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小松左京先生がお亡くなりになりました。
日本SF界のドン、小松左京先生が7月26日午後4時36分、肺炎のためにお亡くなりになりました。80歳でした。
1980年に店主がLAへ引っ越し、SF映画三昧の日々が送れたのも、太っ腹な小松先生のご支援があったからこそ。
ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

小松先生とのご縁について書かせていただいた過去ブログ
8ミリ映画上映会のお知らせ/前編→http://tenshu53.exblog.jp/5370833
8ミリ映画上映会のお知らせ/後編→http://tenshu53.exblog.jp/5484305
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by tomenosuke_2006 | 2011-07-28 18:28 | TV・映画・ビデオ
8ミリ映画上映会のお知らせ/後編
2007-04-06の記事のつづき。
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1970年代に店主が集めた8ミリや16ミリのSFホラー&ファンタジー映画コレクションの希望売却価格は1000万円。
ちょっと借金もあったし、フィルム・コレクションを売っ払ったお金でそれを返し、きれいなからだで渡米したかった。
それに奇想天外社から出すことになった映画本『超SF映画』の写真資料集めにも資金が必要だったし。
1ドル220円の時代、首尾よくフィルム・コレクションが売れたとして、もろもろ差し引いて残りをUSドルに換算すると約3万ドル。
まだ原稿料で食べていけるような稼ぎはなかったから、アパート借りて、中古のクルマ買って、芽が出るまでの生活費のことまで考えると、けっして十分な額じゃない。
1970年代終りごろの1000万円は日本ではけっこう価値があったけれど、アメリカじゃ100円ライターが1ドル、つまり日本で100円のものを買うために、あっちでは220円も払わなきゃならないということ、超円安ドル高、有り体にいえば日本の2.2倍の生活費がかかるという厳しい時代だったんだよ。
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手塚治虫先生からは直接電話をいただいた。
マネージャーの松谷(現・手塚プロダクション代表取締役)さんには内緒だよと念を押され、900万円なら出せるって。
そのことを奇想天外社の曽根編集長に話すと、すかさず小松左京先生の知るところとなり・・・じゃぁオレが950万出そうじゃないか。
あっという間に商談は成立、数日後、小松先生ご指定の赤坂プリンス・ホテルへ集金に伺うことになったのだった。
1970年代の終りといえばSWの大ヒットで、映画を問わず、SFと名のつくものはすべて脚光を浴びた狂騒のSFバブル時代。
店主のような駆け出しでも、一夜にしてSF映画評論家と呼ばれるようになったくらいだもんね。
日本SF小説界のドン、小松先生の鼻息きわめて荒く、勢いはスターデストロイヤーなみ、ホテルのラウンジでひといきSF資料館の構想をお聞きして、さて集金の段になると・・・930万にまけとけや。
ぐうの音も出ないというか、店主、ブロッケード・ランナーになった気分、小松デストロイヤーにいとも簡単に呑まれちゃったのでした。
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予定よりいくらか目減りはしたけれど、LA生活をはじめる軍資金はできた。
『SW/帝国の逆襲』が公開された1980年の夏、『超SF映画』を出版すると、すぐさまLAへ。
越したその年にSWの1作目が初めてビデオ化されて、これまた歴史的な売上げを記録した。
するとその成功が引金になったのかなぁ、次から次にいろんなタイトルのビデオソフトが発売されて、いっきに8ミリ・ホーム・ムービーの時代は終焉を迎えたのだ。
店主、ほっと胸を撫で下ろす。
だって、もしフィルム・コレクションを売ろうと思いたったのが半年遅れていたら、ビデオソフトの出現で誰も相手にしてはくれなかったでしょ。
それより何より、つねに未来を予言するような傑作を発表しつづけてきた漫画と小説の2大巨頭が、つい半年先の映像文化に起こる大変革をこれっぽっちも察知できなかったんだから面白いよね、おかげで店主はいい経験ができました。

世の中すっかりビデオソフトの時代と化した1990年代のはじめ、フィルム・コレクションを売却してからおよそ10年後、すでに帰国し飛騨人(ヒダビト)となっていた店主のもとへ小松先生の事務所から電話があった。
保管するのにも場所をとる例のフィルム・コレクションを、この際タダでいいから引き取ってはくれなまいか、と。
どこにも拒む理由はございません。
かくして懐古趣味溢れる8ミリ映画上映会が開催できるはこびとなったのでした、めでたし、めでたし。

8ミリ映画上映会を5月26日(土)下呂温泉で開催します。参加希望者は留之助商店(info@tomenosuke.com)までご連絡ください。追って詳細をお知らせします。

その他の上映予定作品“SF”の部
by tomenosuke_2006 | 2007-04-25 22:30 | ムカシモチャ
8ミリ映画上映会のお知らせ/前編
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もう3ヵ月もたつんだね、時計じかけのモチャ紹介ついでに1970年代後半に熱中してたフィルム・コレクションの話、ちょこっとしたのは。
その1週間後だったか、昔の家庭用映像ソフトの8ミリ・フィルム引き合いに出して、DVDのコンビニエンスさについて書いた。
その度にshin1701さんっていう、店主と同世代とおぼしき人がコメントよせてくれて、店主、こんな(↓)レスしながら放ったらかしにしちゃってた、すみません。
「これを機会に倉庫から8ミリ・フィルム見つけ出し、懐かしいデザインのパッケージなどスキャンしようかと思います。で、それを紹介がてら、一度は店主の元を離れっていった膨大なフィルム・コレクションが、訳あって出戻って来るまでの四方山話でもさせてもらうつもりです。主演は小松左京先生、共演は手塚治虫先生、乞うご期待」
いまさらな気もしますが、書きます。
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DVDはおろかビデオソフトさえない時代のこと、フィルムを買ってまで家庭で映画を観ようなんていう人はめったにいなかった。
関西では喜劇俳優の故芦屋雁之助さんと弟の芦屋小雁さんがフィルム・コレクターとして名を馳せていた。
雁之助さんはハリウッド・ミュージカルが大好き、小雁さんはとくにホラーが強かった。
で、関東では、クレープ頬張りながらプラプラ歩くお行儀の悪い子が群がるずっとまえの原宿、つまり関係者だけで構成されていた時代の原宿だね、そこを根城にしてた20代半ばの店主こそがSF映画専門でちょい有名だったのだ。
店主も雁之助さんや小雁さんと同じように、日本で最初に8ミリ映画の輸入販売をはじめたジュネス企画さんにお世話になった。
8分とか16分間のダイジェスト版8ミリ映画をいろいろ買った。
ジュネス企画代表の西谷さんからアメリカではフルレンジの海賊版16ミリがアンダーグラウンドで売買されていることや、その種の情報が載る月刊タブロイド紙FILM COLLECTOR'S GUIDEの定期購読のしかたなど教わり、徐々に個人輸入の世界へ。
オブジェモチャの、とくにレアもの仕入れの手際のよさは、なんたって海外取引30年の経験と実績あればこそ、知恵と工夫だけは誰にも負けないのだよ。
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なんて自慢話してる場合じゃない。
とにかく気がつけばフィルムの山また山、原宿のアパートはまるで古物商か古本屋の倉庫のよう、どう見ても人が住む場所ではなくなっていた。
キッチンを占領するピンボールマシーンの下には8ミリや16ミリの映写機が何台も。
8畳間の壁一面の本棚にはSF小説や画集、マンガやプログレなレコード、SFオモチャやドンポストのマスクがギュウ詰めになり、床には8ミリやら16ミリがうずたかく積まれている。
で、残されたわずかなスペースに、それでもムリヤリ7、8人、精一杯からだを縮めて座り込み、毎週土曜日の夜は映画上映会が催された、店主の解説付きでね。
けれどそんなお遊びも70年代が幕を閉じるのと同時に終りを迎えたのだった。
ある日、突然、こんなとこで映画観てるより、映画の都ハリウッドに住んだ方がいいじゃんって。
ならフィルム・コレクションを処分して渡米の元手にしようと思いたち、SF雑誌奇想天外の曽根忠穂編集長に相談すると、さっそく2名の御大が名乗りを挙げた。
それが手塚治虫先生と小松左京先生だったのである。
おふたりに店主の希望額を告げ、入札してもらうことに。
ん〜、このときの経験がオークション好きな性格形成に一役かったということ、いま気がついたわ。
つづく。

表題の 8ミリ映画上映会はマジに計画中でありまして、詳しいことが決まり次第、参加希望者を募ります。

その他の上映予定作品“ホラー”の部
by tomenosuke_2006 | 2007-04-06 22:45 | ムカシモチャ