Made Magicという電気の歴史をたどる映画で主役をつとめ、1950年代にはその続編ともいうべきMighty Atomが作られました(何でも知りたい店主ですが、この種の映画を観る機会にはまだめぐり合ってません)。
余談ですが、1950年代には革命政権のカストロ首相によって、レディ・キロワットのキューバでの使用が禁止されたことがあったとか。
あまりにも敵国アメリカ的だという理由だったそうです。
で、当店のレディ・キロワット君は1940〜50年代製。
お客さんが訪れる電力会社のオフィスやショールーム用に手作りされたものです。
高さはちょうど大人の身長ぐらいで、表面はホウロウ仕上げ。
メタルワークも素晴らしく、むかしはアメリカにもこんなに細かい職人仕事をこなす人がいたんだなと感心してしまいます。
お値段の方は3,150,000円、消費税込み、配送料別となっております。
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店主大好きのゲーリー・ベースマンがレディ・キロワットを引用(右上)した作品を発表しています。
好みがどこか共通しているようで、うれしいような。
原画は高すぎて、機会もなくて、いまのところ手に入ってませんが、2年前に出た50部限定のポスターはしっかり確保してます。
いずれお店に出す予定です。
# by tomenosuke_2006 | 2006-10-03 11:18 | ムカシモチャ